第343話
一人の少女が、戦場を駆け抜ける。宮本 雪。一刀流門下免許皆伝にして、三法師の傍付きの一人。彼女は、手早く西の伏兵を片付けると、直ぐに一刀斎達が戦っている東へと向かっていた。自分も、本多忠勝との戦いに参戦する為に。
最初から、そのつもりだった。西の伏兵。それを、どれほど早く退けられるか。それが、勝敗の分かれ目。タイムアタックが主題ではない。 彼らが注視したのは、その後の敵の動き。即ち、増援の有無である。
本多忠勝を相手に、兵力を温存するのは愚策。後方の憂いを断ち、全身全霊をもって決戦に挑む。そこで、ようやくスタートラインに立てるのだ。
故に、雪は最後の一人を殺す直前、敵兵の表情や周囲の気配を探った。視線や汗一つからでも、抜き出せる情報は幾らでもある。そこで、結論を出したのだ。もう、これ以上の増援は無い……と。
その報告を受け、三法師は決断した。己も、最前線へ上がる覚悟を。
先陣を切るのは宮本兄妹。その後ろに、三法師と一刀流門下の平岸・近藤・高見が続く。三法師は、真ん中の平岸の馬に跨っていた。急いで逃がした馬達を呼び寄せた為、馬具も鎧も外したまま。完全に速度重視の陣形である。
正直、この選択には高丸達も反対した。リスクが高過ぎる。不用意に前に出て、もし三法師が討ち取られでもすれば、そこで全て終わりなのだから。総大将自ら前線に赴くことは、彼らは中々承認出来なかった。
しかし、それでも三法師は己の意思を押し通した。リスクを背負うだけのリターンをそこに見出したからだ。
「行くぞ、お前達! 余は、逃げぬ! 死ぬ時は、お前達と同じだ!! 余の命、お前達へ預ける!! 」
三法師は、理解している。己の価値を。己が、どれほど彼らに慕われているのかを。宮本兄妹には、ずっと求めていた安寧の地を。一刀流門下には、地位向上と皆が住める土地を。荒くれ者や爪弾き者、元罪人であろうとも関係ない。皆、等しく安土の民として受け入れた。
皆、待っていたのだ、この時を。自分達を救ってくれた人に恩を返すことが出来るこの時を!
「命を燃やせ! 魂を燃やせ! この一戦に全てを懸けよっ!! ……敵は、本多忠勝ただ一人っ!!! いざ、懸れぇええええええええええええーッッ!!!! 」
『おおおおおおおおおおおおーッッッ!!! 』
三法師が号令をかけた途端、部隊の士気が最高潮に達する。当然だ。主君が、自分達に命を預けるとまで言ってくれたのだ。これで燃えねば戦士ではない。
その中でも、とりわけ雪の士気は高かった。
「――ハッ! 」
鋭い声音。気合い一閃、鞭がしなり、馬のトモを叩く乾いた音が響き渡る。一刻も早く一刀斎達と合流したい。そんな雪の心情がありありと伝わってくる。
しかし、馬の速度は上がらない。馬も、主人の願いを聞き届けようと懸命に脚を動かすが、息は荒く激しく発汗してしまっている。もう、限界だ。これ以上は、馬が先に潰れてしまう。
「雪! これ以上は――」
「分かってる! ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――っ」
荒い息遣い。雪は、悔しげに唇を噛み締める。
もう、これ以上の加速は出来ない。それは、重々承知している。……しかし、嫌な予感がするのだ。もう、全てが遅いのではないかと。
(……いや、そんなことはないわ! 先生は日ノ本随一の剣士! 皆、まだ戦っている筈よ!! )
迷いを振り払い、雪は手綱を握り締めて前を向いた。
最短最速で駆け抜けた。間に合うと信じた。間に合う筈だと思いたかった。先生と兄弟子達は、剣を極めた達人。例え、相手が彼の本多忠勝といえどそう簡単には敗れまいと。
だが、現実はどこまでも非情である。
【落陽】
それは、本多忠勝が名付けた唯一の技。終わりを告げる斬撃。大上段から放たれる神域の槍術は、一度振るわれれば最後、敵は鎧諸共斬り捨てられる。
