第91話
天正十年 六月 岡崎城 徳川家康
「そうか……出陣されたか」
「はっ! 岐阜中将様は、二万を超える大軍を率いて亀山城へ進軍中とのこと! それに呼応した畿内の大名達が、徒党を組み明智光秀討伐に乗り出しました! 」
「…………ご苦労であった。下がって良い」
「ははっ! 」
伊賀者からの報告を聞き、思わず溜息が溢れる。既に勝敗は決した。その事に不満は無い。
ただただ、憐れむだけよ。
つくづく、明智光秀と言う男は不憫な男よのぅ。
まぁ、奴が失態を犯しても問題は無い。所詮、ワシは深く関わっていないからな。奴が勝手に、自滅しただけのことじゃ。
――だが、雑賀の狙撃手も大した腕では無いな。
そのような事を思いながら書を読んでいると、不意に半蔵が部屋へ入って来た。
「殿、お呼びでしょうか……」
「あぁ……丁度良いところに来た。例の雑賀の雑兵だが、どうなっておる? 」
「はっ。今頃、獣に食い荒らされておりましょう」
「…………ならば良い」
淡々と語るその姿に、どこか薄気味悪さを感じる。明らかに、話の内容と態度が釣り合っていない。普通の人ならば、顔色の一つや二つ変化するモノであろう。
だが、半蔵の表情には変化は見られず、ごく当たり前のように話している。おそらく、こいつは何処か壊れているに違いない。
……だが、それもそれで面白いな。
半蔵がワシに仕えるようになってから、随分裏の仕事を任せてきた。そして、その度に淡々と任務を遂行していく様子に、ワシは思わず黒い笑みを隠せなかった。
この手の任務は、他の仕事とは根本的に異なる。槍働きや政が出来ても、裏の仕事が出来る者は極端に少ない。
何故ならば、圧倒的に才能がものを言う世界だからだ。それは、何か?
刃物の使い方? 違う。
気配の消し方? 違う。
主人への忠誠? 違う。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うっ!!!
――如何に、人である事を棄てられるかだ。
仲間? 関係無い。家族? 関係無い。例え、先程まで仲良く談笑していようとも、指令が下れば顔色一つ変えずに殺す。
その精神は、神の領域へと至る。
ただ、淡々と人を殺す道具。
――それが、服部半蔵と言う道具だ。
此度の伊賀越えも、半蔵には多いに働いて貰った。信長の伊賀侵攻から逃れた伊賀者達を見事に取り仕切り、岡崎城までの安全な道のりを作ってみせた。
おかげで、六月二日には岡崎城に着き、情勢を悠々と見定めることが出来たわい。
まぁ……その裏で、山賊を数十人程処分したが……大したことはあるまい。山賊・野盗は、見つけ次第討伐するのが世の理。
ソレ等が、たまたま伊賀侵攻から逃れた村人達と顔が似通っていても、誰も気にするまいて。
その後、いつでも出陣出来るよう軍の編成をしている間に、伊賀者達を使い多くの情報を集めた。織田家に隙あらば、そこを突くつもりでのぅ。
だが、そのような隙は一切見つからなかった。三法師…………誠に、末恐ろしい小僧よな……。
明智光秀謀反を知り、三法師は真っ先に諸国の織田家家臣達に文を送った。おそらく、今後の方針を記してあったのだろう。
ワシの接待を務めていた長谷川殿にも、すぐさま文が届けられた。……それが、異常なのだ。
ワシは、その文を見て冷や汗が止まらなかった。『お前の現在地は、既に把握している』そう言われているように、思えてならんかったのだ。
居場所が分かれば、自ずと軍勢を派遣するまでの時間が測れる。三法師は、その時間で諸国に潜む明智光秀に味方する大名を炙り出すつもりなのだ。
それだけでは無い。明智光秀が、畿内の掌握に動き出したことが分かると、三法師は安土城と摂津の二箇所を拠点とし、軍勢を集めることに集中した。
その結果、安土城には二万弱、摂津には一万五千の兵が集った。更には毛利家との和睦間近の羽柴秀吉軍三万が加わるとなれば、日和見だった畿内の大名達も明智光秀不利と見て織田家につく。
三法師は、逆に明智光秀を畿内に閉じ込めたのだ。
味方にした筈の大名達も裏切り、明智軍は既に一万を切った。亀山城に籠る他、道を絶たれた。
無論、それ程の大軍を集めたとなれば、何処かに穴が空くもの。特に、信濃国・甲斐国・上野国・駿河国は、未だ不安定な状態故に付け込む隙があると思うていた。
一揆でも起こせば、その鎮圧と銘打って攻め込めるからだ。
だが、信濃国は滝川家の嫡男と木曾義昌が残り、我が徳川家の動向に目を光らせていた。特に、木曾義昌は、三法師に妻子と母親を助けられた恩から絶対の忠誠を誓っていて、一切隙が無い。
甲斐国は、武田家が一丸となっており、間者が入り込めない。そもそも、荒れ果てた領地の復旧作業に専念していて、軍を出す余裕が無い。
これでは、明智光秀に与したと言う容疑もかけられん。
上野国と駿河国は、丹羽長秀と北条家によって管理されており、隙が見当たらん。特に、箱根に居る妖怪爺が実に厄介極まりない! 奴の手先が、関東中に根付いておるせいで、ワシの策がことごとく踏み潰される。
生涯の師である雪斎殿が、絶対に勝てないと言っただけはある。
結局、ワシに出来ることは援軍を送ることのみ。三法師は、ワシの行動さえも制限してみせたのだ。
実に、厄介極まりない存在よ。その上、アレは未だに至っていない。三法師が、真に目覚める前に摘んでおかねばな……。
翌朝、戦支度を整えたワシは、北条家と合流し亀山城を目指した。大方、ワシ等が着く頃には勝敗はついているだろうが、援軍を送らなければ問題になる。致し方無し……かのぅ。
さて、天下の逆賊明智光秀の最後、良い見世物になろう。せいぜい、惨めたらしく踊るが良い。くっくっくっ…………くっはははははははっ!!!
天正十年六月十六日、徳川家康を総大将とした徳川軍五千と、北条氏照を総大将とした北条軍五千が岡崎城にて合流。
総勢一万の大軍となり、決戦の地亀山城を目指した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます