第346話
《その一瞬に全てを懸けろ》
忠勝は、神格を失った。一刀斎の攻撃を受けたことで、今まで一度も破られなかった絶対神話が崩された。
今ならば、誰であっても攻撃が通じる。通じるようになった。通じるようにしてくれた。なら、迷うな! 一刀斎が、高瀬達が命を懸けて繋いだのは、三法師が危険を顧みずに最前線へと降り立ったのは、二人のことを心から信じていたから。
ならば、その期待に応えろっ!!
『はああああああああああーっ!!! 』
猛ぶ、猛ぶ、猛ぶ。荒れ狂う熱を理性で制御。大胆かつ繊細に。敵の一挙一動に集中。些細な仕草に罠を仕込め。息遣いを盗め。止まるな。脳を回せ、足を動かせ、刀を握れ、腕を振れ! この千載一遇の機会を逃すな!!
(負けられない、絶対にっ!! )
二十、三十と切り結ぶ。チャンスは、一瞬。たった一度の奇襲。失敗すれば後は無い。意識するな。僅かな仕草から悟られれば、忠勝に警戒されてしまう。……無茶苦茶な難易度だ。無理難題といっても過言ではない。
――だが、不思議と高丸は成功を確信していた。
黄色い火花が舞い散る。刹那、極限まで研ぎ澄まされた集中力が高丸を至高の領域へと誘う。ゾーン。視界から色が消え去り、時間の流れがゆっくりと流れていく。
(これなら――っ!! )
狙うは、一点。目にも留まらぬ攻防の最中、高丸の放った蹴返しが忠勝の脛を砕いた。
「――っ!? 」
激痛。忠勝の顔が歪む。だが、それは痛み故ではない。それ以上に、拙い事態を悟っていたが故。それを証明するように、忠勝の身体が僅かに前方へ崩れる。忠勝が、重心を移動させた瞬間。高丸は、そんな針の穴程に小さな隙を突いてみせたのだ。
その一瞬の隙を待ちわびていた二人は、畳み掛けるように同時に技を繰り出す。
【一刀流 一ノ太刀 火走り・改】
【宮本流 一ノ太刀 雪の舞・神楽】
高丸の足元を狙った水平斬りに合わせ、雪の飛び上がりながら捻りを加えた二連撃を放つ。
『ハァァァアアアアアアアアーッッッ!!! 』
タイミングは、殆ど同時。上に逃がし、逃げ場の無い空中で仕留めるのが狙いか。まさに、鳥籠。避ける道はない。
これは、決まった。そう、二人が確信したその瞬間。
「致し方ない……か」
忠勝は、静かに刀を鞘に収めて呟いた。
――刹那、空気が変わった。
「これを見せるのは、貴様らが初めてだ」
紡ぐ言葉。解き放たれる闘気。
(――っ!? させないっ!! )
(何を……? いや、今はそれよりも――)
悪寒。しかし、既に技を繰り出している。今更、技を止めることは出来ない。二人は、更に動きを早めることで忠勝が行動を起こす前に仕留めようとする。
だが、それは一手遅かった。
「フッ」
忠勝は、一瞬その場に屈んでタメを作ると、迫り来る刃を上空へ飛び上がることで紙一重で躱した。しかし、逃げた先には雪が待ち構えている。狙い通りの展開に、雪は躊躇することなく刀を振るう。
「そ……こぉおおおおッ!! 」
一撃目、狙いは首筋。空中で加えた捻りによって、宙を切り裂く一閃は稲妻の如く不規則に曲がり、唸りを上げながら忠勝へ迫る。
殺った。そんな希望は、直後に取った忠勝の驚愕の行動によって木っ端微塵に打ち砕かれる。高丸の手首に軽い衝撃が走った――瞬間、忠勝が更に上空へと跳ねた。その先には、雪の放った斬撃はない。紙一重で躱され、忠勝と雪は空中で向かい合った。
『――はぁっ!? 』
躱された。それも、予想だにしない曲芸じみた動きによって。その事実に、二人は思わず目を見開いた。
忠勝は、頭の先から根っこの端まで生粋の武人だ。槍の名手だ。戦闘方法も、その才に相応しい王道のソレ。断じて、このような邪道の技を使った記録はない。
「嘘……だろっ!? 」
有り得ない光景を見た。高丸は、仕留めるつもりで攻撃をしていた。合わせるつもりなんて欠片もない。寧ろ、直前で更に剣速を早めていた。
だというのに、忠勝は足元を通過する高丸の手首へ一切視線を向けずに完璧なタイミングで合わせてみせ、刀を振るう力の流れに乗って跳ね上がった。
確かに、高丸の刀は完全な水平線を描いてはいなかった。人体の構造と機能上、それは不可能だから。居合のように、僅かに斜めに傾いていた。その力を利用すれば、跳んだ先に雪の姿は無いだろう。雪が放った斬撃は、誰もいない宙を斬り裂いた。
