2-3
「どうも、こんばんは。っていうか、この鳥なんとかして下さいよ!」
「ああ、こんばんは。その子は、私の親友のプッチだよ。親友が鳥だなんて、なんて可哀想な奴だなどと決して思わないようにね。いや、思う分には、百歩譲って許そう。決して、口に出してはいけないよ。傷つくからね」
「分かりました! 分かったから、早く止めて!」
ホルンが叫び声を上げると、ノアはピュイと口笛を吹いた。すると、黒い鳥は、頭上で二、三周旋回し、ノアの肩に止まった。
「ピチチチチ!」
真っ黒な鳥、プッチが嬉しそうに声を上げた。『もうっ』と不満そうにホルンは、乱れた髪の毛を整える。
「こんな時間に、こんな場所で何をやっているんですか?」
「何って、見て分からないかね? 散歩だよ、散歩。言うまでもないと思うが、私がプッチの散歩をしてあげているのだよ。私が散歩をしてもらっている訳じゃないからね。そこのところ、誤解のなきように」
「歩いているのは、ノアさんですけどね」
「ああ、なるほど! こりゃ一本取られたね! 確かにその通りだ! まあ、散歩のついでに、君に会えないかと期待もしていたが、会えて嬉しいよ。プッチも紹介したいと思っていたしね」
ノアは、プッチの前に人差し指を出した。すると、プッチは、ノアの指に飛び移った。
「君も手を前に出してもらえないか?」
「こ、こうですか?」
ホルンは、言われるがまま、掌を上にして、体の前に手を出した。その瞬間に、プッチはホルンの手の上に飛んだ。
「ピチチチチ!」
「よろしくと言ってるよ」
是非の判断はできないが、ノアは鳥語を通訳した。半信半疑のホルンであったが、一応鳥に向かって頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく」
「ピチチチチ!」
プッチは、笑うように鳴いた。
「プッチは、ノアさんが飼っているんですか?」
「飼っている訳ではないよ。私達は、仲良しなのだよ。私と君のようにね。遊んでいたら、懐かれてしまってね。それから、一緒にいる時間が増えたのさ」
ん? 聞き間違いか? ホルンは首を捻り、プッチを見つめた。
「こんな真っ黒な鳥、珍しいですね・・・ってこれ『マスイノトリ』じゃないですか!? え? え? どうして、こんな色に!? 初めて見ましたよ!?」
「そうだろう、そうだろう。珍しいのだよ。プッチと初めて会った時は、真っ白だったのだけれどね。私と一緒にいるうちに、だんだんと黒く染まっていったのだよ。不思議な事もあるものだ」
「ノアさんと一緒にいるから、ダークサイドに染まっていったんですかね?」
「言うね、君も。心地良さすら感じてきてしまったよ。癖になりそうだ」
ノアは、嬉しそうに手を出すと、プッチはホルンの手から飛んだ。ノアとプッチは、本当に仲が良いようだ。
『マスイノトリ』は、生活環境によって、体毛の色が変化する。黒く染まっている原因は、皆目見当もつかないが、ノアにとって羽の色なんかまったく関係がない。
「どうやら、プッチも君の事が気に入ったようだよ。私には、分かる」
「そうですか・・・気に入ってもらえましたか・・・」
「ん? なんだか、意味深な雰囲気を醸し出すじゃないか? 何かあったのかい?」
ノアの質問に、ホルンはドキッとして、大袈裟な身振りで誤魔化した。作り笑いが不自然ではないか、気になっていた。ホルンはつい先日、親友に存在を否定されたばかりだ。それから、露骨に避けられている。ホルンは、唇を口内に巻き入れ、目を伏せた。意識して、気持ちを強く保とうと努力をしていたが、心が折れかかっていた。恥ずかしくて、喜びを素直に表現する事は難しいが、他者からの承認を獲得する事は、ありがたかった。
例え、相手が奇人変人であろうと、例え鳥であろうと。
「やっぱり、信頼し合っている親友だから、意思の疎通ができているんですね?」
ホルンは、零れそうになった涙を堪えながら、懸命に笑ってみせた。すると、ノアが口を大きく開けて笑った。
「鳥と意思の疎通ができる訳ないではないか? 君は、本当に面白い子だね」
「・・・え?」
ホルンは、酷く傷ついたような表情を浮かべた。ホルンが求めていた答えではなかった。
「いや、鳥だろうと、人間であろうと、意思の疎通など容易くできる訳がないのだよ。それこそ、長年連れ添った夫婦であろうとね。相手の考えている事など、分かる訳がない。分かった気になっているだけだ。いいかい? 肝心な事は、よく観察する事さ。よく観察して、相手の感情を読み解く精度を上げていくのさ。小さな違和感を察知する感覚を研ぎ澄ますのさ」
「観察ですか」
「そうさ。観察の繰り返しだ。それが、経験値となって蓄積されていく。カンが鋭くなるのさ。カンとは即ち、経験値だ。カンと当てずっぽうは、まるで別物だからね。君も様々な経験を積むといいよ。そうする事で、世界はより広くなるものさ」
「・・・世界が広くなる」
ポツリと呟いた後に、ホルンはノアを見上げて、口を開いた。が、声が出かかったところで、言葉を飲み込んだ。
ノアさんは、外の世界があると思いますか?
