第36話 確認作業
映画を観終わったら、感想を語り合うのが世の常らしい。
映画館を出た後、俺たちはどこか話ができそうな場所を探した。
訪れたのは若いビジネスマンや学生たちが集う、モダンでスタイリッシュなカフェだ。適度な活気もあり、お喋りや議論をするにはちょうど良い場所だった。
だが、俺は氷川と映画の感想を語るためにここに来たのではない。
本題はもちろん未翔の件だ。
ただ、話の取っ掛かりとして、まずは形式的に映画の感想を訊くことにした。
「なあ、今日の映画どうだった?」
どういった反応が返ってくるかわからないので、良い評価にも悪い評価にも同意できるようなフラットな問いを投げかけると、向かいに座る氷川はこともなげに手を動かしながら答えた。
「普通」
ホットコーヒーにミルクとシュガーを入れてスプーンでかき回す。混ざって色が変わったのを見計らってから彼女は一口啜った。
「それは褒めてるのか?」
俺も遅れてコーヒーをかき混ぜながら、自分の問いかけ以上にフラットな氷川の回答の真意を尋ねた。
「予想通りだった、という感じ」
先ほどよりはいくらかまともな答えが返ってきた。とは言っても、良いのか悪いのかは依然としてはっきりとしなかった。
これでも一応、俺は観る映画の下調べをしたのだ。今上映している人気作の中には甘くて切ないと評判の恋愛映画もあったが、氷川の趣味に合うとは到底思えず、いろいろ考慮した上で一番無難そうなアクション映画を推薦したという経緯があった。
「まあ、予想を裏切らなかったならいいか」
俺は自分自身を無理やり納得させるように呟き、ちらりと腕時計を見た。
あまり余計な話をしている時間もなさそうだ。さっさと目的を果たすとするか。
「未翔のことなんだけどな」
俺がその名前を出すと、カップを持つ氷川の手が一瞬止まった。
「第二の謎に関することで確認しておきたいことがあるんだよ」
「どうぞ、ご自由に」
こちらを一瞥してから、氷川は悠然とコーヒーに口をつけた。
「まずは先に話を整理しておく。間違ってたら言ってくれ」
俺は鞄にしまってあったレポート用紙を取り出した。
そこに書かれているのは、氷川の生徒手帳を未翔が見つけるまでの一連の流れを要約した文章だ。それを今、氷川本人の前で読み上げる。
「五月のある日、氷川は家に帰って生徒手帳を紛失したことに気づき、その翌日、休み時間を利用して教室などの思いつく場所を探し回った。だが手帳は見つからず、放課後も探そうとしていたところに、転校してきて間もない未翔が現れた。未翔は一緒に探すと言って候補の場所を訊いてきて、教室、剣道場、図書室と氷川が順番に挙げていったら図書室を選んだ。そのまま強引に図書室へ連れて行かれ、本棚の本と本の隙間から未翔は見事に生徒手帳を見つけた。こんな感じでだいたい合ってるか?」
「問題はないと思う。わたしの記憶との齟齬は特に見当たらない」
「そうか。じゃあ、これを前提に尋ねるが……」
いよいよ用意してきた質問を氷川にぶつけるときが来た。
「未翔が生徒手帳を発見する瞬間を見てたか?」
氷川の目の色が明らかに変わった。眼光鋭くこちらを睨みつける。
「どういうこと?」
俺はもう一度、今度は丁寧に質問の内容を言い直した。
「未翔が図書室の本棚の本と本の隙間から生徒手帳を発見するまでの一部始終を、目を離さずずっと見てたか?」
ここまで言うと、さすがに氷川は察しが早く、俺が言わんとすることにすぐ気づいたようだった。
「なるほど。そういうこと」
しかしながら、一瞬ひらめいた表情になった氷川の顔が再び怪訝な色に変わる。
「でも、どうして……」
疑問が浮かぶのは自然なことだった。
もし仮に俺の説が正しいと判断すると、次は動機のほうが問題となる。
だが、それについてはもうすでに見当がついている。
「氷川には想像つかない理由だよ」
俺がそう言うと、氷川は不満げな視線をこちらに向けてきた。
「なんなの、その意味深な言い方」
「事実を言ったまでだ。別に悪口じゃない」
実際、氷川のことを馬鹿にする意図は一切ない。氷川はとても賢く、かつ合理的な判断力を持っている。状況を冷静に分析し、行動に移すことのできる有能な人物だ。
