第13話 王太子リチャード・ワイズマン

「ーーーーはぁっ、はぁっ、はぁっ!」


 私はぶ厚い雲の切れ間から差し込む一筋の光を目指し、ひた走る。


 光が差し込んでいるという事はあの一点に限って言えば、この馬鹿げた天候が及ばぬという事になるはずだ。


 事実、そんな保証はどこにもないし光が差し込んでいるからと言って、その周辺だけが晴れているだなんて考えにくいが、今は少しでも可能性のある方に掛けたい。あまりに馬鹿げた判断かもしれないが今はそれでいい。今は悠長な事を言っている場合ではない。


 何よりさっき雲の切れ間から一瞬見えた燃える赤い月。アレが本当にここに向かって落ちてきているのだとするのなら、そちらに向かって走るのはそれこそあまりに馬鹿げた判断だといえるだろう。


 私は死なないーー死にたくない。


 たとえどんなに低い可能性だろうと、それにしがみついて生き抜いてやる。


 気が付くと、私と同じ考えをした者なのか光に向かって走る者が数人見受けられる。


 なりふり構っていられないといった風に、無様な表情で走っている。


 まぁ、その気持ち自体は分からないでもない。どんな時も死は受け入れ難い。ましてそれが自身の死ともなれば尚のことだ。


 その時、悲鳴を上げながら後方から私を追い抜き走り去る男が現れた。


 その男の後頭部を見つめ私は思う。この男も自身の死を受け入れられず必死なのだろう。なりふり構っていられないのだろう。


 だが、


「王太子である私を差し置いて逃げるバカがどこにいるっ!」


 私は男の首根っこを掴んで力いっぱいに引っ張った。


 バランスを崩した男は後ろ向きに倒れ地面を転がっていった。


 馬鹿め。なりふりは構わんが、身の程くらいは弁えろ。だからそんな目に遭うのだ。


 私と貴様では命の価値が違うのだ。


「聖女様だっ! 聖女様を国から追い出したからだっ! だから神がお怒りになったんだ!」


「捜せっ! だれか聖女様を連れ戻すんだ!」


「これがっーーこの馬鹿げた天候こそが言い伝えの『悪魔の怒り』なんだ! 奇跡の聖女はやっぱり本物だったんーー」 


 戯言をのたまうイカれた聖女の信者をぶん殴ってやった。


 何がこの馬鹿げた天候こそが悪魔の怒りだ。この天候はたまたま何かが重なってこんな事態になっているだけの事。


 馬鹿げているのはお前の頭の方だとなぜ気が付かんのだ。


 ……馬鹿だからか。


 それから私は前を走る鬱陶しい愚民共を蹴散らしては真っ直ぐに光の元へと走った。


 空気が変わった。


 いや……世界が変わったといった方が的確か?


 何が起きたのかは知らないが、どうやら私を取り巻く環境ががらりと変わってしまったらしい。


 その変化の境界線はすぐ近くにあると、直接肌で感じる。


 数メートル後ろはさっきまでの地獄で、私が今いる所はいつものありふれた日常が広がっているようなーーそんな感覚。


 その証拠に先ほどまで王都を襲っていた危険な天候も今は嘘のように静まりかえっている。


 ぶ厚い雲が取り払われ青空が所々に顔を覗かせている。


「ーーーーっ!」


 赤く燃える月は⁉︎


 赤の月はどこにいった?


 私は空をくまなく探したが、あの恐ろしい赤の月はどこにも見当たらなかった。


 良かった。あんなものが落ちてきたのでは、如何に強固なハイランド王国といえど壊滅してしまいかねない。


 日の光が指し示す場所まであと少し。これだけ穏やかな天候ならもう急ぐ必要もあるまい。後はゆっくりと歩いて行こう。


「ーーどけっ! 邪魔だ! 私が来たのが分からんか⁉︎」


 光が差し込む場所を取り囲む多くの邪魔な愚民共を蹴散らし、私は前に前に進んでいく。


 と、そこで私は意外な人物の姿を目撃した。


「お前は……セシリア・ホーリーズ? お前は国を出たはずだろう、こんなところで何をしている?」


 私の問い掛けに対しセシリア・ホーリーズは俯き、ばつが悪そうな表情を浮かべる。


「殿下……これはその……」


「言えない事なのか? というより、この騒ぎはいったいなんだ? なぜ皆ここに集まっているのだ?」


「リチャード様。私達は皆、悪天候から逃れるため必死に逃げ回っておりました」


「そうです。それで雲の切れ間から差し込む一筋の光を見つけ、藁にもすがる思いでここまで走って来たんです」


「みんながみんな、救いを求め光を目指して一堂に集まった。そこにいたのが聖女セシリア様なんです」


「やはりセシリア様の……ホーリーズ家のお力は本物なんじゃないですか?」


「僕もそう思う。さっきみたいな酷い天候、どう考えたって普通じゃないよ。やっぱり」


「聖女様が王都を出た途端の出来事じゃし、また王都に戻られた途端に事態が収束してしまったんじゃからのう……」


「やっぱり奇跡の聖女は本物なんだ」


「あの噂自体が間違っていたんだ」


「奇跡の聖女ーーーー」


「ホーリーズ家ーーーー」


「悪魔の怒りーーーー」


「聖女の力ーーーー」


「アグネス様ーーーー」


「アリシア様ーーーー」


「聖女ーーーー」


「聖女ーーーー」


「待て待て待てぇぇぇい! 聖女? まだそんな事を言っているのか貴様ら! 奇跡の聖女など存在しない! 今の状況だって、たまたま天候が変わったタイミングにセシリアが現れただけの事。皆、目を覚ませ! これこそがホーリーズ家の悪しき手口なのだぞ⁉︎」


「ーー皆さん、殿下のおっしゃる通りです。私達、ホーリーズ家には奇跡の聖女の力なんて本当はありはしないのです」


「ほらみろっ! 私が言った通りではないか! 皆、自身の耳で確かに聞いただろう? 奇跡の聖女の力なんて無いと本人が認めたのだ」


「殿下、申し訳ありません。一度は確かに王都から出たのですが、大切な物を屋敷に忘れてしまい一時的に取りに戻っただけなのです。私達はすぐに国を出ますのでどうぞお許し下さい」


「ふんっ! ペテン師め、少し目を離したすきに民を手玉にとろうとしおって。油断も隙もあったものではない。用が済んだのならさっさと国を出ろ。目障りだ」


「はい……」


「ふんっ! 私は城に帰るっ!」


 あぁ、気分が悪い! あいつばかり民に支持されおって。王族よりも目立つとはいったい何様のつもりだ。厚かましいにも程がある。


 今日は本当に最悪な日だ。城に帰って酒でも飲もう。 

 










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