第32話 最後もこうなるのか。
「ダーク様、いってらっしゃいませ。お気をつけて」
「ああ」
男爵家に嫁いできた私の朝は早い。
朝起きるとまず身繕いをし、それほど大きくないこの屋敷の掃除を二名のメイド達と一緒に行い、終わると朝食の支度と騎士団の仕事に向かうダーク様のためにお弁当を作るのだ。
(ちなみにお義父様は引退して田舎のセカンドハウスに引っ込んで釣りをしながら楽しく暮らしているので、めったにはこちらの屋敷には来ないが、結婚式では号泣してダーク様と私を抱き締めてくれた。
ロマンスグレーのとても素敵なおじ様である)
勿論、厨房を預かる年配の女性がいるのだが、「夫の食事はなるべく妻の私が作りたいのです」という伯爵令嬢とは思えないワガママを受け入れてくれて、補助的な仕事をお願いしている。むしろ楽をしてしまってと頭を下げられてこちらが申し訳ない気持ちになる。
朝食の準備が整った頃には、既に起きて庭で鍛練をしていたダーク様が、シャワーを浴びて降りてくる。
相変わらず目も眩むような神々しいイケメンだが、毎朝朝食を運ぶ私を見るたびに無意識に自分の手首で脈を取るクセは治らない。
どうも幸せ過ぎて自分が生きてるかどうか確認したくなるそうだ。
結婚してもう半年にもなるのにいい加減慣れて欲しいものである。
まあそれでも3ヶ月近くは毎朝起きてから、まずはどこかにいるはずの私を確認してからでないと鍛練も始めなかった事を考えると、進歩した気がする。多分。
そして仕事場でも、妻がいかに可愛くて綺麗で料理も上手くて優しいか等々を語ってるとダーク様の友人であるヒューイ様が教えてくれた。
恥ずかしくて顔も出せなくなってしまうので大袈裟に言うのを止めて欲しいとお願いしても、「嘘はついてない」と頑なである。子供か。
しかし、あのコケシ、ルイ・ボーゲンがどうにも女を顔でしか見ないゲスであるというのが囁かれ出してから、彼の人気は大分落ちたらしい。ざまあだわ。
そして、私がダーク様と結婚したことで、何故か第三、第四部隊の訓練を見に来る女性が増えたそうな。
「びいせんの乙女のお陰で見た目だけじゃなく、ちゃんと中身を見てくれる女性が増えたんです!私にも夢にまで見た恋人が出来ました!!」
とダーク様の部下の男性に拝まれた。
B専じゃないっつうの。
まあフランも子爵のご子息様のイケメンの恋人が出来たとかで、不細工(個人的にはイケメン)の方々の地位向上が進めば何よりである。
そして、例のお仕事である。
私は、流石に結婚したら薄い本書いてるのなんかバレるし、ダーク様に隠すのも嫌だから、残念だけど引退するしかないと思っていた。
するとルーシーが、
「リーシャお嬢様、引退だけは読者の為にお止めください。
数日だけお待ち頂けますか」
と言い、私の知らないうちにダーク様に土下座して、
「いかにストーリーが素晴らしく、才能溢れる文体で読者の心を鷲掴みにする作品が多いか」
を切々と訴え、なんとか執筆を続けさせて頂きたいと懇願した上に、イザベラ=ハンコックの本を袋詰めして手渡したと聞いたとき、含んだミルクティがそのまま昔の記憶にあったマーライオンのように、口からざばーーっと床にこぼれ落ちた。
「る、るる、ルーシー貴女、何て事を………私があんなエロい小説を書いてたなんてダーク様が知ったら、嫌われて結婚が白紙撤回されるじゃないのっ!
