第309話




 信賞必罰。裏切り者には死を。


 その行いに、裁きが下される時が来た。




 信雄の血を吐くような叫びが響き渡る。


「――っ、子を! 実の息子を殺すつもりですか!! 父上ぇぇえええーッッ!!? 」


 恥も外聞もなく、ただただ親子の情に縋るように慈悲を乞う。こんなところで終わりたくない。自分は、未だ何も成せてはいないと。


 だが、もう何をしてもその結末が変わることはない。


「最早、お前を子とは思わぬ。……謀反人、織田信雄よ。その罪、自らの命をもって償うが良い」








 ――斬ッッ!!!






 凛とした鈴の音が鳴ると同時に、鋭い太刀筋が真っ直ぐに信雄の首筋目掛けて振り落とされた。宙を斬り裂く一閃。血飛沫が舞い、ごとりと信雄の首が地面に転がる。驚愕と嘆きに満ちた瞳。絶望に染まった表情。残された胴体の首元から溢れ出した血液が、大地を真っ赤に染めた。


「…………大馬鹿者がっ」


 静まり返る戦場に、悲しみに満ちた想いが零れる。


 【子殺し】


 その意味を、その罪の重さを、その業の深さを、信長は決して軽んじたりはしない。実の弟を謀殺し、人として大切なモノを失った。そんな、一度は道を踏み外した身だからこそ、信長は誰よりもその選択の重さを理解していた。


 ……だが、それでも尚、信長は自らの手で信雄の首を刎ねた。その選択こそが、地に堕ちた信雄を救ってやれる唯一の手段だったからだ。


 戦に敗れた謀反人の末路は悲惨だ。下手に生き残っても、その先に待っているのは惨たらしい拷問と見せしめとしての公開処刑が待っている。


 白装束を身に纏い、縄で拘束されながら兵士達に処刑場まで連行される。辺りを取り囲む人々。堅牢な柵。誰も彼もが、その瞳に憎しみを込めながら磔にされた彼らに対して罵詈雑言を投げかける。石を投げ、腐った果実を投げ、過去の偉業をも否定し、その存在の尊厳を徹底的に汚す。味方など一人もいない。生涯許されない。一族郎党皆殺し。


 そして、銀色の一閃が数多の罪人の首を刎ねるのだ。






「――っ」


 歯を食いしばる。信長の脳裏には、その光景がハッキリと映し出されていた。だからこそ、信長は自らの意思で刀を抜いたのだ。これ以上、愛する我が子が傷付かぬように。織田信長自らの手で裁きを下したとなれば、誰も文句など言えないから。


(……さらばだ、茶筅)


 地面に転がる信雄の首を拾い、胸元に寄せながら黙祷する。これが、信長に許された限界ギリギリ。謝罪の言葉も、別れの言葉も、その死を嘆くことすらも許されない。


 それでも……それでも、信長は親として願わずにはいられなかった。


(せめて、安らかな眠りを……)


 信雄の頬を一筋の雫が伝う。


 これが、親子の最期の別れ。此度の謀反の首謀者である織田信雄は、彼が最も敬愛した父親の手で討ち取られた。享年、二十七歳。奇しくも、信雄が最後に願った通り、親子の情が生んだ慈悲によって救われることとなった。






 ***






 その後、その場は信長達が挙げた戦果とは釣り合わない程に暗い雰囲気に包まれていた。


 謀反人 織田信雄。そして、徳川家重臣 酒井忠次の討伐。それは、まさに値千金の大戦果だ。両者は、共に織田軍にとって決して許すことの出来ない大敵であり、その身分は軍を率いる総大将とその片割れの重臣。それを、彼らは見事に討ち取ったのだ。恩賞は望みのままに与えられるに違いない。


 だというのにも関わらず、その場に居る全員が喜びの声を上げることはなかった。兵士達は、皆が口を閉ざして成り行きを見守っている。その表情からは不安の色が伺えたが、誰も文句を言う者はいなかった。


 ……それもそうだろう。信雄を討ち取った信長が、未だに口を閉ざしているのだ。二人の関係は親と子。その心中は容易に想像出来るし、何よりも力丸や昌幸といった武将達が何も言わないのだ。