「こん……の、バケモン……がっ! 」
「ハッ」
悪態をつく。理屈は分かる。だが、それは人が出来て良いものではない。そんなもの、容易く出来て堪るものか。正しく、神業。これで、弱体済みなど信じたくもない。
これが、戦国最強 本多忠勝。
――それでも、雪は刀を振るう。
「ハァッッ!! 」
一撃目は躱された。だが、雪には未だ二の太刀が残されている。
(バカ! 呆けている場合じゃないでしょ! 確かに、凄まじい回避だったわ。敵ながらアッパレよ。……でも、だからこそ、そこに付け入る隙がある! )
「そんな曲芸を無理やり使えば、必ずその後の動きに綻びが生まれる。それを、本多忠勝ともあろう武人が理解していない訳がない! ――なら、そうせざるを得なかったのでしょう!? 」
腰を捻る。宙を切った刀が、流れる力に添うように流線
を描きながら忠勝の腹部へ迫る。既に、落下は始まっている。両者が、互いの間合いにいるのは残り僅か。その一瞬を逃さず、雪は腹の底から力を捻り出す。
しかし、その時には既に、忠勝の両手が雪の右腕を絡み取っていた。
「ぬるい」
「ば――っ!? 」
馬鹿な。その言葉が音になるよりも早く、雪の身体が一回転したかと思えば、凄まじい勢いで地面へ叩き落とされた。
衝撃。刹那、雪の腹部を忠勝の右足が踏み潰す。
「――カハッ!? 」
「雪っ!! 」
「あまい」
「!? 」
高丸が余所見をした瞬間、目の前に忠勝が現れる。体当たり。全身を襲う衝撃が思考を停止させる。体格差。高丸は、勢いそのままに三、四歩後方へ吹き飛ばされる。急所を守る為に、顔の前でクロスしている両腕。空いた、胴。そこへ、忠勝の横薙ぎが入った。
「ゴッ……ァ、ガ――ッッ!! 」
凄まじい勢いで吹き飛ばされ、そのまま、力なく崩れ落ちる高丸。ピクリとも動かない。連携を駆使して優位を保っていた状況から一転、宮本兄妹は一瞬にして追い込まれてしまった。
「にい、さん……っ! 」
次第に闘気が薄れていく高丸の姿に、雪は地面に突き刺した刀を支点に片膝を立てる。
(終われない……っ! 未だ、私は――っ)
「ほう。もう、動けるのか」
「!! 」
氷のような眼差しが雪を貫く。
「俺が、槍一辺倒の男だとでも思ったか? 実に、愚かなことだ。所詮、剣士は剣士よな。本質的に、武士という存在を理解しておらぬ」
忠勝は、語りながらゆっくりと歩を進める。
「武士は、仕えし主君をお守りするのが役目。武功を挙げるのが全てではない。確かに、俺は槍を極めた。射程の長さがモノをいう戦場では、猛威を振るったことも事実。……だが、室内ではどうだ? 槍など、自在に振るえると思うか? 」
あぁ、そうだ。考えてみれば当たり前のことだった。
「武士は、常に戦場にいる訳ではない。寧ろ、室内にいる方が断然多い。刺客に襲われるのもだ。家中の争い、従者に化けた間者、怨恨からの闇討ち。その全てから主君をお守りする為には、刀の扱いや身のこなしを覚えることは必須。分かるか、娘子よ。武士ならば、出来て当たり前なのだ。……あまり、武士を無礼るなよ」
凄まじい圧力が降りかかる。これが、三河武士。これが、戦国最強。これが、本多忠勝。勢いだけでは、決して届かない高みに立つ者。その意味を、雪は身に染みて味わうことになる。
「――っ」
刀が震える。本能的に、恐怖を感じてしまっていた。
「……」
忠勝が、震える雪を見下ろす。後は、刀を振り下ろすだけ。それなのに、忠勝は余計な一言を発してしまう。
「貴様は、強かった。最初に述べたことは撤回しよう。貴様は、紛うことなき伊東一刀斎の弟子。俺の敵足り得る剣士であった」
本多忠勝の弱点を上げるとすれば、それは一つだけ。強者故の傲慢。敵の全身全霊の力を、真っ向から叩きのめしたいと思う願望である。
「故にこそ、疑問に思うのだ。何故、本能のままにその力を振るわない。何故、そこまでして忠義を尽くす。みなまで言われずとも分かる。その容姿だ、苦労してきただろうに。一度でも、復讐をしたいと思わなかったのか? 」
「――っ!? 」
瞳が揺れる。
その一言が、あの日の出来事を思い出させた。
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