愚者の贈り物

愚者の贈り物

「木村さんの髪、すごく綺麗だね」


それが、彼女と私との初めての会話だった。

忘れもしない、4月。高校2年生に進級した春。クラス替えによって友人とはクラスが離れてしまい、知り合いが誰もいない教室の隅で、私は所在なさげに椅子に座っていた。そんな時、隣の席になった彼女に話しかけられたのだ。


「あ、ありがとう」


突然の褒め言葉に照れながらもそう返す。


「それさ、自分でやってるの?」


そう言いながらも彼女が指さしたのは、丁寧に編み込まれた私の髪。


「うん、そうだよ」


「えーすごい!いいなあ、私も編み込みしたい。私天パでさ、どんだけヘアアイロンしてもすぐに爆発するんだよね」


そう言いながら、彼女は自身の髪を一房掴んで見せる。確かにくるくると曲線を描くその髪はボリュームがあって、毎朝大変だろうなという感想を抱いた。


「やってあげようか」


「え?」


「ヘアアレンジ。編み込みだけならそんなに時間かからないし、HRの前の時間にやってあげるよ」


今思えば、初めて喋った相手によくそんな大胆な提案ができたものだと思う。けれど私は少し喋っただけの彼女に好印象を抱いていて、ぜひ仲良くなりたいと思っていた。毎日ヘアアレンジをする約束をすれば、毎日喋ることができる。それは天才的なアイデアのように思えた。


きっと、一目惚れだった。


彼女──柚月はそんな私の提案に顔を輝かせて、「いいの⁉︎嬉しい」と満面の笑みで頷いた。


それから、私は柚月の髪を編み込むのが日課となった。このためにHRが始まる10分前には登校して、教室で彼女の髪を編み込む。その時間が好きだった。髪を編みながら取り止めのない話をする、二人だけの時間。


もっとヘアアレンジが上手くなりたいと思い、本を買って勉強した。妹に実験台になって欲しいと頼むと、彼女は喜んで協力してくれた。そうすると最初は編み込みだけだったのが段々と凝っていくようになり、その度に柚月はすごいすごいと顔を輝かせて喜んでくれるので、私のやる気はますます高まっていった。


「七星さ、将来美容師になったらどう?」


「え?なに、いきなり」


「いきなりじゃないよ!ずっと思ってたんだ。七星ヘアアレンジうまいし、絶対人気の美容師になれるよ」


「そうかな……」


美容師になる。そんなこと考えたことはなかった。けれど柚月が「絶対向いてるって」と何度も繰り返すものだから、私はすっかりその気になってしまった。


「じゃあ、私が美容師になったら、柚月がお客さんになってね」


「もちろんだよ!七星の一番最初のお客さんは私ね。予約しとく」


「ふふ、気が早いって」


当たり前のように将来の約束をしてくれるのが嬉しかった。来年3年生になってクラスが別れたら、高校を卒業したら。柚月と離れる未来が怖かった。けれどその約束さえあれば、私はどこまでもいける気がした。


「私、好きな人ができた」


柚月がそう言い出したのは、秋になった頃だった。いつも通り椅子に座って、真っ直ぐに前を見据えながら世間話のようにそう言うものだから、私は一瞬「へーそう」と流そうとして、遅れて衝撃を受けた。三つ編みをしている途中だった柚月の髪がするりと手からこぼれ落ち、するすると解けて元に戻っていった。


「え、なんか言ってよ」


「……だ、誰?」


「駿くん!」


「ああ…隣の、クラスの?」


「そう。委員会が一緒でね、その髪かわいいねって言ってくれたの!」


そんなの、私だっていつも言ってる。そもそも毎日ヘアアレンジしてるのは私だし。口を開けばどろどろとした感情が言葉になって溢れそうで、ぐっと下唇を噛んだ。

柚月が前を向いていてくれてよかった。きっと今、私はひどい顔をしているだろうから。


「……じゃあ、気合入れてやらないとね」


「うん!今日も可愛くお願いしまーす!」


おどけた様子でそう言う柚月に、私は「うん」と小さく頷いた。


その日から、あれほど楽しみだったヘアアレンジの時間が少し憂鬱になってしまった。だってもし、私がヘアアレンジしたのがきっかけで二人が付き合うことになってしまったら?そう思うと、私は何をやっているんだろうと虚しい気持ちが訪れる。


