第35話

 バッカス王国の集団が現れたのは翌日の朝……というか2時間もすれば昼といった頃合いだった。

 

 

 私が掃除を早く終えてしまったので、厨房でランチの手伝いをしていた時に、犬の獣人さんが飛び込んできたのだ。

 

「バッカス王国のやつら、来たのはいいけどすんごく疲労困憊してるみたいでぐったりしてんだよ」

 

「あー、基礎体力がないとこの山キツいからなあ」

 

「一応日勤の兵士が万が一のために周囲を囲んでるけど、多分暫くは何も出来ないだろうな」

 

 

 バッカス王国の人たち、勇者と聖女じゃないのか?

 基礎体力がないって……よくそれで戦うつもりでやって来たなあ。無計画にもほどがある。

 

 ……聖女の力で何とかなると思ってたんだな多分。

 

 私がいるせいで、力が相殺されて相手も魔法が使えないんだろうし、普段から酸素の薄い山の上で鍛練をしているような兵士さんたちには恐らく太刀打ち出来まい。

 

 私も最初は何か空気が薄い感じがして少し呼吸がしづらかったが、慣れた。

 人間慣れというのは恐ろしい。

 

 そして、未だに3キロと減っていないだろう己の脂肪のしぶとさも恐ろしい。

 

 食事は減らしていたが、何しろ運動らしきものは1日数時間にもならない風呂や執務室の掃除だけだ。

 

 1日の仕事が終わるとレルフィード様と一緒に町に出ていたりしたが、ことあるごとにケーキだの蒸しパンだのパスタだのを食べさせようとするのだあの人は。

 

「キリは少しやつれてしまったようだ。さ、もっと食べて健康になれ」

 

 とあーんを強制的に発動させ、自分もあーんを求めるのでなかなか断りづらい。

 

 やつれたのではなく、ようやく食事制限で痩せつつあるのだと説明しても、

 

「ふわふわ感が減る。そんなに痩せたら倒れてしまうぞ。私はいつも美味しそうに食べるキリが好きだ」

 

 と聞きゃあしない。こんなに栄養分があるのに倒れるわけなかろう。

 

 お陰で痩せては戻され痩せては戻されのシーソーゲームである。確実にダイエッターの敵なのだが、レルフィード様が悲しそうな目をすると私も弱いのだ。

 

 こそこそ寝る前にストレッチもしているが、体が固いのが少しマシになった程度の地味な進歩である。

 

 こんな肉づきのいい聖女はこの世界で初めてではなかろうか。別にこの国に来る時に聖女になるつもりではなかったのだが、何となく申し訳ない気持ちになる。

 

 

「んー、この感じだと今すぐ争いらしい争いにはなりそうもないですし、話し合いで解決するのであれば、美味しいご飯は大事ですよねえ」


  

 人間、空腹だとどうしても心がささくれる。

 満腹で穏やかな気持ちで話し合いに臨むのが良いのではないか。

 

 私はふむふむと頷いた。

 

「キリさん、ウチの国に喧嘩売りに来た人間に飯を出すんですかい?」

 

 厨房のサブチーフが呆れたような顔をした。

 

「レルフィード様は争い事は好まないですし、私が陰から出来る事ってご飯作るぐらいですから。

 ジオン様が先日また運んできた野豚、まだ捌いたのが沢山ありますよね。

 うーん、手っ取り早く作れる豚丼でもしますか。

 ──ああすみませんが前線にいる方にも運びますので、バッカス王国側への伝達も含めてお手数ですがテヤンさん、レルフィード様に報告してどなたか前線に派遣して頂けますか?先走って争われても困るので」

 

 私は腕まくりをしてさっきの犬の獣人さんに告げた。

 

「全く、キリちゃんの頼みじゃしゃあないな。ちょっくら行ってくる。……俺の分も頼むぞ」

 

「大盛りにしときますね」

 

「おー、ありがてえ」

 

 ご機嫌で出ていったテヤンさんを見送ると、私は厨房の面々に向き直った。

 

「すみませんが皆さんもお手伝い宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げると、率先して冷蔵庫からブロックの豚肉をごんごんと取り出すのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「おーい、バッカス王国の人ー。責任者は誰だーい?」

 

 

 山頂まで何とか辿り着いたものの小川で勇者が転倒し、背負った食料が水浸しになったことで飯にもありつけず、空腹感と空気の薄さに戦う前からグロッキー状態で、町に抜ける森の出口で休止していたバッカス王国の面々に、マイロンド王国の兵士から声がかかった。

 

 正直身を潜めているので把握されるまでまだ時間はあると考えていた王子たちは、間抜けを通り越してかなりこっぱずかしい状況となっていた。

 

 

 森の中で声をかけられた時と同じ様にのんびりした声に、第1王子であるシルバは若干イラついたが、戦意のかけらもないほどぐったりしている勇者たちと聖女を見て、いま喧嘩腰になるのは得策ではないと考えるだけの判断力はあった。

 

「……私だ。バッカス王国の第1王子シルバである」

 

 立ち上がり名乗った。

 

 脆弱な敵の集団、アタマを倒せば一瞬でおしまいというこの時に、何を正直にいってやがるこの馬鹿王子は、と騎士団隊長のアーノルドは舌打ちしたくなった。

 

 シルバ王子はプライドが高いから、単純に王族をアピールすることで相手より一段上の立場であるという事を示したいだけなのだ。

 

「あー、シルバ王子さまですね。はいはいと。

 ウチのキリちゃ……我が国の聖女さまがですね、空腹だとイライラするだろうからと今昼飯を作ってるんですよー。私らの分を作るついでに皆さんの分もと仰ってるんですがー、お食べになるなら人数分ご用意しますので、何名様なのか教えて頂けますかー?」

 

 そんな思惑もサラッとスルーした兵士の問いに、

 

「戦う相手に塩を送ってどうするんだ。毒でも入ってるんじゃないのか?」

 

 疑うように返すシルバ王子に、伝達の熊の獣人と思われるガタイのいい兵士が苦笑して、

 

「いや、別に毒で弱らせなくても充分弱ってるみたいですし、今の状態でもウチの兵士が数名出れば倒せるぐらいですからねえ。いや、ウチの聖女の飯は本当に美味いですからオススメですけど、別に要らないなら──」

 

「誰も要らないとは言ってないだろう!!

 ──28人だ。水も欲しい!」

 

 デカい態度で威圧的に告げているが、腹がぐーぐー鳴っているのは相手にも聞こえているだろう。

 

 何とも様にならない戦いだ。

 そもそも戦以前の話だが。

 

 アーノルドは深い溜め息をついて、疲れ切って地面に大の字になっているオルセー王子と、木の根っこに腰を下ろして汗で流れ落ちた化粧を直している聖女ビアンカを眺め、よくこんな編成で勝てると思って来たもんだ……と雲ひとつない空を見上げるのだった。

 

 

 

 

 

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