第16話 林間学校二日目昼(ウォークラリー 吊り橋)

 林の途中に一本の吊り橋があった。


 吊り橋の少し手前には上田先生が立っていて、そこが第二チェックポイントだった。


 ちなみに、その前にあった第一チェックポイントでは数学の先生による計算問題が出題され、氷川が即答した。俺だってもう少し時間があれば……と言い訳はいくらでも浮かぶのだが、まあそれはいい。


 上田先生は俺たちを見つけると、嬉しそうににやりと笑った。


「待ちわびたぞ」


 大げさな台詞とともに、先生は腕を組んで偉そうにふんぞり返る。芝居がかったその様子を見て、氷川が一瞬顔をひきつらせたのを俺は見逃さなかった。担任であり顧問でもある先生にその反応は如何なものかと思わなくもなかったが、氷川はあまりそういうノリを好まないだろうし致し方ない。


 ……けど、だとしたら隣同士だったバスの時間はどんな雰囲気だったんだろうな。


「チェックカードは持ってるか? スタンプ押さなきゃいけないんだ。役目だからな」


「先生、課題は?」


 この頃には会澤はすっかり機嫌を直しているように見えた。元気よく首から下げたカードを手渡すと、受け取った先生のほうはツルツルの頭を掻いて苦笑した。


「散々俺も考えたんだけど、体育の課題って案外思いつかなくてな。今ここで運動させてみんなを疲れさせてもしょうがないし。というわけで、安全に吊り橋を渡ってくれればそれで構わん」


 迷いを打ち消すように勢いよくスタンプが押され、カードは会澤の手に戻った。


「吊り橋ってそんなに危険なんですか?」


 今度は横から未翔が見上げて質問した。問われた先生はゆっくりと考え込んでから口を開いた。


「安全面は充分配慮されている。心配はいらない。けれど、怪我や事故は油断したときに起きるものだ。だから、危険が絶対にないとは言えん」


 存外真面目な表情で語られ、俺たちは固唾を呑んだ。


「なぁに、そんなに怖がることはない。ちょっと脅かしただけだ。せっかくの機会だし楽しんでこい。景色だって綺麗だぞ」


 緊張をほぐすような豪快な大人の笑い声が響いた。


「じゃあまたあとでな。気をつけて渡れよ」


 先生は威勢よく手を挙げ、次なる生徒を待ち構えるべく俺たちに背を向けた。


 上田先生と別れ、俺たちは吊り橋の前まで歩いた。


 そこで一旦足を止める。横幅が狭いので渡る前に一列になることに決め、すっかり調子を取り戻していた会澤が先頭を務めることになった。そのすぐ後ろに未翔がつき、真ん中が笹本、四番目が俺、氷川が最後尾という並びになった。


 五人で列になって渡り始めると、空中に架けられた橋は見た目の予想以上にぐらぐらと揺れ、足元が不安定なのはこれほど恐ろしいことなのかと身をもって実感することになった。正直なところ、未翔が起こした蛇ドッキリよりも怖かったし、心臓がいつもよりもバクバクと鳴っているのが感じられた。


 けれども、与えられた状況はみんな同じだった。


 ふと、目の前を見ると、笹本の足取りがおぼつかないように見えた。


「大丈夫か?」


「えっ? あ、うん。大丈夫」


 笹本は驚いた様子で振り返り、上ずった声を誤魔化すように咄嗟に笑顔を作っていた。


「悪い。逆に脅かしちゃったか」


「ううん。そんなことない」


 早口で答えた笹本は前方に向き直りながら足元に視線を下ろし、そのまま確認するように問うてきた。


「かなり揺れてるよね、この橋」


「多分な。平衡感覚がだんだんおかしくなってきたけど」


 揺れている状態がデフォルトになると三半規管がうまく働かなくなって、橋が揺れてるんだか自分がふらふらしてるんだかわからなくなる。そのどっちなのか判断がつかない状態が最高に怖い。


「そうだね。……でも、ちょっと楽しい」


「意外だ。笹本はこういうの平気なタイプだったのか」


 俺が呟くと、笹本ははっとなって振り返った。


「あっ、いや、いつもは苦手、なんだけど……」


 慌てて否定され、なぜか笹本は顔を背けてしまった。理由は判然としなかったが、彼女なりにこの状況を楽しんでいるようではあったので、俺は安心材料を加えておいた。


「まあ、どんなに揺れても橋は落ちないだろうしな」


 半分は自分に言い聞かせるためだったが、笹本のほうも「そうだよね、橋は落ちない」と微笑んで深く頷いていた。


 そんな話をしているうちに、橋のちょうど真ん中まで辿り着いた。俺たち五人の足は景色を見るためにそこで止まった。


 高さのある吊り橋からの眺めは圧巻だった。


 下を流れる大きな川には太陽の光が反射してキラキラと青く透明な光が輝き、ぐるりと周りを見回せば両脇を囲む広大な雑木林の緑が川に沿ってずっと奥まで続いていた。そして、上へと繋がる空には青く澄んだ世界が遥か彼方まで際限なく広がっていた。


 今まさに冒険の途中なのだと、そのとき俺はふと感じた。


 ルートは決められていて、チェックポイントもあって、どこへでも行ける旅とは当然違うけれど、五人で行くこの冒険は果てのない銀河を行くようにどこまでも自由だった。

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