第26話 林間学校三日目(林間学校の終わりに)
林間学校三日目については、特に大きなイベントがあったわけでもなく、覚えていることもあまり多くはない。
朝は二日目と同様、パンや卵などが配られて、それらを使って班ごとに朝食を作って食べた。前日との違いといえば、支給されるパンが食パンからロールパンに変わったくらいだ。
調理及び食事が終わると、もう使用することのない炊事場の大掃除をした。毎回食事後には後片付けをしていたが、最後なので汚れやゴミを残さないように念入りにチェックした。借りた調理器具の返却やかまどの点検なども忘れずにやった。
その後は各部屋に戻り、バンガローの清掃を行った。一日目に一人で運び入れた布団を今度こそは全員で協力して貸出所に返却し、室内の壁に一本だけかけられた箒を使って畳の床に落ちたゴミを掃いた。同時に荷物の整理も行い、いつでも出発できるような状態にした。
部屋に散らばっていた様々なものがきちんと処理され整頓されてくると、なんだか少し寂しいような気持ちになった。二泊三日の間過ごした場所が、いつの間にか自分たちだけの秘密基地に思えていたのかもしれない。最初は「なんにもない」なんて感想を抱いたくせに、離れるときには思い出がいっぱい詰まった空間になっていた。
午前中の残りの時間は、報告も兼ねた最後の部屋長会議で終わった。係などの仕事がなかった人たちは、まだ行ってなかった地帯を散策したりだとか、なんか思い出作りに謎の決闘を繰り広げたりだとか、そんなこともあったらしい。
そして正午、生徒たちはグラウンドに集合して最後のお昼ご飯を食べた。キャンプ場を離れるときが近づいていたから、弁当と一緒にそこにある空気も忘れないように味わった。
閉校式は同じ場所で午後一時からだった。
班ごとに整列だったので、会澤を先頭にして俺はその次に並んだ。荷物の置き忘れは散々確認していたが、そこでも俺は鞄の中身をチェックしていた。
「翔くん、何か忘れ物?」
式が始まる前、後ろにいた未翔に訊かれた。行きのときとまったく同じ質問だった。
「いや、確認してただけだ。特に問題はない」
だから、俺もまったく同じ返事をした。未翔も同じやり取りをしていることに気づいていたようで、答えを聞くとおどけるように笑った。
そういえば、未翔とこの日会話したのはここが最後だったかもしれない。
朝の調理のときに少し喋って、それで閉校式の前のこの場面。帰りのバスに乗り込んでからは席も離れていたし、学校に到着後は流れ解散だったから話す機会がなかった。
三日目の新島未翔の様子は、いつもと変わらず至って普通だった。
実は朝、彼女と会うまで、俺は妙に緊張していた。昨日の今日だから、どんな顔していけばいいんだろうなと大真面目に悩んでいた。
でも、未翔は俺を見つけるとすぐに近づいてきて、いつも通り「おはよう!」と明るく挨拶してくれた。
その姿があまりにも自然だったので、俺もできるだけ意識せずに挨拶を返した。どこまで平静を装えたかはわからないが、彼女はいつもの爽やかな微笑みを残して踵を返し、今度は他の人のところに駆け寄って同じように元気に話しかけていた。
そんな様子を見ていたら、まるで昨日の夜起こった出来事が夢か何かだったのではないかと思えてきた。
バンガローを抜け出して二人で星空を眺めながら語り合ったことが、すべて俺が見た夢の話で、未翔には同じ記憶がないのだとしたら。
そのことについて確認する瞬間はついに来なかった。
林間学校が終わって普段の学校生活に戻ってからも、お互いにその話題を口にすることはなかった。
もし、当時の彼女の心の中を覗けたなら、この夜のことについてどう思っていたのか知りたい。
二人で一緒に居たことが記憶としてちゃんと刻まれていて、その後の日常の中でも失われずに残っていたのか確かめたい。
林間学校の閉校式については、実行委員長の司会のもとで無事に執り行われた。
式の後、クラスごとに順番にバスへと乗り込み、とうとう三日間過ごしたキャンプ場を出ていくときが来た。
帰りも先頭だった二年一組は一番早くに準備をして去らなければならず、とても残念な気持ちになった。できれば一秒でも長く居たかった。
帰りのバスが走り出してからのことはそれほど思い出せない。
行きと違って確かレクはなく、席の近い人同士、それぞれ自由に自分たちの林間の思い出話を語っていたような気がする。
けれども俺は寝不足気味だったせいか、隣の会澤に断って、ほとんどの時間を睡眠に費やした。ずっと寝ていたせいで何も覚えていないとも言える。それくらい疲れていた。
ただ、それでも一つだけ強く印象に残っていることがある。
バスは夕方、途中の休憩を挟んでだいぶ長い距離を走行していた。窓際に座っていた俺はバスの揺れで目を覚まし、微睡みながら外の景色を眺めていた。
その最中、突然ふと思ったのである。
――帰ってきた、と。
何かを見てそう思ったのか、あるいは街並みから総合的に判断したのか。それははっきりとしない。しかしながら、抱いたその感覚だけは不思議なくらいに確かなものだった。
そして、そのとき同時に俺は気づいてしまったのだ。
もしかしたら新島未翔には、この「帰ってきた」という感覚が存在しないのではないか、と。
***
しおりを閉じると、すべての懐かしい光景は消え、明け方の部屋に俺は一人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます