第6話 未来人の謎 その二

「なるほど。そういうこと」


 会澤の話をひと通り聞いた氷川が表情を崩さないままコーヒーカップに口をつけ、ことりと置いた。


「それならわたしにも心当たりがないこともない」


 思いがけない告白に、皆が驚いて一斉に氷川を見た。


「心当たりって未来人の?」


「それを未来人と形容していいのかは疑問だけど、今まで新島についてずっと気になっていたことがある」


 目を輝かせて尋ねる会澤に、氷川はあくまで冷静に回答した。


「無理して会澤に話を合わせなくてもいいんだぞ」


「わたしがそんな無価値なことすると思う?」


 逆質問され、俺はすぐ首を横に振った。睨めつけるような視線には議論の余地もないくらいの説得力がある。会澤は「えっ、俺に話を合わせるのって無価値なの?」という顔で狼狽えていた。


「誰にも話したことなかったけど、わたしと新島が初めてまともに会話したときのことだからよく覚えてる。あれは彼女が転校してきてからすぐの、五月の日のことだった」


 誰に促されるでもなく、氷川は過去の出来事を淡々と振り返る。


「その日、わたしは一日中探し物をしていた。前日、家に帰ってから失くしたことに気づいて、それを見つけるために校内や校舎外を含めて至る所をうろつき回った。よく取り出しててどこで落としたのかわからなかったから、わたしの行動範囲を広めに捜索したんだけど、なかなか発見できなかった」


「咲さんでも落とし物するんだ? よく取り出すもの? 何を探してたの?」


「生徒手帳」


 訊いた笹本も聞いていた会澤もあんぐりと口を開ける。


「……読んでたからな」


 俺がただ一人納得すると、どうでもいいというふうに氷川は話を続けた。


「結局、休み時間中には見つからなくて、その日は部活がなかったから放課後も一人で探そうと思ってたら、いきなり新島が近寄ってきて『何か探してるの?』って訊かれた」


「氷川さんが探し物をしてるって知ってたわけか?」


「そう。だけどそれは別に不思議じゃない。教室内は特に散々探し回ってたから、少しこちらの様子を見ていれば多分わかったと思う。ろくに話したこともないのに突然そんなことを言われたから多少は驚いたけど」


「でも、いきなり氷川さんに話しかけるのって勇気いりそうだなぁ。あっ、いやいや、当時の新島さんの立場からしたらってことだよ? 転校してきてよく知らないのにってことだからね」


 自身の率直な感想と思われる序盤の台詞を会澤は慌てて否定し、念を押すように「新島さんの立場からしたら」を強調した。


「そうね。確かに彼女、勇気を出して話しかけた、みたいな表情をしていたかもしれない。考えもなく近寄ってきたというよりは、しっかりと頭の中で展開をシミュレーションしてから現れたって雰囲気だった」


「それで未翔が生徒手帳を見つけたのか?」


「結果的には。彼女に導かれて、ついていったら見つかったって感じ」


「偶然じゃなくてか?」


「もちろんわたしもその可能性を捨ててはいない。だけど、どうしてもあれを偶然だったとは思えない。根拠はないけれど」


 重ねて問うと、氷川は珍しく自信がなさそうに視線を落とした。


「もう少し詳しく訊いてもいいか? 生徒手帳はどこで見つかったんだ?」


 俺は状況を整理するため、再度尋ねた。思い出すように氷川は一度目を閉じてから開く。


「図書室。週に何度かは利用していたから、わたしも可能性はなくはないと思っていた。でも彼女、着いたらなぜかいきなり本棚を捜索し出して、そんなところにあるわけないと思っていたら……」


「あったのか?」


「そう。『あったよ!』って呼ばれて、見てみたら本と本の隙間に。近くで拾った誰かがふざけて置いたのかもしれない。そういうこと中学生とか好きそうだし」


 くだらないと言わんばかりに氷川はため息をつく。まあ、実際中学生くらいの年代だとそういう悪ふざけは多い。大きな本と本の間に小さいサイズの生徒手帳を挟んで盛り上がれるような年頃ではある。