………もうおしまいだわ。一生エロい小説を書いて独身で寂しく死ぬのよ私」
「大丈夫ですよお嬢様。シャインベック様がお嬢様の事を嫌うとか有り得ませんから。あれを読んだら惚れ直すと思いますわ。あ、薄い本オブザイヤー授賞おめでとうございます。お嬢様は私の誇りでございます」
「まぁありがと………ってだから話をすり替えないでちょうだい。
今からでもダーク様に会いに行って奪い返して来るわ私」
「3日前の話でございますし、まあ間違いなく読んでおられるかと思いますので今さら感が」
「取り返しがつかない時に白状してどうするのよ確信犯じゃないの」
「お嬢様の文才は神の贈り物。おろそかにするべからずと心に決めております」
「文才よりも肝心の私の心がおろそかにされてるのよ分かってるのそこのところ」
「あ、そうでした。ダーク様からデートのお誘いが先ほど」
手紙を差し出すルーシーから奪い取るように受け取り中身を読んだ。
週末のデートのお誘いに胸をときめかす。
「あああ会いたい、でも会うのが怖い………」
「心配性でございますねお嬢様は。とりあえずドレス着替えましょうかびしょびしょですし。………ま、いざとなれば今度こそ既成事実を」
「びしょびしょになった原因は誰のせいかって所をスルーしないで欲しいのだけど。既成事実………襲われて下さるかしらねダーク様………」
「密室、暗がり、アルコール、そしてお嬢様のドエロいセクシードレス姿に勝負下着と来れば、どんな堅物だろうと確実に詰みます。襲撃の際はルーシーにお任せください。まあ必要ないと思いますけども」
「いえ、心づもりはしておいた方がいいものね。いざとなったら頼るのは貴女しかいないわルーシー」
そんな怯えの中お会いしたダーク様は、照れくさそうではあったが笑顔だった。
「リーシャは小説も綺麗なんだな。
その、ちょっと恋愛経験のほぼない俺には刺激が強い部分もあったが、全ての小説が最終的に両想いになってハッピーエンドだし、相手を思う気持ちが美しく表現されていて、とても幸せな気分になるし羨ましいと思った。
ルーシーが言うように、俺も続けるべきだと思う」
予想外の応援が来て逆に驚いた。
「………ガッカリされたのではないですか?私がこんな小説を書いているのに対して」
「何でだ?俺のリーシャには才能があると思うぞ。
男性同士の恋愛小説というのは読んだ事がなかったが、感情表現が流れるようで素晴らしかった。あんなに激しい想いがあるのかと勉強になった。まあ男女でも同じだと思うが」
「すみませんもう一度」
「ん?文体が流れるようでーー」
「もっと前」
「才能が……」
「もう少し前」
「俺のリーシャは」
「そこです。ありがとうございます。あの、ダーク様の事も、私の、ダーク様で良いですか?」
「………あ、ああ。
いや、なんか、リーシャに独占されてるみたいで、嬉しいものだな。リーシャも、俺のリーシャでいいんだろう?」
「勿論です。一生ダーク様のリーシャですから」
「………おう」
バカップルのような会話をしつつも、結婚後も執筆業は今まで通り続けさせて頂ける事になった私だが、執筆時間はダーク様がお仕事に行かれて不在の間の4、5時間のみと決めて、残りの時間は妻としてダーク様のために出来る限りの愛情を注ぎまくると決めている。
一緒に婚家についてきたルーシーも、勿論それでいいと言ってくれたので、当分はこのペースで頑張ろうと思っている。
いや、いたのだが。
◇ ◇ ◇
「奥様、初の長編大作『ヨーデルの流れに』の3巻がまたえらい売れ行きで、とうとう出版元が自社の隣の土地を買い取って本社として建て直しするようですわ」
ダーク様も仕事から帰って来て、夕食後の穏やかなティータイム。
久しぶりにフランも遊びに来ていた。
恋人とも順調でそろそろ婚約の話が出ているらしい。めでたい事である。
「古代文学を学んでる学生のヒースクリフがヨーデル川に落ちて古代ヨーデリアにタイムスリップする話だな。あれはちょっと壮大だよな」
私への溢れる愛情が全ての薄い本を読破する事にも繋がっているダーク様は、既にこの腐女子達の中に交じっても遜色ないほどイザベラ=ハンコックの本の知識が蓄積されていて、私としては嬉しいけど嬉しくないという微妙な気持ちに陥っていたりする。
「古代ヨーデリア王のベルガーと上手く行くのかと思いきや、浮気したと誤解して勝手にヨーデル川に身を投げたら現代に戻っちゃうし」