そう尋ねようとして、思いとどまった。悪戯に、口にしていい話ではない。そして何より、ノア=キッシュベルは、シュガーホープ七世の専属給仕人だ。この世界最大の禁忌を、禁忌として定めている権力者に近しい人物に話すべきではない。
「どうしたのだね? 何か言いかけたように見えたが?」
ノアが、掌の上いるプッチとスキンシップを取りながら、横目でホルンを見ている。
「ええと・・・給仕人の仕事って、どんな事をするんですか?」
「・・・ハア・・・まあ、いいだろう。身の回りのお世話をするのだよ」
ノアは、退屈そうに簡潔に答え、プッチとじゃれ合っている。取り繕った事を見透かされ、ホルンは居心地が悪く俯いた。傷つけてしまったかもしれないと、ホルンは臓腑が冷たくなるのを感じた。しかし、迂闊な言動は避けるべきだと、頭の中で警鐘が鳴っている。そして、ホルンは、目を見開いて、ノアを見つめた。
「あの、ノアさん?」
「ん? 何だい?」
「シュガーホープ様って、どんな人ですか? ノアさんは、実際に会われているんですよね?」
「ああ、勿論だとも。私は専属の給仕人だからね。どんな人か・・・そうだね、私から見たら、責任感の強い人だね」
「責任感ですか?」
「ああ、そうだね。責任感だ。この世界そのものを守っている人だからね。見方を変えると、冷酷に見えてしまう事もあるだろう。神と悪魔は、紙一重さ。一見、理不尽に見られる事も、決断しなくちゃならない。嫌われ者になったとしても、貫かなくちゃいけない事もあるのさ」
貫かなければならない想い。
ノアの言葉が、ホルンの核となる部分に、ズシンとのしかかった。
「ノアさんは、シュガーホープ様が好きなんですね?」
「ん? 不思議な事を聞くね?」
ホルンは、ドキッとして懸命に手と顔を左右に振った。シュガーホープは、生きる法律であり、この世界の象徴であり、崇め奉る存在だ。好き嫌いで判断するものではなく、仮に二択であろうと、口にしても良い言葉は一択しかない。
ホルンが慌てふためていると、ノアは瞳を三日月型にし、口角をキュッと持ち上げた。
「まあまあ、落ち着きなさいな。聞かなかった事にしてあげよう。私としては、どちらでも構わないと思っているからね。でも、そうは思わない人間が、ほとんどだ。不用意な言動は、控える事をお勧めするよ。力のない者は、言動を制限される。それが、世のことわりだよ」
「・・・あの、ノアさんは、まったく言動が制限されていないように見えますけど・・・何故ですか? シュガーホープ七世様の専属給仕人は、やっぱり権力があるんですか?」
「逆だね。シュガーホープ様専属給仕人だから、力があるのではないのだよ。力があるから、シュガーホープ様の専属給仕人に抜擢されたのさ。私は力持ちなのさ」
ノアは、腕を肩の高さに上げ、力こぶを作る格好をした。ケラケラと高らかに笑い、薄暗くなった街並みにこだましている。あの細いノアの腕に実質的な腕力があるようには見えない。力持ちとはものの例えだとホルンには、理解できていた。という事は、ノアは貴族出身者なのかもしれない。しかも、四大貴族に数えられる家系の、どれかの出なのだろう。
「ノアさんは、お貴族様の家の方なんですか?」
「私がお貴族様だって? 面白い事を言うね。まあ、そう勘違いさせてしまうほどの品の良さが滲み出ているのだろう。分かる分かるよ。でも、残念ながら、育ちは良くないね」
「・・・それじゃあ、どうして?」
「君は、この世で最も強い力って、なんだと思うのだい?」
肩にプッチを乗せたノアが、大股で歩き、ホルンの鼻先に顔を寄せた。身を引いたホルンは、首を傾けながら、様子を窺うように口を開いた。
「家柄ですか? 権力だと思いますけど・・・」
ホルンの顔の前に人差し指を出したノアは、指を左右に振りながら、チッチッチッと舌を鳴らした。
「それはね・・・暴力だよ」
そう言うと、ノアは『ごきげんよう』とスカートを持ち上げ、去っていった。
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