 ていうか、お前も同じ中学生だっただろ、とは口が裂けても言えなかった。


「それにしても、わたし一人だったらおそらく当分発見できなかった。図書室も候補ではあったけど、わたしが休み時間に探したのは自習用の机付近が中心だったし、そもそも図書室よりも部活で使っていた剣道場とかのほうがまだあり得ると思ってたから」


「そういえば氷川は剣道部だったな。まあ、毎日部活やってればそこで落としたと考えるのが自然か」


「新島と捜索を始めるときにまず候補となる場所はないかって訊かれて、可能性の高そうな教室と剣道場、あと今言った図書室を挙げた。そうしたら、少し考えてから『図書室だ!』って言い出して、否応なしに連れて行かれた」


 それで見つかったとすれば、確かに未翔のやったことは予知めいている。


 いくつかある場所の候補の中から図書室だと断言し、なおかつ普通ならばなかなか探さないであろう本棚を最初から怪しいと睨み、さらにたくさんある本の間から挟まれた小さな生徒手帳を見つけたということになる。


 だからといって、未翔が未来人だったなんて簡単に思うことはできない。


 それでも、氷川が抱いている疑問については理解できた。


 会澤の主張が自身の直感によるところが大きかったのに比べて、氷川の提起はその場にいなかった俺でも納得できる部分が多い。実体の見えない言葉や感情のやり取りよりも、実物として存在する生徒手帳を発見した話のほうが客観的な立場からすると考慮しやすい。


 とはいえ、両者とも感覚的な陳述があって、やはり俺としては腑に落ちないが。


「なあ、やっぱり偶然なんじゃ……」


「咲さんもあったんだ」


 結論を述べようとしたところで、笹本が小さく呟いた。


「おっ、笹本さんも何かあるの?」


 話を繋げたいのか、彼女の斜向いに座る会澤はガバッと身を乗り出して尋ねる。


「うん、実はさっきも言いかけてたんだけど」


「あっ、もしかして新島さんのことを不思議な存在って言ってたとき? ごめん、俺つい自分が話すのに夢中になっちゃって」


「全然いいよ。わたしとしてもみんなの話を聞いてからのほうがよかったし」


 謝罪する会澤に向けて、笹本は小さく手を横に振る。


「氷川に続いて笹本もか」


 思わず漏れ出てしまった感想を会澤は聞き逃さなかった。素早く顔をこちらに反転させると、勝ち誇ったように鼻で笑う。


「へへっ、これで三対一」


「いや、別に多数決で決めるものじゃないだろ」


 そう反論してみたものの、まさか少数派になるとは思っていなかったので、なんだか妙に肩身が狭くなって顔を背けた。


 そんな俺たちの様子を見て、笹本が慌てて間に入る。


「わ、わたしの話はみんなみたいにしっかりしてないし、未翔が絶対に未来人だったって言えるわけじゃないから。ただ気になることがあってそれで……」


 自信なさそうに最後は尻つぼみになった。


 誰だって未翔が未来人だと本気で思ってはいないだろう。氷川はもちろんのこと、会澤だって自分の説を完璧に信じ込んでいるわけではないと思う。俺たちは二十歳になった大人なのだから、未来人などという話が現実的かどうかの分別くらいはつく。


 それでも、この場に限っては会澤たちが多数派だ。


「笹本、とりあえず話してみてくれ。判断はそれからだ」


「よーし、そうこなくっちゃ。笹本さん、お願いできる?」


 俺と会澤、加えて氷川からの無言の催促を受け、笹本は緊張で狼狽えつつも最終的にはしっかりと頷いた。


「うん。じゃあ話すね」


 そうして、三人目の証言者、笹本のエピソードトークが始まった。

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