第11話 林間学校一日目昼(昼食、バンガローへの移動)
――三日間、自然の中で楽しく過ごしましょう。
事前にそう言っていたのは先生だったか、あるいは実行委員の生徒のうちの誰かだったか。
いずれにせよ、俺はその言葉を軽く聞き流していた。山間部や高原などの環境で共同生活を送ることが林間学校の意義なのだから、都会(埼玉)を離れ、自然と触れ合うことができるというのはわかっているつもりだった。
でも、空気を吸ったら、これが「自然の中にいる」ということなのだと理解した。
近くを悠然と流れる大きな川の水気、雑木林の木や土の匂い。耳を澄ませば、風によって鳴る葉擦れの音や、空を飛ぶ鳥のさえずりも聞こえてきた。
足りなかった認識は「自然は生きている」ということだ。動物も植物も、川も土も空気も、すべて命を宿している。そんなことを言うと、理科のテストではバツを食らうだろう。有機物と無機物という区別をすれば無機物に命は存在しない。
けれど、そこにいると「そんな細かいことはいいじゃないか。ここに流れる壮大なエネルギーはここにあるすべてによって作られているのだから」と言われているような気分だった。
バスを降りてから歩いて木漏れ日の雑木林を抜けると、生徒全員が悠々集まれるくらいの太陽の光が一面に降り注いでいる大きなグラウンドに到着した。
グラウンドでは開校式が行われた。
まず初めに林間学校実行委員長(成人式のときに幹事を務めた男)の言葉があって、整列した同学年の生徒たちを前に堂々とした話っぷりで宣言を行うと、続いてキャンプ場の方からの説明が始まった。その男性は慣れた口調で、地域一帯の歴史や自然風景の話、そして俺たちが寝泊まりすることになるバンガローや調理に使う炊事場などの利用上の注意事項を述べて、最後は温かい歓迎のメッセージで締めくくった。
開校式の後は、昼食の時間が一時間ほど設けられていた。移動はせず、そのままグラウンドでの食事となっていた。
お昼は弁当が支給される手筈となっていて、各班の班長が班員の弁当をまとめて受け取ってそれらを配った。全員に弁当が行き渡ると、班で整列していた生徒たちは一緒に食べる仲間を見つけるために一斉に散らばっていった。
俺は会澤とともにどこかのグループに入って配られたシャケ弁当を適当に平らげ、誰かが言った「川に本物のシャケいるんじゃね?」という言葉につられてぞろぞろとみんなで川辺に行った。ていうか、弁当に入っていたのも紛うことなくシャケだったが。
川には魚がたくさん泳いでいた。魚影が見えると「うお、シャケじゃねあれ?」と誰かが指差し、「いやヤマメだろ」「ニジマスじゃないか?」と誰一人正解のわからない魚クイズを繰り広げ、判然としないままお開きとなった。
昼食の時間が終わって再度グラウンドに集まると、いよいよ宿となるバンガローへの移動の説明が先生よりなされ、それぞれのバンガローの部屋長が前に出て鍵を取りに行った。俺もその一人だったので、忘れずにしっかりと鍵を受け取りに行った。
バンガローの部屋割りは行動班とはまた別で、男子同士、女子同士で、四人部屋か五人部屋を選ぶことになっていた。
俺と会澤はここでも「部屋同じでいいか?」「いいんじゃん」の精神で同部屋となった。
そして同じように二人組を組んでいた奴ら(バドミントン部の
だが、クラスの女子たちはこの部屋決めでも揉めに揉め、別日に改めて集まったりしていた。しおりに載った決定版の部屋割りを眺めても、どこでどんなやり取りがあって最終的にどう収拾したのかは不明である。それは俺たち男子の知るところではない。
グラウンドから数分歩くと、木造のバンガローが建ち並ぶ一帯へと辿り着いた。泊まるバンガローは男女ごとに大まかに区分けされているので、途中で生徒たちは男子と女子という集団にそれぞれ分かれていき、さらに歩きながら部屋のメンバーごとに固まっていった。
バンガローにはそれぞれ部屋の名称がついており、俺たち同部屋の四人はしおりの地図を確認しながら予め決められていた自分たちのバンガローを探した。
「あれだな」
部屋長として先頭を歩いていたため、見つけるのも俺が一番早かった。
「おー、あれか。これでやっと荷物が置ける」
小さな身体で大きな荷物を背負っていた会澤はほっと息を漏らす。
「ていうか、荷物多くないか? なに詰め込んできたんだよ?」
「夢だよ」
尋ねると、会澤は得意気に笑った。だったらまずは塩と胡椒を詰めてこいよ、と叱責しようかと思ったが、楽しい気分を害してしまうのもよくないのでやめた。
「うわっ、ちょっとなにすんだよ!」
