第9話 魔法庁の事務次官

 魔法相続士協会に到着してすぐに向かった受付で、直人なおとは「小山内おさない事務次官に会いたい」と伝えた。

 すると、比較的愛想のいい受付係から、アポイントメントの確認を受ける。アポイントメントはない旨を伝えると、受付係は露骨に訝しんだ。


 その対応が気に入らなかったメルは、受付係に向かって、自分の名前を小山内に伝えるよう迫った。

 受付係は、しぶしぶ受話器を取り上げて、電話口に向かってメルに言われたとおりのことを丁寧に説明する。すると、みるみるうちに受付係の顔面が蒼白になった。相手に見えるはずもないのに、その場で腰を九十度に折り、これ以上ないくらいの謝罪の言葉を述べる。


 受付係が受話器を置くと、次の瞬間には小山内が直人たちの前にやってきていた。

 息を切らしながら現れた小山内は、ついさっきまでの受付係に負けないくらい平身低頭して謝った。


 直人たちは、腰を低くしっぱなしの小山内に第二の島セカンドアイランドでも随一の高級レストランに案内すると言われ、早々に魔法相続士協会を後にすることとなった。


「久しぶりだネ。小山内。元気にしているの?」


「これはどうも、ご無沙汰しております。お気遣い痛み入ります。私の方は、おかげさまで相変わらずです。まさか、第二の島こちらにいらしているとは……。一言おっしゃっていただければ、わざわざお越しいただかなくてもこちらから伺いましたのに……」


 メルは特に偉ぶることもなく、直人や冬華とうかに対してするのと同じように、気さくに声をかける。

 反対に小山内は、過剰なほどかしこまっており、その姿から魔法庁幹部の威厳は感じられない。辛うじて身に着けた仕立てのいいスーツのみがその威厳を保っている。


「まぁ、ボクも色々と見て回りたいからネ。そうだ。この店、チョコレートはあるのかい?」


「チョコレート……ですか? すぐに持ってこさせますので、少しお待ちください」


 小山内はメルの要望に応えるべく、近くに待機していたウェイターを手招きで呼び寄せる。そして、ウェイターの耳元で何かをささやいた。

 それをしっかり聞き届けたウェイターは、小声で「かしこまりました」と頭を下げると静かにその場を立ち去った。


 それから少しして、先程のウェイターが色とりどりのブロックをいくつか乗せた皿を持って戻ってきた。


「こちらの方に」


 小山内の指示を受けたウェイターは、顔色一つ変えずにメルの前に皿を置く。

 言葉を話す動物の前にチョコレートが乗った皿を提供するのだ。驚きがないはずがない。しかし、ウェイターはそんな様子はおくびにも出さず、自らの職務を全うする。


「それで、この度はどういったご用件なのでしょうか? 何か私にお話があるようでしたが……」


「うん。それは、ナオが話すヨ」


 突然指名を受けた直人は、慌てて居住まいを正す。

 相棒のメルが気さくに話しているからといって、自分まで同じように振舞うことはできない。一介の魔相士と魔法庁幹部というお互いの立場は、変わらない。相棒の存在とは無関係だ。


「私たちのために貴重なお時間をいただいた上に、このような場まで用意していただきましてありがとうございます」


 直人は不慣れながらも、最大限の敬意を払って頭を下げた。

 かしこまっているのは直人だけで、小山内の身分にピンと来ていない冬華と行定ゆきさだは、あっけにとられている。メルの態度と直人の態度、どちらの態度に追従すべきか判断しかねていた。