無論、欠点はある。技の特性上、タメが長く隙が大きいので滅多に使われない。避けるか、技の出足で妨害するなどの対抗策が幾らでもある為だ。
故に、その技が繰り出されるのは、瀕死の敵を冥府へ誘う介錯の時のみ。心から認めた宿敵へ送る手向け。自ら利便性を捨てることで、その一閃は万物を斬り裂く威力を発揮する。
「見えたっ!! 先生っ!! 」
あと少し、あと少し。視線の先に立つ一刀斎へ手を伸ばす。あぁ、良かった。間に合ったのだと、雪は安堵の息を漏らした。
そんな雪の目の前で、一刀斎の身体が崩れ落ちる。
「せ、せんせぇええええええええーっ!!? 」
伸ばした手は、届かない。
***
ゆっくりと、ゆっくりと崩れ落ちる一刀斎を見た瞬間、雪の中でナニかが弾けた。
「貴ッ様ァァァアアアアーッ!!! 」
「!? 雪、待て!! 」
疲れ果てた馬が失速したと同時に、雪は目を吊り上げながら飛び降りた。その時、二人の背後に血の海に沈む三人の兄弟子達の姿を視認する。ピクリともしない。気配がしない。虚空を眺めるその瞳からは、僅かにも生気を感じられない。
(兄弟子達は、皆殺しにされた。そして……先生もっ)
【間に合わなかった】
その事実を突きつけられる。
「――っ!!!!! 」
その瞬間、思考が真っ赤に染まった。最早、雪は忠勝の姿しか見えていない。高丸の呼び止める声なんて聞こえていない。ただただ、激情のままに駆け出す。
「ヴア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!! 」
雪の間合いに忠勝が入った瞬間、一足飛びに懐目掛けて飛び上がり抜刀する。息を呑む程に鮮やかな一閃。血を吐きながら刀を振り続けた鍛錬の日々は、例え理性が怒りに呑まれてもその剣先が乱れない剣術を肉体へ刻ませた。
(よくも、皆を! 絶対に許さない!! 殺してやる! 殺してやる!! コロしてやるッ!! )
溢れ出す呪詛。血走った瞳。大切な人達を殺した怨敵へ向けて強烈な殺意を撒き散らした。
雪は、己の容姿に酷いコンプレックスを抱えていた。白髪赤目。アルビノ。人とは違うその容姿のせいで、彼女は酷い迫害を受けてきた。両親も失った。あの時、三法師が手を差し伸べなければ兄共々は死んでいただろう。だから、三法師に対して深い敬意を抱いている。
そして、それは一刀斎や兄弟子達へも同じだ。この時代、女に人権はない。家柄もない者なら尚更。女は家に入り、子を作る。主人が居ない時は家の存続だけを考える。それを、良しとされた時代だ。弱きことは罪といえど、女だてらに身体を鍛える。ましてや、刀を振るうなんて許される訳がない。
それでも、一刀斎は雪へ刀の振り方を教えた。門下生達も、可愛らしい末弟子を喜んで迎え入れた。本気で強くなりたいと願い。ひたむきに鍛錬に励む雪を受け入れた。異形なんて関係ない。男も女もない。彼らは、雪のことを同じ道を進む一人の剣士として見ていたのだ。
それが、雪にとってどれほどの救いになっただろうか。親兄弟にも等しい存在を殺されたのだ。絶対に許すことは出来なかった。
「…………フッ、浅はかな」
だが、刀が忠勝の首を刎ねる間際、忠勝は後方へ素早く下がることで難なく雪の攻撃を躱す。失笑。見え見えの正面からの突撃。それも、獣のような雄叫びを上げながらのもの。来ると分かっていれば、避けることは造作もないことである。
しかし、雪の攻撃は終わらない。
「――シッ! 」
地面に横たわる一刀斎の身体を飛び越え、雪は声を張り上げながら再度斬り掛かる。だが、それも躱される。しかも、攻撃を躱されて体勢が崩れた所で腹を足蹴にされ、雪は後方へ勢いよく弾き飛ばされた。
「――っ、はあああああああっ!!! 」
それでも尚、雪は立ち上がる。何度でも、何度でも、怨敵の首を刎ねるその時まで。
「私は、私は――っ!! 」
例え、その果てに相打ちになろうとも。
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