第99話

 天正十年 六月 亀岡




 啜り泣く声が三重奏のように、部屋中に響き渡る。織田家の為に生き、織田家の為に死んでいった十兵衛を、ただただ惜しむように……。




 文を握り締めていた俺は、不意にこれからの事が脳裏を横切った。


 遺された明智家の者達は、これからどうなるのだ……。殆どの者達が自害したとは言え、斎藤利三などの重臣達は捕えている。


 まさか……。そう思った俺は、直ちに親父に詰め寄った。彼等の助命を願う為にっ。


「ちちうえ! のこされたあけちのものたちを、どうなさるおつもりでしょうか!? 」


「…………処刑する他あるまい」


「な、なぜですか!? じゅうべえたちは、おだけのために、ちゅうぎをつくして…………」


「分かっておるっ!!! 」


「……っ! 」


 親父の叫びに、思わず身体が強ばる。


「十兵衛が、忠義を貫いた事は百も承知ぞっ! されど、それをどう説明する! どうやって家臣達を納得させる! 暗躍していた九条兼孝も、十兵衛が殺した。残されたのは、この文のみっ。家臣達からすれば、我等は裏切り者の言葉を信じた事になる! それでは、家臣達や諸国の大名達が納得するものかっ」


「そ、そんな…………」


「無念っ! 無念だっ!!! 」


 親父は、悔し涙を浮かべながら、何度も何度も畳を叩いた。その姿だけで、どうしようも無い無念を感じてしまって、俺も涙を流す。


 悔しくて悔しくて堪らないっ!


 俺は、忠臣の覚悟に報いる事も出来ないのかっ!




 己の無力感に苛まれていると、今まで黙っていた近衛が、俺の両手を握り締める。


「十兵衛も、明智家の者達も、皆が皆死ぬ覚悟をしておった。麿も、天女殿のように彼等に生きて欲しいと願った。しかし、『私共の命で、天下泰平の世が築けるのなら、悔いは無い』……そう申しておった…………」


「では……はじめから、しぬつもりで……」


「左様でおじゃろうな。諸悪の根源である朝廷を害せぬのなら、己が悪となり朝廷の膿を殺す。朝敵となった己を、織田家が成敗すれば、織田家は天下の信任を得る。十兵衛は……そこまで、考えたのでおじゃろう。家臣達もそれを良しとし、自ら公開処刑を望んでおった」


「……ぅぅ……ぅぅぅ…………」


 彼等の忠義が、痛いほどに胸に染みた。苦しくて悔しくてっ! 何故、彼等のような善良な人間から死なねばならない!


 蹲る俺の背中を、親父の大きな手が支えた。


「泣くな三法師。十兵衛達の忠義を、我等が無駄にしてどうする。立ち上がって、敵を見据えるのだ。十兵衛に味方した公家を……十兵衛が命をかけて炙り出した膿を排除するっ! それこそが、我等が為すべき事だっ!!! 」


「ちちうえ……」


 親父は、そう言って俺の事を鼓舞してくれた。親父だって悔しいだろうに、本当に強い人だ。




 すると、近衛がもう一枚の紙を取り出した。そこには、多くの名前が記されている。


「左様でおじゃる。ここに、十兵衛が調べ上げた公家の名が記されておじゃる。即ち、九条兼孝と共謀し、天下を乱した大罪人を支援した者達と言えようぞ。これを元に、朝廷を一新するつもりでおじゃるっ!!! 」


 力強く目を見開いた近衛は、姿勢を正して深々と頭を下げてきた。


「麿は、この恩を生涯忘れぬ! 近衛家は、織田家と共に歩む。どうか、天下泰平の世を築き、朝廷を……日ノ本をあるべき姿に戻して欲しい! 麿も、その為ならば幾らでも力を貸すぞよ! 」


「……近衛様、忝のぅございます。共に、良き世を作りましょうぞ! 」


「ぶけは、おだけが。くげは、このえさまが。ともにてをとりあい、てんかたいへいをめざしましょう! 」


「岐阜殿っ! 天女……いや、三法師殿っ! 有り難い! 帝も、必ずや喜んでくださるっ! 」


『天下泰平の為に、お互いに協力致そう!!! 』


 笑顔で手を取り合う三人は、どこまでも真っ直ぐに平和を願っていた。近衛家と織田家が、一つの目標を達成する為に協力し合う。


 日ノ本に激震が走る同盟が、ここに生まれた。






 そして、六月二十四日。明智家家中の者達の、公開処刑が行われた。


 亀山城に居た二百二十七名を、多くの人が見守る中、刑が執行された。皆が皆、後悔の色を見せない晴れやかな表情を浮かべ……死んでいった。




 俺は、それをただ黙って見守る他出来なかった。


 泣いては駄目だ。俺の立場を忘れるな! 家臣達だけでは無い。諸国の大名達が遣わした者達だって、この公開処刑を見に来ているんだ!


 ここで、泣いてしまったら、彼等の忠義を踏みにじる事になってしまうだろうが!




 処刑された明智家家中の者達は、天下を乱した大罪人。それを、帝の勅命を受けた織田家が見事成敗してみせた。




 それこそが、天下の覇権を握る大儀となり、大罪人の味方をした大名や公家を滅ぼす免罪符となる。


 故に、織田家現当主嫡男である俺が、公衆の面前で彼等の死を嘆く訳にはいかないんだっ!




 忘れるな! この光景を!


 忘れるな! この悲劇を!


 忘れるな! 彼等の忠義を!




 彼等の死を、無駄にするなっ!!!


 魂に刻み込め! それこそが、俺の役目だ!




 悔しいよ! 悔しくて堪らないよ! 生きて欲しい善良な人間から、次々と死んでいくこの腐った世の中が、俺は憎くて堪らないっ!


 平和を願う心優しき者達が、何故死なねばならない! 人を平気で食いモノにする悪人達が、何故平気で生き永らえる!


 こんな世の中、間違っている。


 俺が、俺が正すのだ! 乱世を終わらせ、天下泰平の世を築くのだ!




 きっと……それが、俺が転生した意味だ。


 いつも考えていた。何故、俺だったのだろうって。もっと歴史に詳しい人だったら、もっと頭の良い人だったら……俺の手から零れ落ちた命を救えたんじゃ無いのかな……て。


 神様がいるのかなんて、俺には分からない。見たことも無いし、声を聞いたことも無い。だから、俺を選んだ理由も分からなかった。




 だけど、やっと分かったよ。


 俺は、乱世を終わらせる為に転生したんだ。






 翌日、明智光秀並びに斎藤利三並びに明智家重臣達の首が、京にて晒し首にされた。裏切り者の末路を、織田家の熾烈さを、日ノ本に轟かせる事になる。




 それから三日後、毛利家との和睦を成立させた羽柴秀吉が、京へと帰還した。


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