第329話


 


 仲間から想いを託され、懸命に駆けた先に待っていたのは、骸の花畑に降り立つ死神の姿であった。






 ***






 地面に転がる無数の骸。砕けた短刀。無造作に地面に散らばった針。周辺に残る激しい戦闘の跡。徐々に広がっていく血の海。その上に悠然と立つ死神の兜には、天を貫く雄々しき鹿の角。死神は、ひと目で名馬と分かる漆黒の馬体に跨りながら、曲がり角から姿を現した源二郎へと視線を向けた。


(奴が――っ)


 視線が交わった瞬間、カッと胸の奥で炎が点火する。アレが、この惨状を作り上げた者のだと直ぐに分かったからだ。


 しかし、それも直ぐに困惑へと変わった。


「…………これは」


 短く呟き、敵の姿をよく観察する。


 黒染めの甲冑は返り血で染まり、口元を隠す漆塗りの仮面と穂先から滴り落ちる鮮血が、より一層不気味な雰囲気を漂わせている。辺り一帯には、耳が痛い程の静寂が広がっていた。


 表の裏。光と影。動と静。嘘と誠。相反するモノが交じり合う境界線。戦場には場違いな静寂の中に佇むその死神の姿に、源二郎はまるで亡霊のようだと感じた。


 しかし、そこでふと源二郎は疑問に思った。不思議と、目の前に立つ本多から闘気が感じられないのだ。薄気味悪い妙な感覚を覚えるだけで、強者特有の全身の産毛が逆立つような威圧感を全く放っていない。


 相手は、あの本多忠勝だと言うのに。


 僅かに覚えた疑念。


 それが、過去の光景を思い出させた。






 源二郎は、本多忠勝と対面したことが無い。人伝に、本多忠勝が戦場で成した逸話を聞かされただけだ。


 それでも、真剣な表情で本多忠勝の対策を話し合う武田家重臣の姿を見たことがあった。当時、元服前の源二郎は会合に参加出来なかった。しかし、襖の隙間から僅かにその様子を見れたのだ。歴戦の武将達が、たった一人の男を本気で警戒する姿を。


(古くから、真実とはかけ離れた逸話は数多い。己の武勇を広める為、他を牽制する為、人を介すうちに噂に尾ひれが付いていった為)


 脳裏を過ぎるのは、日ノ本全土に轟く本多忠勝の逸話。


(…………だが、父が、武田家の重臣達が戯言に惑わされるとは思えぬ。つまり、本多忠勝は他の誇張された者達とは一線を画す本物だということ。そんな武人が、一切の闘気を放っていないなど有り得るのだろうか? )


 内心、首を傾げながらも油断することなく槍を構える。敵が、何をしてきても瞬時に対応出来るように。もし、自分の考えが正しいなら伏兵の存在がいる可能性が高いから。






 しかし、その考えは直ぐに消え去った。


 本多が手綱を引いた瞬間、立ち止まっていた馬が源二郎の方へと向き直した。――その時だ。気味の悪い静寂の中、グチュりと肉をすり潰す音が確かに聞こえた。


「――っ」


 息を呑む。


「や……めろ」


 呟き、手を伸ばす。


 地面には、今も尚、変わり果てた無数の同胞が力無く横たわっている。そのどれもが、前のめりに倒れている。武器を離していない。死の間際まで、彼らは戦い続けた。諜報員である身にも関わらず、己が命を救ってくれた主君への恩義を返す為に全てを捧げた。


 彼らは、戦士だ。誰がなんと言おうとも、彼らもまた織田軍の一員だ。出自は関係ない。主君の為に血を流して戦い続けた彼らを、源二郎は誇りある戦士だと心から尊敬していた。


 だが、本多は彼らに一切意識を向けることはなく、自然体のまま馬の腹を叩いて前進するように指示を出した。静止の声など、聞こえていないと言わんばかりに。


 そして、またひとりの骸が馬の蹄に押し潰された。






 ――その瞬間、源二郎が弾かれたように飛び出した!