「ナオ。そんなかしこまらなくても大丈夫だヨ。小山内は、そんなに大した人物ではないし、別に怖くはないヨ」


「……おい、あんまり調子にのるなよ。相手は魔法庁の事務次官様だぞ。大した人物だよ。尊大な態度で接していいわけないだろ」


 直人は、小山内が目の前にいるのも忘れて、思わずいつもどおりメルを叱責した。一応、声のボリュームは抑えている。


「あ~、いやいや……。メルティオラ様のおっしゃるとおりです。私など、普通の人間です。少なくとも、この場では普段どおりで構いません」


 直人とメルの様子を見ていた小山内は、申し訳なさそうに頭を掻いた。冬華は、小山内の言ったことをそのまま言葉どおりに受け取った。


「それじゃ、遠慮なく!! ねぇ、おじさん。私から訊いても大丈夫?」


「お、おじっ……!?」


 冬華の言葉に、直人は上ずった声を漏らす。

 しがない魔相士の助手が、こともあろうに魔法庁の幹部を「おじさん」呼ばわりするなど前代未聞だ。直人は遠くなる意識を必死でこの場につなぎとめる。


「構いませんよ。どういったことをお尋ねになりたいのですか?」


 心配する直人をよそに小山内は、冬華のほうに顔を向けた。特に表情の変化は見られない。特別不快に思ったりはしていないようで、直人はわずかばかり安心する。


「おじさんさ、朝比奈皁あさひなそうっていう魔相士のこと、知ってる?」


「朝比奈……皁……。あなたがたは、朝比奈とお知り合いなのですか?」


 朝比奈の名前を聞いた途端、小山内の顔色が変わった。

 その顔にたたえていた、にこやかな笑みは消え、鋭い眼光で冬華を見つめる。睨んでいるというわけではないが、誤魔化しを許さない視線だった。


「知り合い……っていうわけではないですけど……。ちょっとわけありで……。ね? 直人」


 小山内の雰囲気が変わり、さすがの冬華も狼狽えたのか途中で直人に同意を求める。直人は「なんというところでパスを出すのだ」と怒りたくなる気持ちをぐっと堪えて、中途半端になった冬華の説明の続きを引き継ぐ。


「最初から説明させてください」


 直人の言葉に小山内は静かにうなずく。それに応えて直人も同じように一度だけうなずいた。


「私たちは、こちらの東条とうじょうさんからご相談を受けまして、この島までやって参りました」


 紹介するよう手を向けると、行定は丁寧に頭を下げた。


「このとおり、見た目は完全に猫です。それで、ご相談というのは、何かしらの魔法で猫の姿に変えられてしまったのではないか。そうであれば、元の姿に戻りたい。というものでした。事情を詳しく伺うと、姿が変わる前後に第二の島セカンドアイランドに来ていたらしいことが分かりました。それで第二の島こちらに参ったのですが、予期せず朝比奈先生の事務所を訪問することになりまして……。そこで朝比奈先生から、東条さんが猫の姿になっているのは自分の仕事の結果だ、と告げられたものですから、朝比奈先生について少し調べたほうがいいと考えて調査をしております」


 直人は緊張しながらも、できるだけ簡潔な説明になるよう心掛けて言葉を選んだ。小山内は直人が話す間中、「うんうん」とうなずきながら静かに聞いていた。


「なるほど……。実は、私が第二の島セカンドアイランドに来ているのも朝比奈の調査のためなのですよ」


 冬華の口から「えっ?」と驚きの声が漏れる。メルはある程度予想していたことなのか、顔色を変えずに小山内に尋ねた。


「やっぱり、小山内も朝比奈にがあるんだネ? それで、その調査っていうのは、なんの調査なんだい?」


「魔法売買です」


 小山内は即答した。


「……魔法売買」


 直人と冬華が声を揃える。


「つまり、朝比奈は魔法売買に絡んでいるってことだネ?」


 驚きを隠せない二人と違って、メルはいたって普段どおりだ。


「そのとおりです。これまでの調査から、ほぼ間違いありません。私が最終的に確認した上で、クロであれば懲戒にかけるつもりでいます」


「ふむふむ……。朝比奈が魔法売買をネ。やっぱりというか、なんというか。それなら辻褄は合うヨ。だいたいのからくりが見えてきたネ」


「どういうことだ? 俺にはさっぱり分からないぞ。朝比奈のしたっていうのが、魔法売買ってことか?」


「うん、うん。私も全然分からない。朝比奈が魔法売買に絡んでるってことと、ユッキーのこととどういう関係があるの?」


 一人だけ納得顔のメルに二人は立て続けに疑問を投げかけた。話題の中心にいながら、内容についていけていない行定は、黙って話の成り行きを窺ってる。


「二人とも本当に分からないのかい? ボクに分からないのは、どうして行定が魔法売買なんかに手を出したのかってことのほうなんだけどネ。予想では、たつみが関係しているんだと思うけど……」


「わしが!? 魔法売買に……ですか!?」


 見守っているつもりが突然最前線に引っ張り出されて、行定は困惑と驚嘆が入り混じった声を上げる。その様子から、全く心当たりがないのだと分かる。


「ちょっと、待て!! なんで今の流れから東条さんが魔法売買に手を出すなんて話になるんだ!?」


「証拠だってあるヨ」


 直人は驚きのあまり大声を上げるが、メルは全く意に介さない。冬華は目を見開き、行定は呆然としている。


「証拠!?」

 

「行定自身がその証拠だヨ。簡単な話じゃないか。行定が猫になったのは、魔法売買の禁忌に触れたからだヨ」


 直人や冬華、行定の反応もお構い無しに、メルは当たり前のことのようにそう告げた。

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