第15話 変化してゆく学園生活(8)

『また明日』と言ったからには、挨拶はしてもいいのだろうか。

 隣の席に座ったレオナルドを横目でちらりと確認し、ライラは迷う。思い切って顔ごと視線を向けた。するとレオナルドの方もちらりとライラの方を見ていた。ばちりと目が合うことに双方が驚く。

「あ……おはよう」

「……おはよ」

 それだけで身が軽くなったような、背中がこそばゆい気持ちになる。ほっと笑って前を向き、一限目の用意をする。


 レオナルドも小さくため息をつき、頬杖をついて窓の外に顔を向けた。

 二人の様子を遠巻きに見ていたクラスメイトたちは何事かと目配せし合う。当の本人たちは気が付いていない。クラスメイトたちは、二人の間で何かが変わったのだと察知した。魔術基礎演習でみせたライラの特異性は皆の関心を引き付けるものであったし、圧倒的実力を持ちデヴォンにつっかかったレオナルドは実質クラストップの存在だった。

『あの二人、っていうかウォーウルフ君はトゥーリエント家を嫌ってなかったっけ?』

 クラスメイトからすると気になるところである。


「おはようですわ、ライラ」

 キャロンはレオナルドの方を向いてくいと顎を上げ、ライラに意味深な目線を送る。訳するに『挨拶するなんて何かありましたの?』というところだ。ライラはぱちぱちと目を瞬かせ、キャロンの手を引いて教室を出た。人気の少ない廊下に出て小声で話す。

「昨日、図書館でデヴォン先生に会って、また《魅惑》をかけられそうになったんだけど、そこをレオナルド君がまた助けてくれたの。それで、校門まで送ってくれた」

「デヴォン先生が魅惑? また、って前はいつ……確かですの?」

「実は、前の魔術基礎演習のとき……《魅惑》に関しては間違いないと思うよ。私だって腐っても淫魔だもん」


 キャロンは驚いていた。教師が魅惑をかけようとしてきたことも、二回とも回避出来たことも、だからあのときレオナルドが止めに入ったとようやく分かったことも。


「その、デヴォン先生はどうして?」

「半魔の淫魔で珍しい形をしているから、かな? 研究者の血が騒ぐとか物騒なことを言われた気がする」

「……なかなか怪しい御仁だとは思いましたが。そうですか。昨日はウォーウルフ君も偶然図書館に?」

「うん、そうだと思う。デヴォン先生と因縁でもあるのかな」

「ふうん、偶然ねぇ……」

「そ、その、優しかったよ? 助けてくれたし」

 ライラの頬に朱が走ったのを、キャロンは見逃さなかった。

「ライラぁ、もしかして」

「えっ?」

「あの狼に気を許し、気になってますの?」

「えっ、あの、その、何だろう? びっくりしたからかな、ぎゅっとされたの思い出すとこう、ドキドキするんだけど」


「ぎ ゅ っ と さ れ た ?」


 キャロンは目を吊り上げ、一言一言区切るように言った。

「先生から引き離すために、だけど」

「ふぅーん、ふぅーん」

 キャロンは面白くない顔をし、その可愛らしい顔で舌打ちをした。

「あれ、キャロンちゃん。そういや狼って言った? なんでそこに狼さん……」

「! ウォーウルフ君は大狼族ですから、そう言っただけですわ。見るからに狼っぽいですもの、ほほほ」

「そっか。ってことは、狼になることもできるんだよね? どんなのだろう。キャロンちゃんも猫になれるんだよね」

「え、ええ。本来の大猫と、簡易の小さな猫にもなれますわ。ウォーウルフ君もきっとそうだと」

「へぇ。そうだ、あの匂い……狼さんと似てるんだ。大狼族だからかな?」

「匂いって?」

「レオナルド君の匂いが、森の狼さんの匂いに似てたの」

「へぇぇぇぇ」

 キャロンはやけに笑顔だった。


       〇


 昼休み。狼姿のレオナルドがいつもの場所に向かうと、邪魔なキャロンはおらずライラしかいなかった。一人で弁当を幸せそうに食べている。

『あの女は?』

「びっくりした! 気配消すのがうまいね狼さん。キャロンちゃんは断れない用事ができたみたいで、今日は来れないよー」

『ふうん』


 できればずっと来ないで欲しい、と思うレオナルドである。当たり前のようにライラの傍に腰を下ろす。ライラも慣れたようにふわふわの背にもたれかかった。


「今日のおやつはマフィンだ。狼さんも少しいる?」

『いつもおやつが入ってんのか?』

「うん。我が家のシェフは何でも作れるし、どれも美味しいんだよ」

 ライラがマフィンを割って差し出してくれる。レオナルドはライラの手を傷つけないよう慎重に咥えて咀嚼する。ライラも残りのマフィンを齧った。

「美味しいー! 狼さんの口には合う?」

『なかなか美味い』

「ふふーヨハンも喜ぶね、きっと」

『それはどうだろうな』


 おそらくライラのためだけに作ったに違いない。男、しかも魔獣のふりをしたようなクラスメイトには食わせたくなかっただろう。

 食べ終わったライラが狼に身を寄せた。ふわふわの毛に埋もれるように横腹に抱きつく。


「やっぱりさー、狼さんの匂いだね」

『何がだ?』

「クラスメイトにレオナルド君って魔族がいるんだけど、その人の匂いが狼さんと同じ」

 レオナルドは一時呼吸が止まった。落ち着け俺、落ち着け、と言い聞かせて深呼吸する。

『へ、へぇ?』

「レオナルド君て大狼族なんだって。ってことは、狼さんみたいな、そういう姿になれるんだよね?」


 もしかして全て分かった上で言ってるとか、ないよな? と内心かなり焦りながらレオナルドは平静を装う。


『大狼族だったら可能だな』

「どんな感じなのかなー。狼さんはウォーウルフ家のこと知ってる?」

『……』

 どう答えたものか。

「昨日も助けてくれてね、ちょっとびっくりした言うか、ドキっとしたと言うか」

『!』

 ドキっとした、という台詞に過剰反応し、ただでさえ焦りで早鐘を打っている心臓がさらにドクドクと音を立てる。

 レオナルドは最早平常心ではなかった。

『それってどういう――』

「あ、狼さん、マフィン残ってるよ」


 言うが早いか、ライラは狼の口元に残っているマフィンの欠片に唇を寄せた。そのままぱくりと口をくっ付け、舌で舐めとる。

 ライラにとって他意はなくとも、レオナルドからすると口付けされて、唇を舐められたも同然だった。

 レオナルドの臨界点だった。

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