チャンスの神様は前髪しか無いから……
ちょこっと
第1話
「己では決めかねるか、ならば此方で運命を与えよう。次の生を頑張るといい」
美術品かと見紛う整った顔立ちの男性が、涼やかな声で私に告げる。ギリシャ神話に出てくる神様みたいな変な恰好だが、それがどうしたという程の美形だ。そんな彼は一方的に話して、踵を返した。
「えっ、待って!」
突然の戸惑いに引き留めようとして、思わず男性のターバンを掴んでしまった。
掴んだその手は、抵抗無くスルリと下に垂れる。私の手には、男性の頭に巻かれていたターバンが握られていた。
「っぐぁあああっ!」
固まる私の目の前で、男性は崩れ落ち跪いた。
「あ、あの……ごめんなさい」
手にしたターバンを、そっと男性の頭に乗せてみた。
その、見事にハゲあがった彼の後頭部へと。
そもそも何故こうなったかというと、なんと私は死んだらしい。
現代日本で32歳まで真面目に生きて、数えで33歳となる今年は本厄で大厄と聞いたので、神社へお参りに行ったのだ。
無事にお参りして御守りも買って、帰ろうとした時に事故った。
神社を出てすぐの信号で止まった時、鞄に付けたばかりの御守りがスマホのストラップと絡まって切れた。
いやいや、買って五分ですよ。いくらなんでも早ない?
切れて落ちた御守りを拾おうと、一歩前に踏み出した所へ爆音が迫ったのは覚えている。
そして、私の意識は闇に落ちてしまった。
「あ、あの、イカロスさんでしたっけ?」
「カイロスだ!」
いきなり名前を間違えてしまった。失敗。だって、有名な話の人と名前が似てるんだもの。
「ごめんなさい、それで、あなたはチャンスの神様で私にチャンスを与えに来てくれたんですよね?」
未だに蹲って呻いている神様へ話しかける。そうやって後頭部を曝け出されると(いや曝け出させたのは私だ)ギャップで笑いの波が押し寄せてきそうになるからやめてほしい。
彼が言うには、私が前世で真面目に生きていた割に大して良い思いもせずサクッと死んでしまったので、チャンスを与えるに相応しい魂だと判断されて来て下さったらしい。
そして【貴女の願いを三つ叶えよう】と告げた。
突然過ぎる。私が唖然と立ち尽くしていると、【チャンスは待たぬのだ。選べぬならばこちらで適当に転生させよう】と言うが早いが……冒頭に繋がる。
「取り敢えず、ターバンを巻かせてもらえますか?」
適当に頭に乗せてみたターバンだが、神様が蹲り戦慄いている為か、スルリと落ちてしまった。
私の言葉に、神様はノロノロと此方へ顔を上げる。翡翠の如く綺麗な碧の瞳が、今は死んだ魚のようだ。
笑ってはいけない。
今までで一番腹筋に力を込めて、耐えた。
美術品かと見まごう美丈夫で、繊細な絵画のように美しい顔立ち。頭にターバンを巻いてしまうと、絹糸のような前髪が顔にかかって、完璧な美を表現している。
例え、その中身がツルッパゲだと知った今でも、あまりの美形っぷりにときめきそうだ。
ちゃんと巻けたからか、しっかりとした足取りで立ち上がる。その両足には翼が生えており、神秘的な存在なのだと神々しさも感じられた。ハゲだけど。
「ふ、取り乱してしまった、忘れるがいい。私のターバンは人が触れられる物では無いが何故……いや、貴様は私が遣わされるような魂だ。何か特殊な能力を与えられたのかもしれん」
一人呟く神様。本人目の前にして言いたい放題だな。
「次の人生とか、特殊な能力とか、もう少し説明が欲しいです」
「先ほども説明した、チャンスは一度だけだ。悩んでいる時間はない。チャンスとは、迷っている間に過ぎてしまうのだ」
そう言って、再び踵を返して立ち去ろうとする。
えい。
もう一度ターバンを掴んだ。おぉ、見事な輝きが目にささる。そうして再び、彼は頽れた。
「ぐっ、何故だっ! 馬鹿な……神を引き留められるだと! 人間にそんな事が出来るだなど」
ぶつぶつまた言っている。
あれか? 『チャンスの神様は前髪しかないから、あっという間に通り過ぎて、後ろ髪掴もうとしたらもう掴めない。瞬く間に過ぎてしまうから、チャンスを掴みたきゃ迷わずいけ!』みたいな、格言があったと思うけど、それなのか?
彼がこうしてウダウダしてくれている間に、次の人生を考えてみよう。うん。良い時間稼ぎです。
次も前世の記憶を持って現代日本に転生……は、幼少期から神童として成長出来そうだし、前世の知識を持って一角の人物になれるかもしれない。
ただ、加齢と共にただの一般人になってしまう可能性が高い。最初は知識も知恵も圧倒的に優れて見えても、すぐに年とともに追いつかれそう。所詮凡人ですから。
じゃあ、異世界転生なんてどうだろ。何か特殊な能力があるっぽいし、それを活用して過ごせない? 何もかもが未知数だけど。
……うん、いいかもしれない。
32年、真面目に地味に地道に生きてきた。周りの言う通り大した反抗もせず、周りの空気読んで愛想笑い浮かべてた。
今思えば、32歳であっけなく死んでしまうなら、もっとやりたい事やっとけば良かった。もっと、冒険してみても良かったんじゃない?
「うん、決めた! 異世界転生やってみます」
蹲っている神様へ宣言すると、死んだ魚の目が此方を見上げる。
ごめんて、ちゃんとターバン巻くから。
「そう、か。分かった」
そう言うと、神様が何か呟いて、私の視界が揺らめいた。
目を開けると、視界がぼやけてよく見えなかった。体も重たくて思うように動かせない。
なんだか泣きたくなってきて、抑えられなくなって大声で泣いてしまった。
「っふぇえっ、ふぇっ」
赤ちゃんみたいな高い声が出てしまった。何でと思う間に、誰かに抱き上げられた。
「よーしよし、お腹がすきましたか? それともお召し替えかしら」
どうやら、私は無事に異世界転生をしたようだ。しかも、赤ちゃんからはっきりと意識は32歳のまま持っている。
えっ? お乳やおむつ替えを、32歳の精神で体験するだなんてっ! この先繰り返し赤ちゃんプレイしなければならないだなんて……チャンスの神よ、あんまりじゃないか?
思わず神様を恨みそうになりながらも、すくすくと私は育ったのだった。
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