第2話 未来人
二言三言話して、会澤が笹本を連れて戻ってきた。まだ戸惑いの表情を隠せない彼女を氷川の隣に座らせながら、会澤は調子よく声をかける。
「しかし笹本さん、ぱっと見かなり変わっちゃったから最初びっくりしたよ。やっぱりあれなの、美術とかそういうのって自分の外見から勝負って感じなの?」
「……ええと、うん、そんな感じかな」
俺ら三人の視線を集めた笹本は曖昧な笑みで返事をした。
笹本亜香里は変わった。それもわかりやすく。
どこがどう変わったって、見た目が昔とは全然違うのだ。
まず、眼鏡をしていない。おそらくコンタクトにしたのだろう。中学生のときは眼鏡がトレードマークですっていうくらいの地味で真面目な女子感があった笹本だが、眼鏡をかけていない今はすっかり垢抜けてメイクもばっちり決めている。
だが、そんなのは大した変化ではない。当然それも要因にはなっているだろうけど、それだけだったら「ちょっと見せ方を覚えたんだろうな」くらいの感想しか抱かない。その程度の差異なら今日ここにいるどの女子にだってある。
決定的に違う箇所。俺たちを驚かせた一番の変化は、彼女の髪の色だ。
真紅の髪。アニメかなんかではよく見たりするが、現実で見ることはあまりない。ましてや俺の知っている笹本は、そういう派手なイメージからは最もかけ離れた存在だった。時間の経過というのは恐ろしい。地味な黒髪眼鏡女子はもうここにはいない。
現在、笹本は美術系の専門学校に通っているという話だが、会澤が言ったように「美術とかそういうのって自分の外見から勝負」なんだろうか。髪も芸術的表現だから派手な色をつけなさいみたいな。
だとしたらおかしな話だ。「髪」じゃなくて「紙」の上で表現しろよ。
思わずそんな考えを抱いてしまったが、それも一瞬のことだった。ちょっと見慣れれば、別にどうしても受け入れられないわけではない。すぐにどうでもよくなった。
「せっかく集まったわけだし、とりあえず乾杯しようか」
会澤は自分のグラスにビールを注ぎ直していた。
それに続くように、他のメンバーも適当に飲み物を準備してグラスを掲げる。
「かんぱーい」と会澤の掛け声。
バラバラな四つのグラスが合わさって、カチッと音を鳴らした。
この四人が集まった今、話さなければならないことがある。それはおそらくここにいる皆が感じ取っているはずだ。
だからこそ、乾杯後に余計な会話をし始める者はいなかった。
沈黙の中、話を切り出したのはやはり会澤だった。
「じゃあ、時間もないから本題にいくわ」
会澤は静かに語り出す。
「
刹那、他の全員が息を呑んだ。その名前が出ることを誰もが予期していたに違いないのに。
そして、彼女は今日、成人式にもこの同窓会にも来ていない。
未翔の一家はいわゆる転勤族だった。未翔自身も親の仕事の都合で各地の学校を転々としており、中学二年生の春に俺たちの学校に転入してきて、ちょうど一年間過ごして中三になる前に遠くの学校へ転校してしまった。
けれども、未翔が今日ここにいないのにはもっと重大な理由がある。
成人式。晴れの舞台。かつての仲間との久しぶりの再会。
そんなおめでたい雰囲気の中で話題に出していいのかもわからず、忘れ去られた偶像のように存在を失った彼女。
今もどこにいるのかわからない彼女。
「行方不明になったって本当なんだよね?」
確認するように、会澤は俺たちの顔を順番に見た。
誰一人、すぐには頷かない。だが、否定もしない。様子からして、おそらくみんな詳しいことは知らないのだ。
新島未翔が失踪したという話を俺が聞いたのは、高二の冬のことだった。
学校から帰ってきて、夕飯前に自宅のリビングのソファーでくつろいでテレビのニュースを見ていたら、いきなり母親にその事実を告げられた。近所の人たちと話していて噂を耳にしたらしい。
「ある日、唐突に行方がわからなくなって、警察も出動して捜索にあたっているが、もうずっと見つかっていない」と。
それを聞いたときの心の動きを、俺は未だに理解できていない。
何しろ、突然だった。そして、あまりに現実味がなかった。
だから、それこそ見知らぬ誰かが事件に巻き込まれたみたいな、適当に聞き流してしまうレベルのニュースと変わらないような受け止め方をしてしまった。