と思っていたら次の瞬間、会澤の夢、いやリュックは上下に激しく揺れ始めた。
「なんだぁ、意外と軽いな」
「所詮はこの程度か」
紺野と染谷の仕業だった。二人は悪戯な笑みを浮かべ、確かめ合いながら会澤のリュックを乱暴に上げては下ろす。無防備な背後からの攻撃には会澤も抵抗ができず、コンソメ(紺野と染谷)ペアによって完全に弄ばれていた。
余談だが、バドミントン部であるコンソメの二人はなかなか強かったらしく、県大会でも毎回上位に食い込むほどの実力で、中三のときには関東大会にも出場していた。全校集会でよくみんなの前で表彰されていたので、部外の人であっても二人の活躍は周知していた。
パワーの紺野、テクニックの染谷。そんな定評を聞いたことがある。逆に言うとそのくらいしか知らない。
ふざけ合っているうちにバンガローの扉の前まで来て、俺は大事に持っていた鍵を差し込んだ。
奥まで入れて回すと、解錠がうまくいった感触がした。ドアノブを手で摑み、慎重にドアを開けると中の様子が見えてくる。
部屋の感想は、会澤が漏らした第一声によってほぼ説明がつく。
「なーんにもない」
八帖ほどの広さの室内を見渡して最初に目に入ったのは壁にかけられた箒一本で、あとは床に畳が敷き詰められているだけの簡素な作りとなっていた。
「俺の陣地、この範囲ね」
しかしそんなことはお構いもせず、会澤は荷物をドサッと置いて早速中身を広げ始めた。
「あとで布団運び入れるからあまり散らかすなよ」
「りょーかい」
調子のいい返事が返ってきた。紺野と染谷も俺の忠告に軽く頷き、それぞれ畳二つ分のスペースを確保した。
このあとは夕方から開催される料理コンテストまで自由行動となっていた。
けれども、本当に自由に行動できる者はそれほど多くはなくて、委員会や係など、様々な役職の集まりがこういう空いた時間を利用してセッティングされていた。一人一役をモットーにしている林間学校においては、全員が何かしらの仕事に就かなければならなかった。
俺は部屋長の会議がすぐにあったので、荷物を置くと一息つく暇もなく、しおりと筆記用具を持ってバンガローを出た。
キャンプ場内は俺たちの学校の生徒が激しく行き交っていた。俺と同じように何かの会議や仕事に向かう者もいれば、着いたばかりのこの場所を冒険がてら歩き回っている者もいた。俺は「ちょーやばーい」とか「ありえないんだけど」とか、褒めてるんだか貶してるんだかわからない言葉で盛り上がっている女子たちの集団を横目に見ながら集会所へと辿り着いた。
一日目昼の部屋長会議では、キャンプ場の方とそれから先生によって改めて三日間生活する上での注意事項が述べられた。
内容を簡単にまとめてしまえば、部屋をきれいに使うこと、外出時間を守ること、何かあったら本部まで報告すること、の三点だった。林間学校に来る前から再三言われてきたことではあるが、もう一度頭に入れておくようにと強く言われた。
本番は予期せぬ事が起こる、という言葉とともに。
正味三十分ほどの会議の後、布団の運搬作業に入った。本部の貸出場所から部屋の人数分の布団を運び出してバンガローまで持っていくというものだったが、これが思っていた以上に過酷な労働で、このときばかりは部屋長を引き受けたことを後悔した。「暇な人がいたら手伝ってもらえ」という先生からの指示があり、頼む誰か居てくれと願いながらバンガローに戻ったが誰もいなかった。結局、俺が四人分運ぶ羽目になった。
せめて一人でも手を貸してくれていたら楽だっただろう。特にパワーの紺野とか。
部屋と本部を何往復もする間にもいろいろなことがあった。一番印象に残っているのが、中一のときに一緒のクラスだった男子が、布団を担いで息を切らす俺に「ねぇ、楽しんでる?」とそれは愉快に尋ねてきたことだ。
なぜこのタイミングでその質問なんだ、と俺は人格を疑ったが、本人はハイテンションかつ純粋な様子だったので、仕方なく「あぁ、楽しんでるよ」と息も絶え絶えに笑った。正解のリアクションは未だにわからない。
重労働を終えて部屋に戻った後は、しばしの間休息タイムとなった。
とはいっても、なんだかんだ班長会議から戻ってきた会澤に無理やり服を引っ張られて外へ出たりと、落ち着いて体を休める暇はなかった。
それでも嫌じゃなかったのは、やはり俺自身も気分が高揚していたからだろう。
そうこうしているうちに陽は傾き始め、一日目のメインイベント『料理コンテスト』の開催時刻となった。
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