第38話 はじめての長期休暇(4)
長期休暇が始まり、ライラは三日おきにデヴォンの研究室に通っている。レオナルドはいつも一緒に来てくれていて、ライラとデヴォンが何かしらしている間はデヴォン所蔵の魔道書を読みこんでいる。図書館に置いていないものも多いらしい。キャロンとエリックもたまに一緒に来てくれて、デヴォンの淹れるコーヒーを飲みながら喋ったり本を読んでいたりした。
「君たちねぇ、ここ喫茶店か図書館だと思ってない?」
「マスターの淹れるコーヒーが美味しくて」
「今日はお姉様特製のパウンドケーキ持ってきましたから、先生も食べましょう。すごく美味しいのですよ」
「エリック君もキャロンさんも調子いいんだから……ウォーウルフ君は話すら聞いてないし。結構貴重な本もあるんだからねぇ」
「聞いてる。知ってる」
今やレオナルドは机の一つを占領し、いくつもの本を開き、傍らに積み上げ、ノートや魔術紙に書き物をしている。さながら学期末の提出レポート作成のようだ。
「えっ、きみ、もうこんなのやってんの……?」
「……ファルマスの魔術を見たから。アルフォードのは参考にならないけど」
ヘルムに囚われたライラを迎えに来てくれたとき、ファルマスの緻密な魔術をみてレオナルドは素直に感動したのだと言っていた。
「ああファルマス君ね、あの子のお兄ちゃんの。アレはそうとう規格外だよねぇ」
「いざ戦闘になったら負けない自信はある。でもアイツ、魔術構築力は遥か先にいる。ゆるーく微笑みながらあんな繊細に魔術を操るって何なんだよ」
「彼は凝り性だからね~~~君も結構そんな性分なトコあるけどね。いいんじゃない、一つの目標が見つかってさぁ。退屈してたでしょう」
「……お見通しって感じが腹立つな」
「やだなぁ。これでも俺、君の何倍生きてると思ってんの」
くふふと満更でもない顔をして、デヴォンはレオナルドの手元を覗き込む。何度が視線が右に左に動き、ふうんと目を細めた。パチンと指を鳴らすと棚から二冊の本が抜かれ、レオナルドが積んでいる本の上にパタパタンと重なる。
「俺のオススメだよ~」
パラパラと本をめくったレオナルドが、小さく「……ウス」と呟く。
この二人はそこそこ仲良くなっていた。
「せ、先生、これいつまでやればいいんです、かっ……」
そんな彼らの様子を横目に、ライラはぷるぷると震えていた。大きな顕微鏡のような台の上に両手をかざし、中央にある魔石に魔力を注いでいる。なるべく一定に、長時間出せる出力で注ぎ続けなさいと言われている。ライラにとっては至難の業だ。
「まだまだ計測中だよ、頑張ってねぇ」
「それ良い訓練になると思う」
レオナルドにもそう言われると頑張るしかない。ライラは魔力を繊細にコントロールするのが非常に苦手だった。途中で頭の中がぐるんと回って気が散りそうになる。
「ライラの分のケーキ、ちゃんと取り分けていますから。頑張ってください」
「このケーキめちゃくちゃ美味しいよ。頑張れライラ」
コーヒーを片手に言いながら、キャロンとエリックはカードゲームの『バトルライン』を始めている。長期休暇が始まってこの研究室に増えたものは、棚の一つを占領しているボードゲーム類である。もう既にたまり場になっていた。
「うううううう」
デヴォンもたまにボードゲームに参加し、『カタン』に熱中しているときなどライラは放っておかれたこともある。
デヴォンの研究室通いは皆がそれぞれ楽しんでいた。
○
長期休暇に入ってから、夕食前に庭の一角での鍛錬を組み込まれた。相手はアルフォードかファルマスで、ライラは精神に作用する魔術をかけられ、ひたすら耐えたり跳ね返したりする耐久訓練である。ヘルムに攫われたのは周到に仕掛けられた罠が原因だが、ライラは物理面と比べて精神面の魔術防御力が薄い。
「うっ……も、もう無理、吐く」
「あと十秒耐えて」
頭の中をかき混ぜられて前後左右も分からないくらいの不快感。これでも必死に耐えているというのにアルフォードは笑顔で圧をかけてくる。
「う……」
「あと五秒」
こめかみから汗が流れ、涙が滲んでいる。あと五秒、五秒ってどのくらい? と視界が白く霞んできたところに、アルフォードがバケツを差し出してきた。
