第12話 林間学校一日目夜(料理コンテスト)

 決戦となる炊事場に生徒の群れ。班ごとにまとまって調理開始の合図を待つ。


 七月の夕方、地元とは平均気温が五度も違うこの地域は普段よりも肌寒いはずなのに、高まる熱気のせいか寒さはほとんど感じなかった。


 料理コンテストのルールは単純だった。班のメンバーで協力して夕食を作り、それを審査員である先生方が試食して十点満点で点数をつける。合計点上位三つの班まで発表されて表彰されるので、そこを目指して料理バトルといった感じだ。


 ただ、勝負よりも大事なのは自分たちの料理を楽しく作ることだった。失敗しないようにと緊張し過ぎて疲弊してしまっては元も子もない。楽しければ、食材が黒焦げになったって、ご飯がベチョベチョになったって構わないのである。


「それでは各班、調理を始めてください」


 先生の号令がかかり、待ちに待った楽しい真剣勝負が始まった。


「さぁ、作るよ。未翔のスペシャルハンバーグ」


 早速、水道で手を洗った未翔がタオルで水滴を拭き、気合い充分に宣言した。


 このなんだか口に出すのが恥ずかしい『未翔のスペシャルハンバーグ』というのが、俺たちが出品する料理のタイトルだった。作る料理とタイトルは各班事前に考えてあって、それはしおりの料理コンテストのページにも堂々と掲載されていたが、班長でもない班員の名前をこんなにも大々的に打ち出したタイトルは他になかった。


 どうしてこんな題名になったのか詳しい流れは思い出せないが、確か未翔がスペシャルなハンバーグを作ろうと言い出して、タイトルまで勝手に決めてしまったのだ。


 俺たちは基本的に未翔の意見を否定しなかった。班長の会澤も、彼女と仲の良い笹本も、他人に興味の薄い氷川も、未翔の言うことには文句なく従う。


 それは俺たちだけじゃなくて、クラスの奴らだって同じだったと思う。


 そんなふうにみんなを納得させる不思議な人徳が未翔にはあった。


「それにしてもなんでハンバーグにしたんだ?」


 ふと疑問に思って、俺は手を洗い終えた未翔に尋ねた。彼女はよくぞ訊いてくれましたと胸を張り、得意げな表情で俺のことを見つめてきた。


「みんなが好きだからだよ」


 確信の伴った瞳が絶対的で肯定的な説得力を生む。


 でも、一応ここは反対意見も提示しておこうと俺は質問を続けた。


「嫌いな奴もいるんじゃないか?」


 すると、未翔は少し俯いて「違うよ」と小さく首を振った。


「翔くんは笑った顔と怒った顔、どっちが好き?」


「なんだよ、その質問?」


「いいから。ね、どっち?」


「そりゃあ、まあ笑った顔のほうが……」


「でしょ? そういうことだよ」


 うんと頷き、一致した答えに満足するように口角を上げた。愛嬌のある八重歯混じりの笑顔と真っ直ぐな瞳が眩しかった。


「だからね、わたしはみんなが笑顔になるようなスペシャルなハンバーグを作るの」


 未翔は決意を固めるようにぐっと両手の拳を握った。


 やっぱりよくわからねぇな、と俺は思った。ハンバーグである必要はあるのか? オムライスじゃダメなのか? と変な疑問ばかりが頭に浮かんだ。


 でも、それよりも一つだけどうしても言っておきたいことがあった。


 先ほどの彼女の台詞で唯一訂正したいと思ったところ。わからないけれど違うと思った箇所。


「あのさ……」


 俺は一人で意気込む未翔にそっと声をかけた。


「スペシャルだかなんだか知らないけど、そのハンバーグを作るのは俺たち五人だからな」


 別に手柄を分けてもらおうとかそういうつもりはなかった。ただ一緒に作りたいと感じたのだ。みんなを笑顔にするハンバーグを作るのは未翔一人じゃなくて、俺たち班のメンバー全員だということを言いたかった。


