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 冷気を孕んだ風に、ホルンは身震いがした。寒さだけではなく、ビッシュの姿が見当たらない事に、背筋が凍った。どれほど叫んでも返答はなく、乱暴に風が通り過ぎていく。

 この寒さは、秋山のものではない。秋山に隣接している冬山からの風だ。冬山からの干渉が届く距離に立ち入ってしまった。

 近年頻出している失踪事件は、冬山での遭難が原因ではないかと噂されている。それ故、冬山への立ち入りは、一般的には禁止されている。何より、シールドの山岳部隊が、入山を防ぐべく目を光らせている。しかし、シールドの面々には、遭遇していない。冬山までは、まだ距離があるはずだ。とは言え、実際問題、ビッシュとはぐれてしまった事に焦りが生じる。

 先ほどの突風で、下方へと吹き飛ばされてしまったのかもしれない。このまま一人で探すか、急いで下山し助けを求めるか・・・ホルンは奥歯をかみしめて、山を下っていく。ビッシュの名を呼び続けるが、まるで返答がない。頭を打って気絶しているのかもしれない。骨折し身動きが取れないのかもしれない。痛みで苦しみ声が出せないのかもしれない。ホルンは懸命に頭を振って、悪い想像を吹き飛ばそうとする。しかし、ネガティブな思考は、具現化されたようにホルンの後を追いかけてくる。

 ホルンは、転げ落ちるように、秋山を下った。フォル地区の住宅地に辿り着き、最初に出会った大人に助けを求めた。事情を聴いた大人は、血相を変えて走り出す。シールドに捜索を願い出てくれた。

 ホルンは、荒々しい呼吸を繰り返し、張り裂けそうな心臓を掴んだ。疲労と体中の痛み、そして最悪の事態を考えて、ホルンの心拍数は上昇していく。すると突然、ホルンの視界がぐにゃりと歪み、地面に倒れこんだ。全身が痣だらけで、至る所から鮮血が噴き出しているホルンに、住人たちが駆け寄った。ホルンの耳には、遠くの方で騒いでいる人々の声が微かに聞こえていた。そして、精も魂も尽き果てたホルンは、眠るように意識を失った。

 ホルンが目を覚ましたのは、翌日の早朝だ。霞がかかったような脳内と視界。ぼんやりと周囲を見渡すと、ベイスホーム家の自室だと気が付いた。

「ビッシュ!」

 ハッとして、ベッドから飛び起きたホルンは、叫び声をあげた。ホルンの声に、母親であるフルート=ベイスホームが、血相を変えて部屋に入ってきた。

「ホルン! 目を覚ましたのね! ああ! 良かった! 本当に良かった! 具合はどう? 気持ち悪くない? どこか痛い所はない?」

 涙目でホルンに詰め寄るフルートは、息子の体を触りながら、怪我の有無を確認し抱き着いた。フルートの勢いに気圧されているホルンは、戸惑いながら母親を引き剥がした。

「だ、大丈夫だよ! ところで、ビッシュは!? ビッシュは大丈夫なの!?」

 怒鳴り声に近い声で、ホルンはフルートを凝視する。フルートは、気まずそうに顔を背け、ゆっくりとホルンの隣に座った。二人分の体重がかかり、ベッドがきしんでいる。

「・・・ビッシュは、まだ見つかってないのよ」

「え? そ、そんな・・・」

 ベッドから飛び降りようとしたホルンを、フルートは抱きしめて止める。

「待ちなさいホルン! 落ち着きなさい!」

「だって、ビッシュが! ビッシュが!」

「あなたが行ってどうするの? シールドの方々が、探してくれているわ。信じて待ちましょ」

 フルートが言うように、ホルンが行ったところで、大した役には立たない。それどころか、迷惑をかけてしまう可能性だってある。ホルンは、そんな事は十分理解しているが、居てもたってもいられない。

「でも、せめて近くで待っていたいんだよ、お母さん! お願いだよ! 行かせて!」

「ダメ! 絶対にダメよ! ホルンが黙って見てるだけで終わる訳がないじゃないのよ! 今日は一歩も家から出しません! アカデミーもお休みしなさい! 今日は一日、体を安静にしなさい!」

 フルートの怒りにも似た圧力に、ホルンは押し切られてしまった。こうなったフルートの頑固さは、父親ですら覆すことができない。ホルンは、諦めたように項垂れて、小さく顎を引いた。フルートは、にこやかに微笑み、ホルンの頭を優しく撫でた。

「お腹空いてるでしょ? 昨日から何も食べていないものね。すぐに朝ごはんの支度するから、待っててね」

 フルートは、ベッドから立ち上がり、ホルンはうつ向いたまま、もう一度頷いた。静かに扉が閉まる音が聞こえた。瞬間的にベッドから飛び降りたホルンは、小窓へと駆け寄り窓枠に手をかけた。小窓を押し上げようとした時に、背後から扉が開く音がした。ホルンは慌てて振り返る。

「窓から出ようとしたら、許さないからね」

 小さく開かれた扉の隙間から、フルートが顔を出した。全てお見通しだった。きっと、言う事を聞くふりをしていた事も、ばれていたに違いない。今度こそ、完全に観念したホルンは、肩を落としてベッドに戻った。布団に潜り込んだホルンの頭の中は、ビッシュの事で埋め尽くされている。一晩経っても発見されていない。ホルンの小さな体は、不安と恐怖で充満している。

 ビッシュは、無事なのだろうか?

 ビッシュは、強い奴だから、大丈夫に決まっている。

 ホルンの中でのせめぎ合いは、ポジティブの方が分が悪い。強い意志を持っていないと、悪い方へと流されてしまう。負の力に侵食されてしまう。

 ホルンが脳内で懸命に戦っていると、不意にベンの顔が思い浮かんだ。物凄く気分を害された気持ちになった。しかし、今は、ベンのご自慢の父親に頼るしかない。ベンは、どうしようもなく、本当にどうしようもなく嫌な奴だけど、息子の同級生の遭難という事で、いつも以上に力を出してくれる事を願うばかりだ。秋山での遭難だから、担当はフォル地区のシールドだ。しかし、ウィント地区出身者の遭難という事で、ウィント地区のシールドも人員を割いているかもしれない。

 ホルンは、心の安寧の為に、想像できる限りの良い情報を巡らせている。眩暈がしそうなほど、考え込んでいるが、体は正直だ。疲労が溜まった体は、温かい布団に吸い込まれるように、思考を奪っていく。ホルンは、眠りについた。

「ビッシュ・・・」

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