どうしたらいいのかわからなかった。今までの自分の人生で遭遇したことのない焦りに襲われて、俺はそのことをできるだけ頭の中から排除して、以降ずっと考えないようにしてきた。
あれから三年が経った。続報はない。みんなの反応を見るに、それは同じなのだろう。
俺たちの中学を去ってからも、未翔は何度か転校を繰り返したらしい。失踪の話を聞くまではそのことすら知らなかった。
俺の周りからはもうすっかり彼女の痕跡は失われていた。
「多分……本当なんだと思う。でも、わたしは今でも信じてないの。というより、信じられなくて」
笹本が肩を震わせながら思いを口にする。
「だってあの未翔だよ。あんなに元気で明るくてどこでもやっていけそうな未翔が失踪なんてする?」
「元気で明るいことと失踪しないことは結びつかないでしょう? 新島は何か事件に巻き込まれたのかもしれない。自分でいなくなったとは限らないんだから」
「そうだけど……」
冷静な氷川の意見に笹本は悲しげに口を閉ざす。
「信じられないという気持ちは俺もわかる。考え方としては氷川に同意するが」
俺が口を挟むと、話を聞いていた会澤は大きく一回息を吐いた。
「つまり、新島さんの失踪に関してはみんなそれぞれ聞いてるってわけだ。で、どうなったかは知らない。そういうことだよね?」
目で確認され、それぞれがこくっと首を縦に振る。
「やっぱり誰も知らなかったか」
会澤はグラスに残っていたビールを一気に飲み干した。
自分が知らないだけで失踪事件は無事に解決したんじゃないか。
そんな祈りにも似た願いを、多分俺は今さっきまで密かに持っていた。もしかしたら会澤も同じだったのかもしれない。
「皆さんっ、盛り上がってるところすみません! そろそろお開きとなるので、帰りの支度を始めてください!」
ちょうど話が途切れたところで、幹事の男が大声で慌ただしく指示を出した。時計を見るともう九時を回ろうとしていた。
「えーっ、もっとみんなと居たーい」
「延長しろよぉ」
へべれけになった男女からは抗議の声が上がった。
「無理ですっ! もっと話がしたいなら各々勝手にやってください!」
「勝手に? いいねぇ、そうしようよ」
「おっしゃ! 俺いい店知ってんだよ。女の子たくさん来てくれると嬉しいな。来てくれる子、挙手っ!」
「はいっ!」
もはや意識があるんだかないんだかわからない、のぼせ上がったみたいに顔を真っ赤にした女子が斜めにビッと手を挙げた。
お願いだからトラブルだけは起こさないでくれよ。俺はそんな光景を横目で見ながら思っていた。
「わたしたちも帰りの準備しようか」
笹本がしんみりとした声で提案する。氷川は言われるまでもなく、いつの間にかもうすでに帰り支度を整えていた。
俺も荷物を確認し、忘れ物がないかテーブルの下や畳の上をもう一度チェックした。
その流れでふと隣を見ると、会澤は思い詰めた表情のまま下を向いて固まっていた。
「会澤、どうした? 帰るぞ」
声をかけると、会澤は意を決したように顔を上げた。
「みんな、あのさ……」
会澤の投げかけるような言葉に、俺だけでなく帰ろうとしていた女子二人も彼のほうを向いた。
「今度また会えない? 近いうちに」
誰も返事をしない。それでも、会澤は続ける。
「実は今日話してないことがあるんだよ。それを改めて聞いてほしいんだ。時間と場所はまたあとでいくつか候補をピックアップして送るから。迷惑だったら無理にとは言わない。大丈夫ならプランが決まり次第、連絡するけど……」
ダメだ、とは誰も言わなかった。
「よかった。じゃあ、連絡待っててくれな」
肯定と受け取った会澤は、少しだけ安堵して頬を緩めた。
「今日話してないことってなんだよ?」
もったいぶった言い方に焦れったくなって、俺は強引に答えを求めてしまった。
それが未翔のことだということは予想がついた。だが、内容については見当もつかない。いったい、何を話し合おうというのか。
「ごめん。話せば長くなるから結論だけ言っておく」
雑音の入り混じった店内で、会澤は極めて冷静に、そして淀みなく言った。
「新島さんは未来人だったんじゃないかな」
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