第33話 番外編:ようこそトゥーリエント本邸へ(前)
『みんなにはお世話になったから、感謝の気持ちを込めて我が家にお招きしたいなぁ』
ライラがそう言ったのがきっかけで、レオナルドとキャロン、エリックの三人はトゥーリエント伯爵家の本邸へやって来た。
キャロンは何度か遊びに来ているらしいし、エリックは家同士の付き合いがある。レオナルドだけが初めてだった。意中の女の子(恋人になってずっと離さない予定)の自宅である。いくらレオナルドとはいえ緊張する。
手土産はサツキが用意してくれた。人間界にある日本の最高級ようかんと、サツキ曰く知る人ぞ知る素晴らしい抹茶、らしい。両方とも簡単に手に入る品ではないとかなんとか。ライラの母が人間で日本人だったと聞くと「日本についてはこの私、とーっても詳しいのです。コネだってトゥーリエント家に負けませんわ。サツキにおまかせください」と自信満々で買い物に行ってくれたのである。ついでに自分の買い物も満喫していた。
異界出身のサツキだが、彼女は古来の日本で放浪していたと言っていたことがある。年齢を聞いてもいつもはぐらかされるので、もしかして現魔王より年上なのではと思っている。
トゥーリエント本邸はいかにも歴史ある伯爵家、という荘厳さがあった。ウォーウルフ邸とは全然違う。敷地全体にかけられた防衛魔術もかなり厳重だ。
「みんないらっしゃい~! ようこそ!」
出迎えてくれたのはライラである。艶のある黒髪を団子に一纏めにし、青い石のついた簪を挿していた。スタンド・カラーの襟に、たおやかな二の腕がすらりと伸びるキャップ・スリーブのワンピースを着ている。裾にいくにつれて青から群青へと変わるグラデーション。あまり見慣れない格好だが、ライラによく似合っていた。
(まぁ、何を着ても可愛いんだけど)
「あらライラ、それチーパオですわね? 可愛らしいですわぁ」
「あっ、そうなの。人間界から戻ってきた父様からお土産でもらって」
ちらりと、ライラはレオナルドを見た。気のせいでなければ『どうかな?』と訊ねられていると思う。レオナルドは深く頷いた。
「可愛いと思う。いつも可愛いけど」
「ヒェッ……あ、ありがとう」
こういうことを言うと、ライラはいつも少し照れる。両手を握りあわせるところとか、とても良い。
エリックが唐突にパンパン! と手を叩き、乾いた音を響かせてすたすたと家の中に入っていく。
「ハーイいちゃついてないで中に入ろうな~?」
「そうですわね~」
「イチャついてた? 今のイチャついてた!?」
エリックとキャロンに置いていかれたライラの手を、レオナルドを下からそっと掬い上げた。小首を傾げ、恭しい表情を作る。
「俺をエスコートしてくださいますか? お嬢様」
「レオまでからかってる?」
ぷす、と不機嫌なのを顔に貼り付けているのが可愛いので笑うと、また怒られた。
応接間は四人分のテーブルセッティングがされていた。白いクロス、金刺繍の入ったナプキン、並べられた数種類のカラトリーにグラス、花瓶に生花が飾られている。『お昼ご飯用意するからね!』と言われていたが、これから始まるのはどう見ても本格的なコース料理だ。
ライラの隣にキャロン、正面にレオナルド、その隣にエリックと座る。心なしか、キャロンもエリックもそわそわしていた。思っていた『お昼ご飯』と違うからだ。
着席すると、待ち構えていたようにコックコートを着た男性が入ってきた。
「やあ皆いらっしゃい! このたびは僕の可愛いお嬢様からお昼ご飯をお願いされたので張り切りました。この家のシェフを勤めさせていただいているヨハンと申します」
バチン! とウインクを寄越すやたら美しい男だった。銀色の髪、萎れた花さえ元気を取り戻しそうな色気、淫魔に間違いない。淫魔はそもそも美しいものだが、ライラの周りにいる淫魔たちはそれらの普通を凌駕している。先程軽く挨拶したミリアンというメイドもそうである。