 予想外の言葉だったのか、未翔は口を半開きにしてぽかんとこちらを見ていた。


「いや、なんていうか同じ班なわけだし……」


 あんまりに無防備な表情で見つめられたので、こちらとしても二の句が継げずにしどろもどろになってしまった。


 そんな様子を見て、ようやく未翔はふふっと笑った。


「ありがとう。そうだよね、忘れてた」


 頬を緩ませ、少し離れたところで調理道具や食材の準備をしていた班員たちを見回す。


「わたしたちで作ろう。今夜限りのスペシャルなハンバーグ。さぁ、翔くんも手を洗って。一緒に準備しよう」


「了解」


 うまく説明はできないけれど、これでいいと思った。


 その後、本格的な調理が始まると、俺たちは目まぐるしく炊事場内を移動した。特別誰が何をするというのを予め決めていたわけではなかったので、状況に応じて周りの様子を見ながら判断することが求められた。


 ひとまず、俺は食材を切る役目に就いた。玉ねぎのみじん切りに始まり、付け合わせで使うにんじん、じゃがいも、ブロッコリーなどのカットを慣れない手つきで行っていった。


 包丁とまな板は各班に二つずつ貸し出されていて、俺の隣では黒いエプロンを着用した氷川がトントンと軽快な包丁さばきを披露していた。


「さすが剣道部。切るのうまいな」


「関係ない。別に真剣を使って稽古してるわけじゃないから」


「わかってるよ。冗談だ」


 言う相手を間違えたなと反省し、素直に褒める方向へ舵を切る。


「でも、包丁の扱いに慣れてるところを見ると、普段から料理してるだろ?」


「一応は。親がやるのを手伝う程度だけど」


「勉強だけじゃなくて料理までできるのか」


 嫉妬ではなく完全に尊敬の意味を込めて言ったのだが、引っかかる部分があったようで、氷川は作業する手を止めた。


「そんなにできない。むしろ料理は不得意なくらい。前に家の食事を一人で作ったときに親にも言われたし」


「なんて言われたんだ?」


「味気ない」


 さらっと繰り出された言葉に俺は思わず吹き出した。


「笑った?」


「いや、笑ってない。……ごめん、笑った。親の感想ストレートだな」


「レシピ通りにきっちりと作ったんだけど、両親が求めていたものとは違ったみたい」


「ああ、でもなんかわかる気がする。親が食べたいのはレシピに沿った完璧な料理じゃないんだろうな」


 親が子供に期待することなんてだいたい決まっている。極端な話、料理だってちょっと不味いくらいがちょうどよくて、不慣れで失敗しちゃったけど親のために一生懸命作りましたっていうほうが喜ばれたりする。


「わたし小六までピアノ習ってたんだけど、そこでもピアノの先生に同じようなこと言われたの。譜面通りに弾くだけじゃ面白くない、って」


「何かが足りないってことか」


「きっとそうなんでしょう。けれどわたしには全然理解できない。だから、料理もピアノも苦手なわけ」


 氷川は素っ気なく言い放つと、包丁を持ったままの手を再び動かし始めた。


 彼女を見て料理が苦手だなんて誰が思うだろうか。家庭科の筆記テストはクラスで一番で、実際に調理をさせてみれば恐ろしく手際が良い。知識も技能も充分すぎるほど備わっている。ピアノだってきっと素人の俺が聴けば上手だと感じるに違いない。


 だけど、欠けているものがある。そして、それは氷川にとっては得難いもので、完璧を追い求めようとすればするほどどこかでずれてしまうのだろう。


「まあ、氷川がそう思うならしょうがないか。けど、やっぱりもったいない気がするな。極めれば相当高いレベルまで行けるんじゃないの?」


「そうかもしれない。でも、それらはやるとしても趣味にすると思う。どうせ極めるなら、わたしはもっと論理性のあるものに惹かれる」


「数学とか?」


「いいかもね。そういえば、石狩も数学得意じゃなかった?」


「相対的に見て、だけどな。他の科目はできないけど、数学だけはこの前のテストもクラス二位だったし」


「一位は誰だったっけ?」


「氷川だろ? 嫌味か?」


「冗談」


 こちらを見る氷川の顔が一瞬だけ微笑みに変わった。


 こんなくだらない冗談を言って楽しげな微笑を湛える氷川を見るのは、後にも先にもこのときだけだったかもしれない。


 付け合わせの食材をあらかた切り終えた頃、ひき肉や卵黄などが入った具材を捏ねてハンバーグのたねを作っていた未翔と笹本に呼ばれた。大皿の上にはまだ火の通ってない楕円体のたねが二つ、すでにできていた。