それでも、柚月と一緒にいられるだけで幸せだったから。毎朝、ヘアアレンジが終わったあと鏡で自分の髪を確認して「今日も七星は天才だね!」と満面の笑みで言う柚月が好きだったから。だから私は、毎朝懲りもせず早起きをして、10分前に登校して、柚月の髪を編み続けている。


そんなある日、放課後にふらりと寄った雑貨屋さんで、美しい髪飾りを見つけた。その髪飾りは小ぶりな花が3つほどあしらわれており、その周りに大小さまざまなパールが散りばめられていた。派手すぎなくて、高校生が着けていても違和感はないだろう。


──柚月に似合いそう。


気づけば、その髪飾りを購入していた。少し値段は張ったけれど、でもこれをプレゼントした時の柚月の満面の笑みを想像すると気にならなかった。


綺麗にラッピングしてもらったそれが入ったカバンを大切に抱え直す。

明日の朝いちばんに、柚月にこれを渡そう。そしてこれを使って、今までで一番のヘアアレンジをしてあげよう。そうしたら、私が一番に似合ってるよ、可愛いねって言ってあげるんだ。


家に帰ると、私はヘアアレンジの本を開いて、この髪飾りに一番合うアレンジを探した。次の日のことを考えると心が高鳴ってなかなか眠れなかった。朝登校する時も、その髪飾りがスカートのポケットの中に入っていることを何度も確認した。高校へ向かう電車の中でも、何度もそれを見返してはニヤニヤを隠せなかった。


けれど。


「七星、おはよう!」


「......え」


柚月の美しい黒髪は、肩の上で頼りなさげに揺れていた。


「髪、切ったんだ」


何気ない感想を装ったその声は、しかし動揺に揺れていた。けれど柚月はそれに気づかずにはにかんだ。いつもの、私が好きな満面の笑みとは違う、大人びた笑みだった。


「うん。駿くんがね、髪が短い方が好きなんだって!どう?似合ってる?」


不安げに訪ねてくる様子はまさしく恋する少女そのもので、私は咄嗟に返事を返すことができず曖昧に微笑むしかなかった。


「ごめん、ちょっと行かないといけないところがあって」


そう断って柚月の返事も待たず歩みを進める。もちろん行かないといけないところなんてない。目についた女子トイレに駆け込み、手前の個室に入って鍵を閉めると、私は冷たいタイルの壁に力なくもたれかかった。その拍子に壁にぶつかったのだろう、ポケットの中から髪飾りがカツリと音を立てて存在を主張する。その音を聞いた瞬間、私は途端に湧き上がった激情のままにそれをむしり取って床に叩きつけた。あれほど美しいと思った髪飾りが、今はただのがらくたに見える。


「ばかみたい」


ばかみたいだ、本当に。この恋が叶うはずがないのに。あの髪が私のものになるはずがないのに。分かっていたはずなのに。


「私、ほんと、もう、やだ...」


目を閉じると、柚月の短くなった黒髪が思い浮かぶ。好きな人がショートカットが好きだと知って、少しでも好みに近づきたいなんていじらしい恋心を抱いて、ドキドキしながら髪を切ったのだろう。ショートカットになった自分を鏡で見て、これで好きになってもらえるだろうかと胸を高鳴らせたのだろう。


きっと、私のことなんて考えなかった。毎日髪を編んでくれるだけの、ただの友人のことなんて。そんな思考を涙で外へと押し出す。


いつまでそうしていただろうか。トイレにまで響くチャイムの音に、はっと我に帰った。教室に戻らなくては。きっと、心配しているだろうから。


涙を拭って立ち上がる。トイレの個室から出て鏡を見ると、泣き腫らしたせいで目は真っ赤になっていた。パァンと両頬を叩くと、鏡に映る自分の瞳を見つめて一つ頷く。


教室に戻ったら、その髪かわいいね、似合ってるよ、って言おう。きっと、いつもの満面の笑みで喜んでくれるから。


私は踵を返して教室に向かった。美しい髪飾りは、トイレのゴミ箱の底で眠っている。

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愚者の贈り物 @inori0906

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