第6話 明け方の来襲

 翌朝、まだ空が白み始めた頃だった。


「なんじゃ、これは!」


 宿を失くしてベンチでうとうとしていたありすは、頭上でとどろいた怒声に跳ね起きた。寝ぼけ眼であたりを見渡してみると、焼け落ちたお稲荷さんのお社前で仁王立ちをしている人影に気がつく。

 子どもなのか、ずいぶん小さい。しかしイマドキの子ではない。高い位置に結い上げた髪はきらびやかなかんざしと櫛で飾られ、日本史の資料集で見た赤と白がベースの古代風着物を着ている子だ。背を向けているので顔は分からないが、まさかこの子どもが怒鳴り声の主なのだろうか。

 ぼうっと後姿に見とれていると、その人影はばっと振り返ってありすを見据えた。

 美しい顔立ちをした幼い少女だった。まだ十歳かそこらか、あどけない雰囲気を残してはいるが、きりっとした目鼻立ちと細く流れるような軌跡を描く眉が、幼さよりも美しさを際立たせている。


「女! これはどういうことじゃ!」


 ドスの利いた声の主はやはりこの子だ。そしてやっぱり普通の子じゃない。寝ぼけた頭が一瞬でさめる。ユーレイである自分に向かって怒鳴ったということは、見えているのだ。


「ここの守はどこへ逃げた! あんのクソキツネ! 留守居も満足にできないのか。ただでさえ父様の結界が緩んでヤツが機会を窺っているというに。野郎、見つけたらかっ捌いて毛皮にしてやる!」


 焼け残った柱を蹴り飛ばすほど酷い剣幕にありすが言葉を失っていると、少女はまた彼女を睨んで口を開いた。


「で、女。お前はこんなところでなにをしておる。この社がこのような状態になっておるわけを知っておるのか? 知っておるならばさっさと話せ! まさかお前がやったのではあるまいな? ヤツの手のものか?」

「え、あのっ、これは、その……」

「なんじゃ、まだるっこしい。はよう話せ」

「や、その、これは実は、昨夜、ちょっとしたアクシデントで火事になってしまって……」

「火事が起こったなんてことは見れば分かる。なぜ、どうしてそんなことが起こったのかと聞いておるのだ」


 小柄な少女とは思えない迫力に圧倒され、ありすはしどろもどろになりながら昨夜の出来事を説明した。


「では、その童らが我が社にいたずらに火をつけたということか」

「……っは、はあ、まあ、火がついちゃったのは悪い偶然というか、事故というか」


 ひょっとしたら自分のせいかも、というところは言葉を濁す。言ったら、何か恐ろしい目に合わされそうな予感がした。

 ふむ、と少女は腕を組んでうなる。眉間に深いしわが寄り、その深刻そうな表情にありすは思わず姿勢を正した。

 しかし少女はすぐに何かを思いついたようにありすの顔を見上げた。


「社が燃えた理由は分かった。では、そなたは何故ここにおるのだ。生霊ならば生霊らしく、はよう器に戻ればよいものを」

「はい? 生霊?」


 ありすは目を丸くした。あのキツネは自分を死んだ霊だといっていなかったか。


「なんだ、わからんのか? そんなに意識のはっきりした死霊はおらん」

「だ、だってあのキツネ、ってかお稲荷さんがわたしのこと黄泉の子って、死んでるって言い方してたし。てっきりもう死んじゃったものかと」

「お稲荷さんだと? あのキツネが?」

「え? ちがうの……? だってあのキツネさん、ここをオレのお社っていって、わたしを永久就職させてやるから留守番してろって……」


 少女の形の良い眉が釣りあがった。険しくなっていく表情に、まずいこと言っちゃったかもとありすが口を閉じるが遅い。


「我が社の主を騙った挙句に永久就職だと、あの嘘つきエロキツネ……。絶対許さぬぞ……」


 焼け跡を睨みつける少女の瞳の奥に、めらめらと炎が揺れる。オーラというものが見えるのであれば、少女全体が赤いものに包まれているような、そんな雰囲気だ。


「あ、あの……じゃあ、あなたは……?」


 おそるおそる尋ねるありすに、少女はため息をついた。


「本当にこの社の稲荷がキツネと思っていたのか? 近頃のヒトの子はものを知らぬのか」

「……だって、お稲荷さんってキツネのイメージだし、どこいってもキツネの像がある感じだったし……」


 がっかりしたような少女の様子に、ちょっと申し訳なくなって語尾が濁る。しかたない、といった風に首を振ると、少女はありすに向き直った。


「まあ、ヒトの子が詳しく知らぬのも無理はない。我はここをはじめとする全国津々浦々の社で稲荷として祭られておる、ウカノミタマというものだ。そなたらヒトの子からみれば、神ということじゃ」


 ウカノミタマ。そう名乗った少女はお社の焼け跡を振り返った。


「白キツネは我が遣いとして、それぞれの社の守についてもらっておる。そなたを雇うといったキツネも、我が眷属の一人。ここの守として我が遣わしたものだ」


 つまり、と少女は続ける。


「そなたを永久就職させるかどうかも、あやつにはなんの権限もない。自分がサボりたいがために主を騙った不届きものじゃ」

「じゃ、じゃあ、わたし、帰れる……? 死んでない……?」


 少女は無言で頷いた。


「無論じゃ。生霊なれば、はよう自分の身体に戻るが良い。戻ればこのことは忘れるだろうが、あの詐欺エロキツネは我からきつく折檻しておこう」

「あ、ありがとう!」


 だた、と少女は付け足した。


「生霊となってから、何か口にしてはおらぬだろうな? 霊の身体でこちらの食物を食っては、現世の身体が受け付けぬぞ」


 ありすはこくりとうなずいた。この状態になってから空腹を感じていないし、なによりここから出られなかったので物を食べるなんて考えもしなかった。


「ならばはよう帰るがよい。我はこれから忙しい」


 しっしっと手を振るまねをする少女に、ありすは軽く頭を下げて鳥居へ向かって駆け出――せなかった。


「食べちゃった!」

「なに?」

「わたし、食べちゃった! あのキツネからあめ玉みたいなのもらって、最初に食べちゃったし!」

「なんだと?」

「最初の日に、わたし自分が死んだと思ってパニくって、そしたらキツネが甘いあめ玉くれて、舐めたら落ち着いて、でっ」


 泡を食って説明するありすの様子に、少女の表情がまた険しくなった。つやのある黒髪が逆立って、怒りのオーラが見て取れるほどだ。


「た、食べたら帰れないの? どうしたらいいの? わたし本当に死んじゃうの?」


 一度「生きている」と知って、ありすは再び迫ってくる「死」にひどく狼狽えていた。希望を持って、また突き落とされるということがどれほどの絶望なのか、こんなことで理解できるなんて。じわりと両目が熱くなる。


「……そなた、名は?」

「ありす……」

「あやつに名を伝えたか?」


 こくりと頷いたありすを一瞥すると、静かに怒りのオーラを燃やす少女は大きく息を吸い込んで空を見上げた。


「くおらああああああああああ! こんのバカキツネ! 戻ってこいやあああああああ!」


 突風とともに少女のドスの利いた声が辺りに響き渡る。木々が震え、羽を休めていた鳥達が一斉に飛び立った。

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