しかし、その聡明さがときとして思わぬ盲点を生むことがある。
元来、人の行動というのはすべてにおいて論理的な説明がつくものではない。感情的な面に左右されて、他者にとって理解しがたい結論へと突き進んでしまうことがある。
未翔は見た目によらず、よく考えてから行動を起こすタイプの人間だった。
けれど、その論理の過程を決して人に見せたりはしない。誰にも相談せずに一人で悩んで考えているから、傍から見たら未翔の行動は突拍子もなく映る。
でも、そこには必ず彼女なりの意志があるのだ。
だからこそ、俺はそれを感じ取って理由を推測することができた。
「答えはいずれ発表する。無論、俺の考えが正しいのかはわからん。容認できるかはそのときに判断してくれ」
「あらかた推理はできてるわけね」
氷川が承知するように呟いたので、俺も小さく頷きながら言葉を漏らした。
「今日は確認作業だったからな」
たいした考えもないぼやきだったが、意外にも氷川は反応を見せた。
「……今日は確認作業、か」
「どうかしたのか?」
「別に。なんでもない」
気になる素振りを見せられたが、なんでもないと首を振られてしまえばそれ以上の追及はできない。
けれど、今はそれより未翔のことだ。そう思っていたら氷川のほうから尋ねてきた。
「あとの二つの謎はどうなの? 電話したとき、第一の謎は解決しそうだって言ってたけど」
「ああ、会澤とは電話があった前日に二人で会って、そのときに裏付けを取ったんだよ。だからもうすでに推理自体は完成した」
あの夜、会澤がランニング後に明かしてくれた秘密については、今はまだ公表しないでおこうと思った。それはいずれ推理を披露するときに適切な形で伝えられればいい。
代わりに笹本が提唱したもう一方の謎へと話を移す。
「それから、笹本の第三の謎はあと一歩ってところだ。一応それらしい推論はあるが、まだ自信を持って公表できる段階じゃない。できれば今日みたいに直接会って確認したいことがあるんだが、笹本のほうも忙しいみたいでな」
「それが終わったら発表してくれるわけ?」
「推理に大きな問題がないと判断したらだけどな。出てきた証言や証拠によっては考えが覆されないとも限らない」
今日、氷川と会ったことによって、第二の謎についての考察も無事まとめられそうだ。
だから、残すは第三の謎。未翔が未来の集合写真の光景を絵に描くことができた秘密に迫る。
「いずれにしても、まだ多少なりとも時間がかかるってことだ」
「それまで待ってろっていうの?」
「なんだよ、嫌なのか?」
「いや、別に。石狩がそれでいいなら、わたしはとやかく言える立場じゃないし」
氷川は憮然とした態度でコーヒーをすべて飲み切り、カップをがしゃんと皿の上に置いた。
「このあとわたしは本屋に寄って数学の本を見るけど、石狩はどうする?」
もうここには用がないと言うように視線でプレッシャーをかけてくる。
だが、本屋に行っても欲しいものはない。
欲しいと思っていたものは、すでにCDショップで手に入れてしまった。
今の俺がすべきことは一つ。未来人の謎への挑戦だ。
今後、氷川と一緒にいる必要はなくなった。
「俺は帰る。検証もいいところまで来てるからな」
ここまで来て誰かに先を越されたくはない。
俺がずっと一人で取り組んで構築してきた証明を、途中で誰かに奪われてたまるものか。
「そう。頑張ってね」
他人事のような冷たい言い方だった。氷川という人間は昔からずっとそうだ。
だから、今更怒ることも突っ掛かることもない。
「ああ、言われなくてもやるよ」
俺は顔も見ずに返事をした。氷川はそれ以上何も言ってこなかった。
話し合いはあっけなく終了した。
カフェを出ると、俺たちは形だけの挨拶をしてその場で別れた。
都会は今日も人で溢れかえっていた。目の前の道をベルトコンベアのように人が流れる。俺は駅へと向かう流れに感情を無にして飛び込んだ。
別々の方向へ歩き出してしまえば、先ほどまで一緒にいたとしてももはや他人同士。
振り返っても、おそらくお互いの姿はもう見えない。
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