第79話
天正十年 五月二十八日
『明智光秀、謀反』
その一報は、織田家傘下の大名達に激震を走らせる事となった。
先の武田征伐……彼の日ノ本最強と謳われた名門武田家の敗北により、誰も彼もが「織田信長の天下統一を阻む者は、もういない」と思わざるを得ない心境の中に、突如として起こった裏切り。
ある者は噂の真偽を探り、ある者は信長の生死を探り、ある者は光秀の思惑を推理する。
そして、そんな者達の中でも、三法師からの文を受け取った者達の動向は、諸国の大名達から高い関心を向けられる事となる。
信濃国 滝川一益 五月二十八日
「ば、馬鹿な! 日向守が謀反だとぉっ!? コレは、誠なのか!? 」
儂は、手元にある文を握り締めながら、目の前におる彼岸花殿に鋭い視線を向ける。
本来であれば、三法師様からの使者である彼岸花殿に対して、このような態度は無礼であるのだが……この時の儂はソレを忘れる程に取り乱していた。
「左様にございます。これは、三法師様の御命令にございまする。どうか、御早い御決断を」
儂の睨みなど気にもしない様子で、淡々と語る。彼岸花殿とは、かれこれ一年近くの付き合いだが、誠にこの娘の真意は探れんな。
否……今はそのような些事、気にする手間も惜しい。儂は、今一度文を広げた。
そこには、明智光秀の謀反・上様の御無事・上様と若殿救出作戦の概要・逆賊明智光秀討伐要請が書かれていた。
余程急いでいたのか、作法の欠片も無い文であったが、それがより一層真実味を与える。
ここは、三法師様を信じる他無し。今ならば、上杉家攻略の為に編成していた軍勢を、そのまま投入することが出来る!
閉じていた瞼をゆっくりと開き、彼岸花殿と目を合わせる。
「三法師様よりの御命令、この滝川左近! しかと、承りました! 直ちに、一万の軍勢を率いて参上致すことを、しかとお伝えくださいませ!!! 」
「……ははっ! 」
……その後、彼岸花殿は三法師様宛の文を受け取ると、音もなく消えていった。
さてと、儂も早速出陣するかのぅ。
……一番手柄は、この左近がいただく!
越中国 柴田勝家 五月二十八日
三法師様から明智光秀の謀反を報せが届いた時は、魚津城を包囲していた時であった。
陣中見舞いかと思われたソレは、打倒上杉家に燃えるわし達を奈落の底へと突き落としたのだ。
「おのれぇぇぇぇ明智光秀ぇぇぇっ!!! 許さん! 許さんぞぉぉぉぉぉっ!!! 」
明智への怒りが頂点まで達し、荒々しく立ち上がる。今すぐにでも安土城へ参上し、逆賊明智光秀を討ち取りたいっ!
だが、頭の片隅でその事に対する懸念材料が、ふと脳裏に横切っていく。もしも、わしの懸念が正しいとしたら……そう思ってしまうと、確認せずにいられなかった。
「朝顔殿っ! 上杉家の動きはどうなっておる! 謀反の件は、奴らに知られているのか!? 」
わしの言葉に家臣達も騒めき立つ中、朝顔殿は平伏したまま淡々と言葉を紡いだ。
「私共も、最大限の情報の隠匿に徹しておりますが、如何せん事が事にございます。人の口に戸は立てられませぬ故に、上杉家に噂として情報が流れる可能性は高い……かと」
「やはり…………そうか」
軍勢を安土城に送る……コレは、確定事項だ。しかし、全軍で引き返す訳にもいかん。わし達の行動によって、上杉家に噂の真相を悟られてしまうからだ。
そうなれば、奴らが反撃に出ることは明白。口惜しいが……決断せねばならん。
わしは、今一度面前に見据える魚津城を睨んだ後、家臣達へ指示を出した。
「又左っ! お主に五千の兵を預ける。直ちに安土城へ向かい、三法師様の元逆賊明智光秀を討ち取れぇっ!!! 」
「ははっ! …………しかし、親父殿はどうなさるのでしょうか? 共に向かわないので? 」
「……越中国は、未だ不安定な状態にある。わし達が離れた隙を、上杉家に突かれれば多大な被害を受けることになろう。であれば、一度攻勢に出た後に折を見て後退、上杉家の動向を探りながら鎮圧せねばならん。……わしが、指揮するしかあるまい。又左、わしの代わりに三法師様をお助けするのだ。良いな? 」
「は、ははっ!!! 」
又左は深々と平伏すると、一目散に陣中から出て行った。それを見送ると、わしは勢い良く立ち上がり号令をかける。
「全軍行進っ!!! 又左の動きを悟らせるな! かかれぇかかれぇぇぇぇぇぇぇっ!!! 」
『おおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!! 』
三法師様……少し遅れますが、必ずやこの権六も参上致します! 暫しお待ちをっ!
和泉国 蜂屋頼隆 五月二十八日
「う、上様……奇妙様…………」
ひらりひらりと、文が宙を舞う。一筋の雫が地面に落ちたかと思えば、次々と後を追うように地面を濡らしていく。
脳裏に過ぎるのは、織田家で過ごした大切な思い出の数々。それが、今一度儂の活力にならんと胸を熱く刺激する。
「蜂屋様! ここからならば、二条城に籠る上様と岐阜中将様をお救い出来るやも知れませぬ! どうか、どうかお力をお貸しくださいませ! 」
ジャリジャリと、地面に額を押し付けながら懇願する梅殿の声が響き渡ると、儂の意識は一気に蘇った!
「梅殿……三法師様にお伝えくださいませ。儂は、織田家への忠義に生きる……と」
「で、ではっ!! 」
目を輝かせながら儂を見詰める梅殿に、力強く頷いて返事をする。
「者共ぉぉっ! これより、二条城へ向かう! 逆賊明智光秀を討ち果たし、上様をお救いするのだぁっ!!! 」
『御意っ!!! 』
三七様率いる長宗我部討伐軍に参陣する為、兵を率いていた今ならば、誰よりも早く二条城へ行ける!
たとえこの身が朽ちようとも、必ずや使命を果たしてみせようぞ!!!
――五月二十八日午前八時、蜂屋頼隆率いる三千の軍勢が二条城に向けて出陣した。
同日午前九時、近江国日野城に居た蒲生賢秀が息子を伴って出陣。それを追うように、若狭国の勝蔵も出陣。
それぞれ、二千にも満たない小勢であったが、怒りに身を震わせながら二条城へ向かった。
五月二十八日午前十時、本能寺鎮火。
明智光秀の軍勢が、また動き始める。
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