第14話 林間学校二日目朝(起床〜ウォークラリー開始前)
二日目の始まりは透き通るような朝とともにやってきた。起床時間の六時に目を覚まし、身支度を整えて外へ出てみると、澄んだ風と一緒に眩い光の線が飛び込んできた。
木々に囲まれたその場所では、空気も音も光もみんな生き生きとしていた。余計な不純物がなくて、生まれたばかりの無垢な赤ん坊のように、柔らかくて温かくて、強くてしっかりとした生命の息吹を感じられた。
そのときの俺はただひたすら感動していた。言葉に直そうという努力を放棄し、その世界になすがままに身を任せていた。
今になって言葉にしようとして、それがひどく難しいことであるということを理解した。
完璧な朝は調和なのだ。
どんな言葉でその光景を説明できるだろうか。
朝食の時間になると、食パンが一人二枚支給された。ハムと卵も渡された。あとは前日に料理コンテストが開かれた炊事場を利用して、班ごとに調理を行うことになっていた。
悩みどころは卵をスクランブルエッグにするか目玉焼きにするか、くらいなものだったが、未翔が必殺技を叫ぶみたいに「スクランブルゥーエッグッ!」と拳を突き上げたためにスクランブルエッグとなった。もしこれが「めだまぁーやきっ!」だったら目玉焼きだったのだろうが、いかんせん語呂が悪い。「ゆでたぁーまごっ!」もいまいちだ。
朝食の後は部屋に戻って、ウォークラリーのための荷物の整理を始めた。
二日目の朝から夕方頃まで行われるウォークラリーは、班のメンバーとともにキャンプ場を飛び出して雄大な自然の中を歩き周り、チェックポイントごとに先生たちから出題される課題をすべてクリアしながらゴールを目指す、という大掛かりなものだった。
集合及びスタート地点は前日も利用したキャンプ場内のグラウンド。準備のできた生徒たちからぞろぞろとバンガローを出ていった。
ちなみに、ウォークラリーの服装は学校指定のジャージと定められていた。ジャージの色は三色あり、入学した年度によって決まる。俺たちの学年はグリーン。蠢く緑の集団が大きなグラウンドを占領していった。
「……ウォークラリーってどんな感じなんだろうね?」
徐々に騒がしくなるグラウンドを眺めていると、行動班の女子三人の中で唯一到着していた笹本が、緊張感を漂わせながら俺に話しかけてきた。未翔と氷川と笹本はそれぞれ別の部屋に分かれていたので、バンガローからグラウンドまでの移動も別だったのだろう。一人先に来てしまった笹本は話し相手がいなくて戸惑っている様子だった。
「歩く範囲は結構広いみたいだけど、迷ったりすることはおそらくないんじゃないか」
答えながら、俺はリュックからしおりを取り出した。ウォークラリー用の地図が載ったページを開くと、笹本がかけていた眼鏡の位置を直しながら体を寄せて覗き込んできた。俺は地図上のチェックポイントを一つずつ指で指していく。
「これを見ると分かれ道のところがチェックポイントになっていて、先生たちが各点で見張っていることになる。迷子にならないために配慮されてるんだよ」
「すごい、わたし全然気がつかなかった。……石狩くんって他の人が見えていないことによく気がつくよね」
「大したことないだろ」
そのときは大袈裟に褒められたことが恥ずかしくてそう呟いた。
だが、もし同じことを今言われたとしても、俺は同じ台詞を述べるだろう。そこに込められた意味はまったく違うけれど。
……本当に、そんなのは全然大したことじゃない。
集合時間が近くなると、他の女子二人も無事に合流した。基本的に俺たちの班のメンバーはみんな真面目で、こういうときに遅刻することはなかった。
点呼の後、ウォークラリーの諸注意の話が実行委員や先生からあって、それから各班にチェックポイントで提示するためのチェックカードが配られた。
「これ貯まったら何かと交換できるかな」
班長として受け取った会澤はニヤニヤしながらチェックカードを青空にかざしていた。
カードにはスタンプが押せるように七つの枠があった。無論、貯まっても何か商品と交換できたり、願いが叶ったりすることはなかったのだが、ゴールの条件が「すべてのスタンプを集めてゴール地点にいる先生に見せること」だったので、絶対に紛失してはいけない大事な代物だった。
だから、俺はこのときに念のため注意した。
「失くすなよ。ゴールできなくなるぞ」
「わかってる。ちょっと待って。ほら、この通り」
チェックカードは管理用に一緒に配られたカードホルダーに入れられ、会澤の首から下がっていた。自信満々に胸を張る会澤はよほどそれが気に入ったのか、何度も「ほら見てよ」としつこかったので、俺は「よかったな」と適当にあしらってしまった。
ウォークラリーの出発時間は一組の一班から順番に二分ずつずらされていて、三班だった俺たちは一班が出てから四分後に出発した。一班のメンバーの歩く速度が時速何キロで……みたいに話を続けると数学の文章問題になってしまうが、実際追いついたり追い越したりしてはいけないとかそういったルールはなく、自分たちの好きなペースで進めばよかった。
試されていたのはゴールまでの速さではなくて、班としての団結力だ。
誰一人はぐれることなく、班のメンバー全員でチェックポイントを回り、ゴールを目指すこと。それがこのウォークラリーの目的であり意義だった。
まとまりという意味では、俺たちの班は非常に模範的だった。前述の通り、班員は全員真面目で言われたことは守るタイプだったし、仲が悪いということもなかったので途中で喧嘩して別行動をとってしまうような心配も少ない。教師側からしたら、俺たちは比較的手のかからない安心な班だと認識されていたはずだ。
仲の良さについてもう少し話をしておくと、これはもしかしたらどこかで触れたかもしれないが、俺たちは「特別仲の良い五人組」というわけでは決してなかった。
例えば、学校の休み時間での過ごし方を思い返してみる。
まず、俺はだいたい会澤や他の男子たちと一緒にくだらない話で盛り上がっていた。
女子と話をする機会がまったくなかったわけではない。でも、積極的に会話をしに行った記憶はなかった。ほとんどいつも男子同士で駄弁っていて、氷川や笹本や未翔との休み時間の会話というのは思い出してみても実はそれほど多くはない。
会澤も多分俺と似たような感じだった。
俺よりアクティブでやんちゃな会澤だったが、女子相手にはいくらか遠慮するところがあったので、氷川とも笹本とも、それから転校生の未翔とも、そんなに積極的に絡みに行っているところは見なかった。俺と同じようにきっかけがあれば会話をする程度だったと思う。
では、女子三人の休み時間はそれぞれどうだったか。
初めに氷川。一人で本を読んでいた。以上。
いや、これでは些か説明が乱暴だが、俺に圧倒的なインパクトを与えた生徒手帳の精読も含め、氷川はいつも何かしらの本を読んでいた印象がある。周りの女子たちがみんなどこかのグループに所属しようと必死だったのに、そんなことは気にもとめずに姿勢を正して読書をする氷川の姿は凛々しく、仲間外れというよりは男子からも女子からも「すげぇ」と一目置かれる存在だった。
それに対し、笹本は至って普通の目立たない女子生徒だったと思う。
でも、一人でいる場面というのはあまり見たことがなくて、休み時間はおとなしそうな女子たちといつも一緒に楽しげにしていた。彼女とは中一のときも同じクラスだったのだが、一年生のときもちゃんと集団に入って和やかに過ごしていた。消極的な性格だけれど、話の合う仲間を見つけるのは上手だったのかもしれない。
そして、最後は未翔。
イメージとして最初に湧いてくるのは、どのグループにも楽しそうに笑顔で話しかけていた姿だ。男女問わず、華やかとか地味とかそんなのも関係なく、未翔は興味を持ったものに果敢に近づいていった。俺や会澤が盛り上がっているところに突然入ってきたこともあったし、笹本がいたグループにも自然に取り入っていたのを何度も見たことがある。驚くべきことに、みんなが萎縮して遠巻きに眺めるのが常だった氷川に対しても、同じようなスタンスで近づいて話しかけていた。どんな会話をしていたのかは知らないが、氷川も嫌そうではなかったし、笑った未翔の表情も取り繕っているふうではなかった。
俺たちが同じ班になったのは偶然だ。そう考えるのが自然でそこに特別な理由なんてない。
だが、仮にそこに何らかの因果関係を見出すとすれば……。
俺たちを繋いでいたのは、間違いなく新島未翔だ。
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