1-12

「ちょっと、ホルン! その怪我どうしたのよ!?」

 家に入るなり、母親であるフルートの絶叫が、ホルンの耳を劈いた。反射的に、両手の人差し指を耳の穴に突っ込んだ。

「ホルン! 聞いているの!? ちゃんと説明しなさい!」

 フルートの大声に、ホルンは顔をしかめた。耳栓をしていた意味がまるでない。

「おい、フルート。その前に、手当てしてやれ」

「あ、そ、そうね。少し待ってなさい」

 夫であるドラムの声に思い出したように、フルートは小走りで奥の部屋に行き、救急箱を持って戻ってきた。

「ホルン! そこ座りなさい!」

 フルートに言われるがまま、ホルンは円形のテーブルの椅子に腰をかけた。右隣では、父親のドラムが酒を流し込んでいる。左隣では、妹のピアニカが不思議な物を見つめる視線を送っていた。

「なんだホルン。喧嘩か?」

「うん、まあ、そんなとこ」

「勝ったのか?」

「・・・負けた」

「ガッハッハ! 相変わらず、お前は弱っちーなあ!」

 ドラムは愉快そうに酒を飲んでいる。ホルンはムスッと膨れた。

「もう、あなた! 笑っちゃ可哀そうでしょ? こんなに傷だらけになってるのよ!」

 フルートは、ホルンの前でしゃがみ込み、傷に消毒を塗っていく。塗られる度にホルンは目を閉じ、痛みと戦っていた。

「同情される方が可哀そうだろ? 笑い飛ばしてやるくらいが、丁度良いんだよ。なあ、ホルン? 敗者に同情なんか、傷口に塩を塗るようなもんだ!」

 大声で笑うドラムを、ホルンは涙目で見た。塩ではなく消毒だけど、十分痛い。ドラムの言うように、憐れみをかけられるくらいなら、盛大に笑われた方がいっそ清々しい。清々しいほどの、負けっぷりだったからなおさらだ。

「もう、どうして笑ってられるのよ!? ホルンの事が心配じゃないの!? こんなに傷だらけなのよ!?」

「ああ、十分心配してるさ。体じゃなくて、傷つけられたこいつのプライドをな。いいか、ホルン。傷つけられたプライドは、消毒じゃ治らねえ。リベンジするしかないんだ」

「馬鹿な事言わないで!」

 フルートの怒りのせいで、ホルンの傷口を押える力が強くなっている。傷口を押えられる度に、ホルンは小さな悲鳴を上げていた。この痛みは、もはや消毒だけが原因ではない。八つ当たりだ。

「次も負けたら、どうするのさ?」

「もう一度、立ち向かえばいい」

「その次も、負けたら?」

「何度でも、挑めばいい。諦めた時が、本当の負けだ。挑み続ける限り、負けじゃねえ」

 ホルンは、酒を飲むドラムの横顔を眺め、力強く頷いた。

「こら! 納得するな! 喧嘩なんかしちゃダメよ!」

 フルートは、ホルンの傷口をグッと押した。ホルンは、悲鳴を上げて飛び上がった。絶対にわざとだ。ホルンは、涙目でフルートを睨んだ。ホルンと目が合ったフルートは、フンッと顔を背けた。だいぶご立腹のようだ。

「・・・ホルン。その後、ビッシュの様子はどうなの?」

 フルートが突然眉を下げ、心配そうにホルンの傷口に消毒を塗った。先ほどまでの乱暴さはなく、優しい手つきだ。しかし、ホルンの体は、正直に反応した。傷口の痛みよりも、ビッシュという名前に過剰反応を起こした。

「別にいつも通りだよ」

「・・・そう。ビッシュは小さな頃からのお友達だものね。お母さんもよく知っているわ。とても、いい子。でもね、お母さんはね・・・あまりあの子とは、関わって欲しくないの」

「どうして、そんな事言うんだよ!?」

 ホルンは、反射的に勢いよく立ち上がった。反動で椅子が後方へと倒れたが、床に激突する前にドラムが受け止めた。

「おいおい、フルート。滅多な事を言うもんじゃないぞ?」

「だって、心配じゃないの! ホルンにとって大切なお友達だって事は分かってるわ。物凄く嫌な事言ってる事も理解してるの。でもね、でも、やっぱり私は怖いのよ。ホルンが何か悪い事に巻き込まれたらと思うと・・・」

 フルートは両手で顔を覆い、泣き出してしまった。ホルンは、呆然とフルートを見つめ、罪悪感がポツポツと気泡のように浮き上がってきた。この全身の傷は、ビッシュから受けたものだとは、口が裂けても言えなくなった。これ以上、ビッシュの評判を落とす訳にはいかない。

「で、でも・・・ビッシュは、親友だし、幼馴染だし、子供の頃からずっと一緒にいる兄弟みたいな奴だし・・・そんなの無理だよ」

 ホルンは、奥歯を噛みしめ、溢れ出しそうな涙を堪えている。センシブにも言われ、フルートにも言われた。信頼している大好きな二人に、大好きな親友を切り捨てろと言われた。そんな事、言って欲しくなかった。特に、この二人には。今すぐに逃げ出したい気分になったホルンは、助けを求めるように右側に顔を向けた。ホルンの視線に気が付いたドラムが、ゴツイ手を伸ばし、息子の頭を鷲掴みした。

「自分で決めろ!」

 いつものような笑みを消し、ドラムは厳しい表情を向けた。芯に響くドラムの野太い声に、ホルンの背筋は勝手に伸びた。ドラムは床に膝をついて、フルートの肩に手を置いた。ホルンとフルートを繋ぐ橋のようになっている。

「フルートの気持ちは痛いほど分かる。こんな俺でもホルンの親だ。気持ちを伝える事はとても大切な事だが、願望を押し付けるような真似はなしにしようや。親の涙は、脅迫に近いものがあるからな」

 目を細めて柔らかい表情を見せていたドラムが、今度はホルンに厳しい顔を向ける。

「腹くくれ。男だったら、中途半端な真似するな。言葉じゃなくて行動で示せ。親を納得させるだけの材料を見せてみろ。情けないツラしてんじゃねえぞ」

 ホルンは両手で自分の顔をパンパンと叩き、真っ直ぐにドラムを見つめて頷いた。ドラムは、いつものように『ガハハハ!』と豪快に笑い、ぐしゃぐしゃとホルンの頭を乱暴にかき混ぜた。

「さあ、飯にしようぜ。腹減った。後、酒お代わり」

 ドラムは、空になったコップをフルートに差し出した。フルートは『はいはい』と呆れたように笑みを浮かべ、キッチンへと向かう。テーブルに夕飯が並び、家族四人で手を合わせた。

「シュガーホープ様のご加護に感謝いたします」

 ドラムが目を閉じ、口上を述べた。

「感謝いたします」

 ホルン、フルート、ピアニカの三人が、声を合わせて続いた。四人はそれぞれ食材に手を伸ばして、夕食を堪能する。暫く、世間話をしていると、突然フルートが手を止めた。

「ところで、ホルン。アカデミーでいじめられてない?」

 フルートの真っ直ぐな眼差しを受け、ホルンは首を傾げた。

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