「これはわたしと亜香里ちゃんの分」


「お手本になるかはわからないけど」


 ニコニコと紹介する未翔の横で、恥ずかしそうに笹本が付け加えた。


「あー、あちぃー」


 そこへずっとかまどの前で作業していた会澤も戻ってきた。


 会澤は米を炊く係になっていた。ご飯に関してはキャンプでおなじみの飯盒を使っての調理だった。火力や水の量、それに火から下ろすタイミングなどによって美味しく炊けるかどうかが変わってくるため、難易度は意外と高い。


「穂高くん、お疲れ。ご飯のほうはどう?」


 かまど用のうちわで未翔に扇がれ、会澤は上機嫌な様子で答える。


「順調、順調。食卓にほっかほかの白い飯が並ぶことを保証するよ」


「こっげこげの黒い飯にならないようにな」


 怖いので一応忠告しておいたが、すっかり調子に乗っていた会澤はへへっと笑った。


「今回は大丈夫。忘れ物はしたけどもうミスはしない。そういや、隣の班から借りてきた塩と胡椒、ちゃんと使えた?」


「うん、問題なかったよ。さっき返しに行ったら『必要なときはいつでも持っていっていいよ』って許可ももらっちゃった」


「マジかよ。俺が借りたときは『さっさと返せよ間抜け』だったのに」


 扱いの違いに愕然とする会澤に対し、未翔が慌てた様子でフォローを入れた。


「そ、それもきっと優しさで、穂高くんだからみんな気軽にそうやって言えるんだよ」


「そうかなぁ」


「そうだよ。さぁ、ボウルからたねを手にとって。翔くんも咲ちゃんも早く」


 未翔に元気よく促され、釈然としていなかった会澤も開き直って頷きを返していた。そんなやり取りを見つつ、俺と氷川もそれぞれおもむろに動き始めた。


 ハンバーグの形を整えるのは意外と難しかったが、指導役となった笹本のアドバイスもあってきちんとしたものができあがった。その間に未翔は先生方が試食するコンテスト用のハンバーグを準備していて、合計六つのピンクのたねが白い大皿の上に並んだ。


「ご苦労様。あとはわたしと未翔でやっておくから」


「最初は亜香里ちゃんと二人で全部やっちゃおうかと思ってたんだけど……」


 未翔は一瞬だけ俺に視線を送ってからみんなのほうに向き直った。


「このハンバーグはわたしたち五人で作った、って思いたかったから」


 優しくてひたむきなその声と表情に、思わずドキッとしたのを今でも覚えている。


 そして、林間の夜の料理コンテストは終盤戦に入った。


 始まったときに夕陽に染まっていた空はすっかり暗くなっていたけれど、丸太で組み上がった炊事場の屋根の下、暖色系の照明に照らされた各班の生徒たちの表情は明るく、和気あいあいと料理作りに励んでいた。


 俺たちの班も順調に料理が完成し、いい感じに焼き上がったハンバーグと、付け合わせとして同時に調理していた色とりどりの緑黄色野菜などを綺麗にお皿に盛り付けた。隣に置かれた茶碗からは会澤が炊いた白いご飯がほわんと湯気を立てていた。


「では、班長、よろしくお願いいたします」


 最後の工程ということで謎の儀式が始まる。無駄にかしこまった口調で可笑しそうにしながら、未翔がスプーンを会澤に差し出した。


「承知した」


 熱々のソースが入った鍋を持った会澤はそれに合わせて無駄にかしこまって頷き、スプーンを受け取って各皿に載ったハンバーグにソースをかけ始めた。かっこつけたわりにその手は意外にも緊張で震えていて、それがまた俺たちの笑いを誘った。


 満遍なくソースが行き渡ると、ふうっと息を吐く音とともに、静かに鍋が置かれる。


「完成!」


 嬉しそうな会澤の掛け声が響いた。


 それを合図に俺たちは自然と笑顔で拍手をした。感謝や感動、感激の気持ちが心の底からとめどなく溢れてきて、それらを優しく伝える「お疲れ様」という声も飛び交った。


 そんな和やかな雰囲気に包まれながら、俺は出来たての料理にそっと目を向けていた。


 そこに並んだハンバーグを見て、微笑んだ表情がさらに緩んだのを感じた。

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