第54話

 天正九年 十二月 岐阜城




 旅の汚れを落とし正装に着替えた俺は、大広間に向かっていた。目的は、北条家との婚姻同盟の報告だ。身内とはいえども、俺は織田家当主の嫡男として北条家へ行ったので、こういうことはちゃんとやらないと駄目なのだ。


 新五郎も既に親父の元にいる為、現在俺の傍にいるのは藤姫と甲斐姫、そして一刀斎だ。


 まぁ一刀斎は中に入れないし、藤姫と甲斐姫も合図が来るまで待機なのだが……三人共緊張しているのか、全く話さない。


 だが、それも無理は無いだろう。親父は織田家当主……つまり、天下人だと言っても過言では無いのだ。如何に俺が身分は気にするなと言っても、藤姫からしたら主家の当主だし、甲斐姫は更に格が下がる。一刀斎なんて目も当てられん。


「三法師様、どうぞお入りくださいませ」


 どうしたものかと思っていると、小姓から案内が来てしまった。このまま三人を置いて行くのは忍びないが、致し方無し。


「では、いってくるね。さんにんは、ここでまっていてくれ」


『はっ……行ってらっしゃいませ』


 何か捨てられた仔犬見たいな目をしていて、凄く後ろ髪を引かれる思いだった。




「しつれいいたします」


 そそくさと親父の前まで行くと、平伏する。


「ほうじょうけとのこんいんどうめい。しかと、むすんでまいりました。かんけいもりょうこうであり、こんごもおだけにじんりょくしてくださるでしょう」


「うむ、大儀である。三法師よ、此度の働き実に天晴れ! 織田家嫡男として、申し分無い才覚である。父上も、さぞ御喜びであろう」


「ははっ! 」


 ここで顔を上げると、親父と目が合った。すると、どちらからともなく笑いが零れる。公的な場はここでお終い、ここからは親子として話せる。


「相模に行ってから、一皮剥けたな三法師よ。『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とは言うが……良い経験を積めたのだな」


 良い経験……確かに北条家での日々は毎日が濃厚で、勉強になることばかりだった。


 藤姫・甲斐姫・高丸・雪・一刀斎……そして師匠との出会いは、俺を大きく成長させた。藤姫と甲斐姫には愛を、高丸と雪には兄妹の絆を、一刀斎には誇りを、師匠には心を……その全てが俺を揺さぶり、考えさせ血肉へと変えることが出来た。


 彼等がいなかったら、今の俺はいないだろう。


「はい。すばらしいひとたちと、めぐりあうことができました。このきかいをあたえてくださったちちうえに、いまいちどかんしゃもうしあげます」


 俺は、再度深々と頭を下げた。精一杯の感謝を伝える為に。普通ならば、跡取り息子を相模まで送らない。コレは、一重に親父の信頼あってのこと。


 あれだけ心配してくれていたのだ。この半年気が気では無かっただろう。そこにまた愛を感じ、感極まってくる。


 きっと、俺が幸運だったのは金持ちの家に転生したことでも、織田家に転生したことでも無い。俺を理解し、愛してくれるじいさんと親父の元に生まれてきたことなんだ。


 じいさん、親父……俺を愛してくれてありがとう。




 ふと気が付くと、辺りが静まり返っていた。何事かと顔を上げると、親父が号泣していた。


 そりゃもう一切隠す気の無いマジ泣きであり、そこは男らしいと思うが、家臣達はみんな戸惑っている。


 十分くらい泣き続けると、ようやくみんなの視線に気付いたのか、乱暴に袖で顔を拭った。


「んんっ! すまぬな取り乱した。三法師、お主は立派に成長した。これからも精進し、織田家当主としての道を歩みなさい」


「はい! 」


「ところで、俺に紹介すべき者がおるのであろう? さぁ、連れて来なさい」


「ははっ! 」


 確かに話題を変える頃合か。小姓に視線で合図を送ると、すぐさま呼びに行ってくれた。


『失礼致します』


 綺麗に揃った二人の声が広間に響くと、ゆっくりとした足取りで俺の横まで来た。随分緊張しているが、長年染み付いた作法は簡単に忘れるモノでは無く、実に美しい所作であった。


