第一章 魔女の落とし子

1-1

「魔女隠し?」

 アカデミーへと向かう道中、ホルン=ベイスホームは、首を傾げた。

「まさか、魔女隠しを知らないのかい? 遅れているにもほどがある。今は、その話題で持ち切りじゃないか?」

 ホルンの同級生であるラートル=ロロンドは、目を丸くしている。ホルンは、ラートルの驚きっぷりに驚いていた。『魔女隠し』という言葉とその意味を知らない訳ではないが、流行りの話題や噂話といった類には、ホルンはあまり興味がなかった。それ故に、話題についていく為の情報収集もしない。毎日、仲の良い友人と、面白可笑しく楽しく過ごせればそれで満足だ。

「それで、カインのお兄ちゃんが、魔女隠しにあったって事?」

「ああ、そうさ。最近、カインの奴元気がないだろ? 聞いた話だけど、カインのお兄ちゃんが、家に帰ってきてないそうなんだ。間違いなく、魔女隠しにあったんだよ」

 熱弁をふるうラートルとは裏腹に、ホルンは興味がなさそうだ。そもそも、カインはクラスメイトではあるものの、挨拶くらいしかしない。最近元気がないかどうかは、分からない。

「何々? カインの話をしているの? 彼のお兄ちゃんは、間違いなく魔女隠しにあったのよ。あたしのカンがそう言ってるわ」

 突然話に割り込んできたのは、クラスメイトのサナ=ブリリアンだ。

「何? ホルンは、魔女隠しを知らないの?」

「え? あ、いや・・・」

「いいわ! あたしが教えてあげる! 魔女隠しというのは、冬の魔女に呪いをかけられた人が、連れ去られる事なのよ。魔女の呪いにかかると、生きる気力を吸われて、何もやる気が出ないらしいの。ボーとしているのよ。そうかと思うと、突然訳の分からない事を言い出すの。つまり、情緒不安定になるのよね。それが予兆で、しばらくすると失踪するって訳。分かった?」

「ああ、ご丁寧にどうも」

 頼んでもいない事を自慢げに話されても困ってしまうと、ホルンは小さく溜息を零した。そして、それくらいの事は、さすがに知っている。毎度の事ながら、サナのお喋りと噂好きには、参ってしまう。

「カインのお兄ちゃん大丈夫かな? やっぱり心配だよね?」

「そうだね。無事だったらいいけど、魔女隠しに合うとどうなっちゃうんだろう?」

 ホルンの問いにラートルは答えられず、二人は腕を組み頭上には疑問符が浮かび上がっている。

「冬の魔女に食べられちゃうんじゃない? 特にあたしみたいな可愛い女の子は、心配でしょ? そうでしょ? 魔女も不細工より可愛い方がいいに決まっているものね。そう思うでしょ? さらわれないか心配だよね? あたしを待っているお貴族様も心配しているに決まっているわ」

 サナは、本心から自分の身を案じている。ホルンとラートルは、苦笑いで相槌を打った。否定してしまうと、後が面倒な事は分かり切っている。サナは、王都に住む貴族と結婚する事が夢で、彼女の中では何故か確定事項のようだ。その想いをこじらせ、庶民を若干見下しているきらいがある。ホルンやラートル、そしてサナも庶民だ。

 今もこうして、庶民地区である冬山の麓にあるウィント地区のアカデミーに向かっているところだ。冬山からの冷たい風が吹き、ホルンは腕組みして身を守った。

 高い山々に囲まれたこの世界は、中心には王族や貴族が住む王都があり、その周辺を取り囲むように、庶民地区が存在する。庶民地区は四つに分類されている。四つに分類されている理由は、世界を囲む高い山々が四つの特色を持っているからだ。

 春山の麓にある温かい、スリング地区。

 夏山の麓にある暑い、マーサ地区。

 秋山の麓にある涼しい、フォル地区。

 冬山の麓にある寒い、ウィント地区。

 ホルンは、生まれも育ちもウィント地区だ。それぞれの地区に行く事は自由だし、身分証を見せると王都にだって行ける。しかし、住む場所を変える事はできない。それこそ、嫁入り婿入りするしか方法がない。しかし、ホルンはこのウィント地区を気に入っている。多少の不便さや寒さはあるけれど、十二年も住んでいたら、慣れるものだ。ホルンがそのことをサナに言うと、全力で否定され非難されるので、もう言わないと決めている。不平不満ばかりを探し出して愚痴るよりも、良い部分や楽しい事を探した方が、ずっと幸せになれるのにと、ホルンは隣を歩くサナに視線を向けた。不満と卑屈が顔に出ているサナをもらってくれる、奇特なお貴族様は現れるのか謎だ。

「え? 何、ホルン? あたしの顔を見つめて。ダメよ、庶民なんか眼中にないんだからね」

「あ、大丈夫です」

「大丈夫って何よ!? 大丈夫って!?」

「あ、大丈夫です」

 ホルンは、ギャーギャー騒ぐサナを無視して、スタスタと歩調を速めた。ラートルも巻き添えはくらいたくないので、ホルンに続く。ホルン達は、山から離れるように歩き、アカデミーへと向かう。アカデミーの姿を目視できる距離までやってくると、寒さも幾らか和らいだ。

 王族や貴族が住む王都が、中心に存在する理由は明確だ。気候が安定していて、住みやすいからだ。今では高い山々の事を、春山・夏山・秋山・冬山と呼んでいるけれど、そう呼ばれるようになったのは、百年近く前からだ。先々代の王が名付けた。それぞれの気候に春夏秋冬と名付け、四季と呼ぶようになった。王都では四季折々を楽しめると、庶民との格差を露見した。しかし、その目的は、庶民を見下すものではない。少しでも、貴族の不満を減らす為だ。

 ごらんなさい、庶民を。なんと不便な生活を送っている事か。それに比べて貴族は、なんて特別な環境で暮らせていることでしょう。四季折々を楽しめる贅沢を許された特別な存在なのですよ。

 と、言った具合だ。その実、大した不便でもないのだが、方便は重要という事だ。特別であるという言葉が、貴族のプライドをくすぐった。

「ああ、もう! ホルンのせいで汗をかいちゃったじゃないの! ああ、早く王都に住みたいわ!」

 背後からサナの文句が飛んできたが、ホルンは構わずに先を行く。三階建てのアカデミーの全貌が見えた所で、ホルンは足を止めた。歩きながら上着を脱いでいたサナが、ホルンの背中にぶつかる。

「ちょっと! 痛いじゃないのよ! ホルン! 顔に傷がついたら、どう責任を取ってくれるのよ!? 責任と言っても結婚とかじゃないからね! 庶民なんか願い下げよ!」

 ホルンは溜息を吐いて、重い足取りで歩き出した。ラートルがホルンの耳元に口を寄せた。

「ベンの奴がいる。どうする? ホルン」

「構うものか、無視だ無視。喧しいのは、サナだけで十分だ」

 グッと顎を引いたホルンは、前方を睨みつけるように歩を進める。アカデミーの正門に差し掛かったところで、笑い声が鳴り響いた。

「ああ、臭い! 臭い臭い! 朝っぱらから、気分が最悪だぜ!」

 ホルンの縦も横も二回りほど大きなクラスメイト、ベン=ベントが鼻をつまんでいる。

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