「かと思えばベルガーに会えない辛さにまた現代でもヨーデル川に飛び込んでまた古代ヨーデリア来ちゃいますしね。ズルうございますあれは」
「そうだな。古代ヨーデリアにはいないシルバーブロンドの髪と美貌の上に現代知識もあってモテモテだしな。あちこちの王族やら皇太子とかがすぐ拐いに来るんだよな」
「それにまあよく引っ掛かること引っ掛かること。誘拐ホイホイですわ。学習能力皆無なのがまた萌えますわよね。
メインのカップルがイチャイチャしてる時間より、現代にいるか拐われてるか騙されて売り飛ばされてるか襲われそうになってるかの時間の方が長いというのも、え?もしかしてベルガーと別れて他とくっつくのかと不安を煽られますわよね」
「あのハーレム状態は羨まけしからんと読者が悔し涙を飲んでるとかで、街の近くのマーブル川に佇んで『ここから俺も古代ヨーデリアへ行けるかも』とか呟いてるヨーデリアンが何人も現れて自警団が困っていると聞きました。まあモテモテハーレムは憧れるところもございますしね」
「そうねぇモテモテねえ」
私は適当に相づちを打ったが、
「………リーシャも、その、ハーレムとかに憧れるのか?」
とダーク様が思い詰めたように尋ねてきた。
「………は?」
「お願いだ。他の男とか見ないでくれ………絶対に勝てる気がしない。今でも毎日不安なのに………」
ダーク様が膝を抱えてしまった。
本当にこの人は油断するとすぐこれだわ。
「大丈夫ですよ。私はハーレム興味ないですから。ダーク様だけいれば充分ですよ?」
「………本当か?」
「本当ですって。これ以上ない位愛してるのに信じてないのですかダーク様は」
「いや、信じてる!勿論俺だって愛してるっ!でも周りの男は大概リーシャ見ると骨抜きになるしな、時々自信がなくなるんだ」
私は笑みを見せた。
「………まぁ。周りがどうあれママの愛情を信じない自信のないパパはイヤよねー?強いパパが好きなの?私もよー」
軽くお腹を触る。
「………奥様、もしやおめでたですか?!ああ、なんて素晴らしい!私の夢がこんなに早く叶うとは!おめでとうございます」
「きゃあリーシャ!おめでとう!」
ルーシーとフランから口々にお祝いを言われるが、ダーク様は久々に石化して微動だにしなかった。
いつ言おうかと迷っていたけど、大事な人達が集まっていた今がいいタイミングかと思ってサラッと言ったのに、ダーク様には驚きが大きすぎたみたいだった。
「………ベッド………」
ダーク様が石化が解けた第一声はそれだった。
「リーシャ!ベッドで寝てないとダメじゃないか!え?男の子か?女の子か?」
慌てて私を寝室に抱き上げて連れていこうとするダーク様の頬をぺしりと軽く叩く。
「まだ2ヶ月目ですから分かりませんわよ。それに病気じゃないんですから落ち着いて下さいませ、旦那様?」
「あ、ああ。そうか………俺が、父親になるのか………」
「はい。ですから、どーんと構えていて下さい。子供は父親の背中を見て育つと言いますから」
「………俺は、立派な父親になれるだろうか?」
「うーん、分かりませんね。親と言うのは子供を育てて親になるものですから。
どうせ私達は最初は新米ママとパパです。失敗する事もあるでしょうし、気楽にのんびり行きましょう。
まあ愛情を注げば大抵は何とかなりますわよ」
「………俺はリーシャのそういう大雑把、いや、がさ、おおらかなところが好きだ」
「愛する女のおおっぴらにしたくない性格を全力で長所にすり替えようとするダーク様も私の好みど真ん中ですわ」
「そうか。それは良かった」
ルーシーとフランがいつの間にか居なくなっていたのをありがたく思いながら、
「ダーク様、今、幸せですか?」
私は耳元で囁いた。
ダーク様は、蕩けるような笑みを返しながら、「ああ」と答えてくれた。
「私も幸せですよ。良かったですね、お互い幸せで。これから毎年そう言って頂けるよう頑張りますね」
「………うちの奥さんが可愛すぎて困るんだが」
ダーク様はそう言うと、優しく私を抱き締めた。
「一生愛してる。いや、死んでからもずっと愛してるよリーシャ」
前世で土偶と呼ばれた女のめでたしめでたし。
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