 であれば、一般兵達はただ待つことしか出来ない。口出しする権利など最初から無いのだから……。






 すると、そんな奇妙な雰囲気を切り裂くようにこちらへ向かって来る複数の馬の足音が聞こえてきた。目を凝らしてみれば、馬の背には武装した武士の姿が見える。騎兵だ。


「報告っ!! 北東に十数騎の騎兵を確認っ! 真っ直ぐにこちらへ向かっておりますっ!! 」


『――っ!? 』


 突如として現れた謎の集団に、兵士達は「すわ、敵襲か」と慌てて武器を構える。そう、ここは戦場であり、戦は未だ続いている。もし、あの騎兵が敵の伝令であれば、ソレを見逃す道理はない。


 兵士達の間に緊張が走る。


「……ん? いや、あれは――」


 しかし、その集団の正体にいち早く気付いた力丸は、兵士達の前に回り込むと武器を下ろすように手で制した。アレは敵ではないと、兵士達を安心させるような笑顔を浮かべながら。


「お前達、槍を下ろせ」


「し、しかし、森様……」


「案ずるな。彼らは敵ではない。その証拠に、先陣を切る者の背とその馬を見てみよ。アレを見間違えることなど有り得ぬよ」


「……ぁ」


 力丸が微笑みながら右手で示すその先には、大地を躍動する巨大な漆黒の馬と、ソレに跨る武将が背負う斎藤家の旗印が見えた。そう、あの騎兵達の正体は、北の戦場よりやって来た新五郎達だったのだ。






 騎兵達の正体が判明すると、兵士達は安堵の溜め息を吐きながら武器を下ろす。朝からずっと動きっぱなしなのだ。流石に、これ以上の連戦は厳しいと思っていたのだろう。


 そんな兵士達を尻目に、力丸は新五郎達が分かるように大きく手を振りながら声を上げた。


「斎藤殿っ!! 」


 その声に、新五郎が反応する。


「…………ん? あれは、もしや――」


 目を凝らし、数拍した後に笑みを浮かべた。元々、新五郎は先程感じた強烈な覇気を頼りに此処まで辿り着いていたのだ。そこに、森家の者達が居たことに何ら違和感を感じることはない。


 新五郎は、力丸達の目の前まで来ると、馬から飛び降りて嬉しそうに力丸の肩を掴んだ。


「お前……もしや、力丸か! 久しいな、岐阜城で勝蔵の送別会をやった時以来ではないか? いやはや、大きくなったなぁ! 」


「はい。ご無沙汰しております、斎藤殿。私も、もう十七歳。元服した身ですからね。多少は、肉付きも良くなりましたよ。……それよりも、斎藤殿。良くぞ、ご無事で。尾張守様と徳川殿が裏切ったと聞いた時は、本当に肝が冷えましたよ」


「……あぁ、こちらも想定はしていたが、こうも見事にしてやられるとはな。……稲葉殿達の奮闘が無ければ、ここまで持ち堪えることすら出来なかっただろう。本当に、惜しい人を亡くしたものよ」


「……斎藤殿」


 悔しげに唇を噛み締めた新五郎は、一拍置いた後に力丸達に対して頭を下げた。


「力丸。そして、森家に仕えし兵士達よ。良くぞ、此処まで駆け付けてくれた。お前達の助力無ければ、我らに勝ち目は無かっただろう。……忝ないっ」


「そ、そんな! 頭を上げてください! 私達兄弟は、何度も斎藤殿に助けられてきたのです。その恩を返さずして、何が森家の男児でしょうか! 亡き父や兄上も、生きていれば必ずや同じように城を飛び出した筈です」


「力丸っ」


「……それに、援軍に駆け付けたのは私達だけではありません。三法師様は勿論、多くの方々がこの地に集っております。……皆、分かっておるのですよ。此度の戦が、今後数百年の日ノ本の行く末を定める戦いだと」


「……あぁ、そうだな」


 含んだその言い方に、新五郎は力丸の後方へ視線を向ける。そこに誰がいるのかは、なんとなく察していた。


「……案内、してくれるか? 」


「勿論です。さぁ、こちらへどうぞ」


 背を向けて歩い出す力丸に、新五郎達は馬を引きながらついていく。軍勢のど真ん中を突っ切るかたちになった為か、多くの視線が新五郎達に向けられた。






 そして、力丸に連れられながら暫く歩いていると、唐突に丸い空白地帯が現れた。その中心には、幾人かの武装した者達がおり、その中でも一際存在感を放つ人物の姿を見た瞬間、新五郎は溢れ出す想いと共にその名を口にした。


「……っ、うえ……さま……っ」


 誰よりも、復活を望んでいたその名を。






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