うぇぇ、とライラは胃液を吐いた。次に水が入ったボトルを渡され、口をゆすぐ。
「うん。結構頑張りましたね。初日と比べて耐久力も時間も延びています」
「ヴン……ンンン」
「ライラの狼君じゃ、こういう訓練はできないでしょうからね。彼、ああ見えてSっ気あんまりなさそうですし、好きな子を吐かせるまで追い詰めるなんて無理でしょう」
「……す、」
『好きな子』と兄に言われて、下がっていた血圧が急激に上昇する。小型爆弾を挟んでくるのはやめてほしい。
日頃は優しい兄たちも、訓練になるとなかなか厳しい。頭の中をぐちゃぐちゃにされるような精神魔術や、立っているのかも分からなくなる幻覚魔術、自我を乗っ取ろうとしてくる傀儡魔術を毎日仕掛けられ、ライラが吐くまで容赦なく耐えさせられる。
「今日はこれまでにしましょう。ミリアンさーん、あとよろしくお願いします」
「はァいお嬢様! 一緒にお風呂入りましょうねぇ~」
「ごめんねミリアン、毎日介助してもらって」
耐久訓練が始まってから、毎回ミリアンに支えてもらって浴室まで行き、ぐったりした体を洗ってもらっていた。最初は自分でやろうとしたが、下手に動くとまた吐いてしまうのでもう任せている。
「私は合法的にお嬢様の体に触れるのでご褒美ですのよ……ふふふ」
「あっ、そう」
ちなみにもちろん、精気も吸われている。
風呂から上がると夕食で、今日のメインはライラの好きな肉じゃがだった。
レオナルドにも稽古をつけてもらっている。デヴォンの研究室に行った後、ウォーウルフ邸にお邪魔し、屋敷の中央部であるドーム型の温室で組み手から始める。レオナルドはライラの長所を活かす方向で訓練してくれていて、効率的な体の動かし方だとか、狙うべき急所だとか、相手がレオナルドだからこそできるフルパワーのかけ方だとか、とても勉強になっている。
兄たちのように吐くまで追い詰められることはないが、手加減はない。少しでも隙を見せると手首などを掴まれて投げ技をかけられる。
「あっ、しまっ――」
投げられたライラは転がりつつダン! と受け身を取ったが少し遅く、腹の上にはもうレオナルドがのし掛かっていた。両手首をとられ地面に縫い付けられる。
「はいお終い」
「やられた……」
「じゃ、キスしていい?」
了承の代わりにライラは目を閉じる。こうやって完膚なきまでに封じ込められたらキスされる、そういう習慣ができあがっていた。
別に訊かなくてもしたらいいのに、と言っているのに、レオナルドは毎回訊いてくる。
長年にわたる屋敷の皆のおかげで、キスされるのは慣れている。レオナルドに対してもそろそろ慣れてきていい頃合いなのに、毎回緊張するせいで瞼が震える。それを見られているのだろうなと、閉じた皮膚の向こう側から視線を感じるので恥ずかしかった。
レオナルドは深いキスをしてこない。
額や頬にされて終わることが多いし、唇にそっと触れて終わるときもある。長い長い口づけをされたのはあの日だけだ。ヘルムに囚われていたところを迎えに来てくれて、レオナルドの部屋で好きだと言われたあのとき――
ふわりと唇に柔らかい感触がして、離れた。ぱちりと瞼を開けるとレオナルドが爽やかに笑っていて、ライラを抱き起こしてくれる。
「ありがとう」
「ちょっと休憩するかぁ、談話室戻ろ」
このところ胎の奥がうずうずとするような、レオナルドがすぐに離れていってしまうことに物足りなさを感じていた。兄やミリアンたちは隙あれば濃厚なものをかまそうとしてくるので、たぶんそのせいだ。
ウォーウルフ邸は増改築を繰り返して今の巨大な屋敷になったそうだ。一族の誰もが自由に暮らせることを前提として造られたと言っていた。キッチンは大きいのが一つと小さいのがいくつかあり、談話室も三部屋ほどある。しかし現在、この屋敷にきちんと暮らしているのはたった四名。レオナルドと、姉とサツキと、年上の従兄弟。他は皆フィールドワークだの、面倒だから住み込み研究室だの、放浪を満喫して早数年、などなど。
「お茶持ってくるから待ってて。着替えるんならいつもの部屋空いてるから」