「メンズたちは量多めにしようと思ってるんだけど、どう?」
「お願いします」
「よし! じゃ、ちょっと待っててねぇ」
ヨハンの料理は筆舌に尽くしがたい美味しさだった。前菜から副菜、スープ、メインが二種に、アイス添えのケーキデザートまであるフルコース。特に、神戸牛という肉の美味さは初めて知るものだった。
「お前さ、いつもこんなん食べてんの?」
半ば呆れた感じで言うエリックに、ライラは真逆と首を振った。
「これは特別コースだよ! でもヨハンのご飯はいつも美味しいんだよ。普段は和食が多いかなぁ? 母様の体に合うんだよね」
「ライラのお母様ですか?」
「うん。人間界の日本の国出身でね、父様は母様中心に動くから……そうそう、母様が皆に会いたいって言ってたの。これまで会ったことないのレオだけかな? いーい?」
ライラがそう言うと、エリックもキャロンもレオナルドの方をじっと見た。『突撃! 彼女の親に挨拶!』『ほぉん、これはカレシの見極めですわよ』意思伝達魔術を使わなくても二人の言っていることが分かった。日に日にこの二人の顔はうるさくなっている。
本当に付き合ってたら良かったんだけどな! いずれそうなる予定だけど!
「勿論、お会いしたい」
「良かった! そろそろ母様の仕事も一段落すると思うし、少し待ってて」
弾む足取りで応接間から出ようとしたライラを呼び止めたのはエリックだった。
「俺さ、前から気になってたんだけど、ライラのお母さんって何の仕事してんの?」
「エリック知らなかったっけ? ええとねぇ――実際見た方が早いし、作業してる母様好きなんだよね。……見る?」
なんだかよく分からないが、三人とも気になるので頷いた。
ライラに案内され、屋敷の奥へと進む。エリックも来たことがないエリアだと言う、とある境界でズンと身体に重力を浴びた。すぐに楽になったが、魔術による結界の中に侵入したのだと思われる。
「……屋敷の中にさらに結界を張っていますの?」
「うん、なんか色々。母様が人間だからね、父様めちゃくちゃ心配性なの」
廊下の片側の窓から裏庭が見えてくる。屋敷の正面からは決して見えないそこは庭園になっていた。小さな池に赤い太鼓橋、葉はなくピンク色の花を咲かせる木に、氷柱のように降る紫の花、橙色の小さい花をたくさん咲かせている木々、それぞれ咲き誇る草花たち。それらを見渡しながらお茶が出来るような畳敷きの大きな東屋もある。なんだか現実感のない光景で、レオナルドはぼんやり眺めていた。
「綺麗でおかしな庭園でしょ? 桜に藤にキンモクセイ、椿に木蓮、さるすべり。このへんの大気魔力の影響か、全ての花が咲くんだよね。母様は毎日見ても未だに信じられないって思うんだって」
「ここの庭だけがなるのか?」
「こんなに何でも咲くのはここだけみたい。不思議でしょ」
きっと甘い匂いがするのだろう。ここの庭園で休憩しているだろうライラを想像し、それは桃源郷のように彼女に似合っていた。
目的の部屋についたらしく、ライラがコンコンと扉をノックする。中から可愛らしい声で「はあい」と返事が返って来、ライラが扉を開ける。
「母様~友達連れてきたよ。中に入ってもいい?」
「あら、いいわよ。皆様いらっしゃいませ」
なるほど作業部屋であった。優しい光の差し込む部屋に、大きい機織り機が二つ、糸紡ぎ機が一つ、棚には糸や布が収まり、窓辺には木桶が並べられてある。
機織りの最中だった女性がレオナルドたちを向いて微笑んだ。黒髪に黒い瞳、小柄で可愛らしくも艶めかしい人だった。
「ライラの母の翠です。皆さん、先日はライラを助けてくれてありがとう」