「貴っ様ァァアアアアーッッ!!! 」


(あぁ、そうか! そういうことか!! 我らなど、眼中に無いということかっ!! )


 歯を食いしばる。


 良く、分かった。本多は、白百合隊の妨害行為も源二郎に前方へ回り込まれたことも、全く歯牙にもかけていなかったのだ。道端に転がる石を踏み付けた時のように、目の前を飛び回る羽虫を感じ取った時のように、煩わしく思うだけでそれ以上の関心は寄せない。


 本多からしてみれば、三法師の首以外心底どうでも良いのだろう。だから、今の今まで本気を出していない。出す必要がないから。


 その態度が、源二郎の逆鱗に触れた。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッッ!!! 何だその無機質な瞳は! 勝てぬと分かっていながらも、命懸けで戦いを挑んだ彼らを、貴様は敵とすら認識していなかったと言うのか! ……何たる侮辱か! 何たる屈辱か! 許さぬ! 絶対に、絶対に貴様を此処で討ち取ってみせる! 彼らの働きを、忠義を、死を、無駄にしてたまるものかっ!!! 」


 目を吊り上げながら吠える源二郎。強く握り締めた柄からは、ミシミシと嫌な音が聞こえてくる。思考が怒りに染まる。激情が手綱から馬に伝わり、弾むように大地を蹴り上げた。






 怒りのままに突撃する源二郎。それを、悠然と迎え撃つ本多。両者の間合いは約百五十メートル程。この距離を詰めるのに一分もいらない。瞬く間に大地を駆けた両者は、ほぼ同時に眼前の敵を斬り殺さんと槍を振るった。


「オオオオオオオオオオオッッ!! 」


 咆哮。激突。凄まじい衝撃波が吹き荒れる。歯を食いしばり、衝撃を懸命に堪える源二郎。互角か――と思われたのも束の間、源二郎の槍が大きく弾かれた。


(――重いっ! いや、巧い! )


 痺れる手。堪らず、源二郎は僅かに体勢を崩してしまう。その針の先程の隙を見逃さず、本多は返す刃で源二郎の背中へ強烈な一撃を入れた。


「――ぐあっ!? 」


 よろめき、悲鳴を上げる。源二郎には見えないが、背中の鎧には綺麗な斬撃痕が残されていた。


 ――だが、傷は浅い。胴体へ届いていない。穂先が当たる寸前で、危険を察知した源二郎は咄嗟に身体を捻っていたのだ。もし、そのまま直撃していれば、間違いなく致命傷になっていただろう。まさに、紙一重であった。






 源二郎は、落馬しないように手綱をしっかり握り締めながらバランスを取って旋回し、改めて本多と対峙する。その瞳には、理性的な色が戻り始めていた。九死に一生を得たことで、理性が必死に暴走する本能の手綱を引いたのだ。


(落ち着け! 怒りを抑えろ! あれは、運が良かっただけだ。猪突猛進で、なんとかなる相手ではないだろう! このまま突き進んでも、次は確実に突き殺されるのは目に見えている! )


「…………スッ」


 短く息を入れる。源二郎から、急速に荒ぶる怒気が収束していく。


(思い出せ、慶次殿の教えを。……怒りを覚えても良い。憎んでも構わない。だが、呑まれるな。制御しろ。理性と本能を共存させるのだ。その先に、高みがある)


 瞳を閉じて、慶次からの教えを復唱する。すると、次第に源二郎に変化が訪れる。深紅の鎧。漂う焔。湧き上がる怒りを力に変えて、今、紅蓮の闘気をその身に纏う。


 そして、再び開かれた瞳には闘志と冷静さが調和した炎が宿っていた。


「往くぞ、本多忠勝ッッ!! 」


「……来い」


 視線が交わった瞬間、黒と紅が急速に距離を詰め、両者同時に間合いへと入った。


「うおおおおおおおおおおおおーっ!!! 」


 (猛れ、叫べ、全てを出し切れ! これまでの修練の日々は、今日この時の為にっ!! )


 槍を振りかぶる。その背を支える仲間達の想いが、更なる力を源二郎へ与えた。






 互いに、決して負けられぬ死闘が始まる。








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