 周りの家臣達からも感嘆の声が上がり、大勢の美女を見てきたであろう親父でさえ、溜息を零す。


「お初にお目にかかります。北条相模守が娘、藤と申します。天下にその名を轟かせる岐阜中将様にお目通り叶い、恐悦至極にございます」


「お初にお目にかかります。北条家家臣成田氏長が娘、甲斐と申します。私共に御時間を割いていただき、恐悦至極にございます」


 なんて美しいのだろうか。所作もさることながら、芯の通った声と物怖じしない態度が、嫌でも目を惹き付けて止まない。まさに、才女と呼ぶに相応しい子達だ。


「うむ、面をあげよ」


『はっ』


「遠路遥々よう参られた。そなた達のことは、三法師から聞いている。あの子が選んだ子だ、文句は言わん。だが……一つ問いたい。そなた達は、誠に三法師を愛しているのか否か……どうなのだ? 」


 親父の鋭い眼光が、二人を貫く。じいさん譲りの威圧感溢れる眼は、並の武将でさえ恐れを抱くと言うのに、か弱い女の子である二人に耐えられる訳が無いっ……。


「ちちうえ……それはっ」


「三法師は、黙っておれっ!!! 」


 見兼ねて止めに入ろうとするも、雷のような声量で一刀両断にされてしまった。


 どうしたものかと焦っていると、不意に二人がこちらを向き……そして軽やかに笑った。


「わたくしは、三法師様の御心に惹かれました。どんな状況でも諦めず、他人の心情に共感し慈悲の涙を流す姿を、わたくしは生涯忘れませんわ」


「私は、三法師に心の強さを教えていただきました。武でも智でも無く、自らの危険を省みず死地へ飛び込む勇気。その信念のままに、民を救う姿に私は惹かれたのです」


『ならば、私共は生涯をかけて御支えするのみ! 私共は、三法師様を愛しております! この想いは、生涯変わりませぬ! 』




 俺は、涙で何も見えなかった。始まりは、政略結婚だった俺達だけど、共に過ごし育んだ絆は決して無駄では無かったのだ。


 心から愛していたのは、俺だけでは無い。それが確信出来たことに、胸が張り裂けそうなくらい嬉しかった。


 親父にも、その真摯な心が届いたのだろう。大きく頷くと、優しげな笑みを浮かべた。


「二人の気持ちは分かった。藤姫と甲斐姫両名に、三法師との婚約を認める! これは、織田家当主織田左近衛中将信忠の意である!! 」


『おめでとうございまする!!! 』


 突如として立ち上がり、声高々に俺達の婚約を認めると、家臣達から一斉に祝福の声が上がった。


「今宵は宴じゃ! 盛大に祝え!!! 」


『ははっ! 』


 あまりの急展開に目を白黒させてしまったが、藤姫と甲斐姫と目が合うと、どちらからともなく笑みが零れてしまった。


 こんなにも、祝福してくれているのだ。これ以上の喜びは無いだろう。


 どうやら、今夜は楽しい夜になりそうだ。






 家臣達が宴の準備に取り掛かるのを見て、俺も広間を出ようとすると、不意に親父に呼び止められた。


「三法師、少し待ちなさい」


 俺は、まだ何かあったのかと疑問に思い思考を巡らせたが、とんと心当たりが無い。


「ちちうえ、どうかなされましたか? 」


「うむ。新年は安土にて、父上に年賀の挨拶へ向かうのだが、お主も来るであろう? 準備をしておくように……と思ってな」


「ねんがのあいさつ……ですか」


「うむ。諸国の大名からも使者が参るし、年賀となれば藤も戦線を離れ安土まで参るであろう」


「え……と……」


「あぁ……すまん。藤吉郎と言えば分かるか? 」






 天正十年……激動の一年が幕を開ける。


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