「う、うん」
ライラたちがよく使う談話室は十人程度が広々と使える大きさで、中央部の温室(というか小さい森)が窓からよく見える。薄い色合いの無垢材のフローリングに壁、三人掛けや五人掛けのベージュ色ソファが並ぶ。
ライラは談話室の近くにある空き部屋に入り、学園の体操着を脱いだ。訓練するには丁度いいのだ。持ってきたタオルに水魔術でかるく湿らせ、体を簡単に拭く。今日は黒のショートパンツと、二の腕にかかる袖がひらひらしているハンカチーフ・スリーブの白いシャツにした。
談話室に戻ってソファに座り、ふかふかの背もたれに体を沈み込ませる。このまま眠ってしまいそうなくらい気持ちが良い。
あれから一度もレオナルドの部屋には入っていない。『レオの部屋じゃないの?』と言ったとき、レオナルドは一度目を瞑って言った。
『ライラは俺を拒まないだろ。俺のテリトリーなんかに入ったら、今度はもう、かわいいキスくらいじゃすまないかもしれない。そうなってもいい覚悟、ある?』
レオナルドの瞳は氷のように燃えていて、ライラは怖じ気づいた。小さく息を吞んだライラを見て、苦笑した彼が手を引いて談話室に連れて行ってくれたのだった。歩いている間、黙って床の木目を眺めていたことを覚えている。
ライラは怖くなったわけでも嫌だったわけでもなかった。レオナルドだったら何をされてもいいと――彼に吞まれたいと思ったことの衝撃に身が竦んだ。いつの間にか、レオナルドがライラの内側の大事な場所にいる。
深緑のクッションを抱いて、上半身だけゴロンと寝転んだ。レオナルドのことを考えるとどきどきと焦燥感がつのり、幸せなのに辛くなる。
「あ、可愛い女の子がいる」
聞いたことのない、朴訥とした男性の声にライラは顔を上げた。もったりしたカーキのつなぎを着て背が高く、白が混じった藍色の髪の青年がいる。水色のアイスキャンデーを食べながら、彼はライラの斜め前に座った。急いで起き上がったライラを彼はじーっと見てくる。
「分かった! あれでしょう、レオ君が番にしたい女の子でしょう」
「え、あ、つがい?」
「かわいいかわいい言ってたけど、うん、ほんとに可愛いね君。声もいい。あとなんか……甘い? 匂いなのかなコレ。うん、なるほどね、確かにいいねぇ」
「ありがとうございます……?」
「うんうん、かわいい」
青年はニコニコしながらアイスキャンデーを囓った。今日は寒いね、とか、君の服は白色だね、とか、そういう雰囲気で『かわいい』と言うので素直に受け取れる。誰だかは分からないが、すごくマイペースな人だ。
「ミカ兄さん! ライラにもそうやって口説くのやめてくれます!?」
「そーだそーだ、『ライラ』さんだ」
盆に二人分のレモンジュースのグラスを乗せたレオナルドが帰ってきた。襟ぐりの開いた白いシャツとブルージーンズに着替えている。
「ここに住んでる従兄弟のミカエル兄さん。今は学園の上部組織の研究室にいる。この家にはサツキさんのご飯を食べに帰ってくる感じ」
「はじめまして。ライラ・トゥーリエントです」
「はじめまして。うんうん……ねぇレオ君、この子可愛いね」
「そうですよ可愛いでしょう俺のですよ」
「そんなに牽制しなくたって大丈夫だろうに。ねぇライラさん」
こくこくと素早く頷いた。
「ほら」
にこ、と笑うミカエルに、レオナルドは溜め息をつく。盆をテーブルに置いてライラのすぐ隣に座った。
「レオ、つがいって何?」
レオナルドはグルル……と喉を鳴らし、ライラには答えずにレモンジュースを飲んだ。
「生涯の伴侶って意味だよ。僕たちの一族ではよく使うんだ。大山羊族とか大鷲族とかもそうかな」
驚いてレオナルドの横顔を見る。頬や目元がほんのり色づいていて、ライラまで伝染した。
「かわいいねぇ」
ニコニコと何の含みもないミカエルの言葉を聞きながら、ライラも黙ってジュースを飲んだ。『俺のですよ』というレオナルドの台詞が頭の中でリフレインする。
たぶん、もうとっくに、そう。
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