翠はすっと立ち上がり、深々と礼をした。レオナルドたちは恐縮する。
「あなたがレオ君ね? なるほど、強そうねぇ」
翠はレオナルドを見上げ、ぱちぱちと瞬いた。レオナルドの風来坊な母と全く違う、少女のような人である。「いえ、あの、それほどでは」と口ごもると、彼女はふふふと笑う。
「エリックがさ、母様が何の仕事してるのか気になってたんだって」
「そうなのエリック君? 仕事……というかお手伝いなのだけどね。ふふ、見てみる?」
そうして翠が実演しながら説明してくれたのは、トゥーリエント家の秘密の一つと言っていいものだった。
翠はここで機織りもしくは糸紡ぎをしている。まず見せてくれたのは木桶の中身で、水を張ったそこには魔石を沈め、糸の原料を浸していた。
「この魔石はね、お兄ちゃんたちが各種属性を込めて満たしてくれているの。ライラちゃんに貰う精気でいくらでも作れるよって言ってたわ~」
「なるほど循環システム……」
魔力を染みこませた原料から、祈りをこめながら糸を紡ぐのだと言う。
「なんだかねぇ、人間による祈りは力があるのだって。特に私は八百万信仰が根付いているとか何とか……そんなに意識したことはないのだけれど」
それが信仰というものだろう。
そうして紡がれた糸や布は、ライラや兄たちをはじめ、屋敷の者が使う衣服の刺繍に用いたり服を仕立てたりしているらしい。
「ふふ。ライラちゃんの制服も、一度ほどいて裏に刺繍を施したりしたのよ」
「……エッ」
たぶんアルフォードの仕業だな、とレオナルドたちは思った。
「私ははただの人間だから、できることなんてあまりないの。糸を紡ぐのも機を織るのも手作業でしかできないけれど、逆に手作業だけでしかできないこともあるんですって」
魔力を込めた布は、普通の布で仕立てた服よりも魔術防御レベルは高くなるし、刺繍した魔法陣は力を増す。実際、レオナルドの家もそういったものは購入しているし、他家もそうであろう。
「すごく良い品質ですね」
「あら、ありがとうレオ君。嬉しいわ」
レオナルドの両親は職業柄、戦闘服は最高級品のもので仕立てている。翠が紡いだ糸はその最高級品と同じ純度の魔力を保持し、かつ、市販のものでは見られない付与された輝きがあった。不特定多数に向けて作られたものではなく、ライラや屋敷の皆のためだけを思って紡いでいることと、翠が人間であることとその信仰が寄与しているのだろう。
レオナルドたちが興味津々に糸や布を見ているのを、翠が微笑ましく見つめている。
「ねぇライラちゃん、レオ君とってもカッコイイわね」
「エッ!? うん、かっこいいね?」
「ふふ。そうだわ皆さん、お礼の贈り物があるの。ちょっとしたものだけどね、貰ってくれるかしら」
翠は窓際に並べてある小さな箱を持ってきて、レオナルドたち三人に渡した。
「皆の瞳の色をライラちゃんに聞いて、その糸を紡いだの。そんなに量はないのだけど……もし良ければ使ってくれると嬉しいわ」
箱の中身は木の棒に巻かれた糸だった。レオナルドの糸は水色で、込められた魔力が煌めいている。
「ありがとうございます! 大事に使わせていただきますわ!」
キャロンは飛び跳ねて喜び、目を輝かせていた。エリックもレオナルドも続けて感謝を述べる。翠はほっとして頷いた。どうやら緊張していたらしい。
(帰ったらサツキさんに見せよう。キラキラして飛びつくだろうなぁ)
「良かった。今日は皆さんが遊びに来てくれると知って、それをお渡ししたかったの。これからも、ライラちゃんをよろしくね」
「――はい」
翠の瞳に心配そうな色が見えて、レオナルドは重々しく返事をした。きっと、不安と心配でいっぱいなのだろう。
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