第16話 女神が俺にキスをした。

【ダーク視点】



 俺の今まで普段の休みの日の行動と言えば、釣りへ行くか昼近くまでゴロゴロして、食事をして読書するか鍛練をするか、というのがいつもの流れだった。



 しかし、今日はリーシャ嬢とのデートである。



 私にダーク様の予定のないお休みの時間を下さい、と以前言われたが、なんの事はない。予定なんてがら空きである。


 むしろ、どんな予定があったところで、リーシャ嬢との予定が入るなら無理にでもこじ開けるだけだ。


 昨夜は夜中までドキドキしてなかなか眠れず、寝たと思ったらもう夜明け前には目が冴えてしまい、二度寝は諦めた。


 ベッドから出て、庭で鍛練をする。


 俺の唯一と言っていい取り柄が武術である。怠るわけにはいかない。


 シャワーを浴びた後、朝食を食べて部屋で支度をする。

 今日はピクニックと言っていたので、身軽に動ける服装が良いだろう。

 ジーンズを履きセーターを着てブーツに足を通すが、約束の時間まであと三時間ほどある。


 自室の椅子で、今日のお願い事を反芻する。


(クッキーが美味しかったからまた作って欲しい、と言えば間違いなく作ってくれるとヒューイは言っていたが、きっと時間のかかるものだろうし、そんな気軽に頼んでも良いのだろうか………いやでももう昨夜デートを前に我慢出来ずに一枚食べてしまった。もう二枚しかない。ちゃんとお礼をすれば引き受けて貰えるかも知れないが、そもそも俺は女性に喜ばれるような品物を扱う店に縁がないしな。何がいいのやらさっぱりだ。

 ヒューイみたいにスマートな振る舞いが出来たら良かったのに)



 溜め息がついつい出てしまう。



 俺は口下手だし、面白い話が出来る訳でもない。


 こんな俺の何処がいいのか解らないが好きだと言ってくれている。だが、いつつまらない男だと呆れられて離れてしまうか分からない。


 いい年して馬鹿を言うなとヒューイに怒られそうだが、正直いって怖いのだ。


 本当に、怖い。



 リーシャ嬢は、俺が自分の告白を本気にしてない、自分の事がまだ好きではないと一生懸命にアプローチをして来るが、正確に言えば、本気にしてない訳ではない。

 本気であって欲しいと心から思っている。


 自分が本気で好きになっていいかどうかが解らなくて怖いのだ。



 この顔である。自分でも醜いと言うのは分かっている。物心ついてから現在に至るまで、女性と付き合った事はおろか、こちらから告白した事だってない。



 学生の頃、優しくて多くの友人がいる女性に仄かな思いを抱いた事もあったが、たまたま学校の食堂で近くの席にいた彼女が、友人たちと話をしていた。

 俺の名前が聞こえたように思い、気づかれないように顔を伏せ、耳を澄ませた。


「ダーク様って、頭もいいし優しいんだけどね。

 やっぱり顔は流石にもう少し、一緒に歩いてても恥ずかしくない男性でないと」


「やだ、ひっどーい。でも同感ね。あれはないわー」


 ひとしきり笑い声がし、やがて食堂からガヤガヤ話しながら出ていったが、俺はただ黙って冷えていくパスタを見ていた。


 俺の頭の中でずっと彼女の話がぐるぐると再生される。


 俺は、一緒に歩く女性に恥をかかせてしまうのだ。


 俺に、女性を愛する資格なんかない。



 そんな、まあ不細工なら誰でも一回は経験するような話ではあるが、一人の男として死刑宣告を受けたような気がして、それから女性の側には出来る限り近寄らないようにしていた。



 のに。



 あんなに美しいリーシャ嬢は、俺とカフェで二人でお茶を飲むのも嫌がらないし、ちゃんと目を見て話してくれる。

 その上、公衆の面前で「私が迫っているんだ」などと、俺を貶めようとする奴等から守ろうとまでしてくれる。


 顔も同じ人間とは思えないほど綺麗なのに、心もあんなに綺麗な人には正直出会った事がなかった。


 俺なんかが側にいていいのか。


 もっと顔もよくて男らしい人間が腐るほどいるし、彼女なら選び放題なのに。


 何故俺なのか。



 刷り込みだとか、何かしら理由をつけて自分すらも誤魔化しているが、本気で向き合った途端に彼女が「手にはいったら飽きた」と離れてしまったら。


 なかなか落ちない男だからと執着しているだけなのではと考えたりもする。


 勿論そんなことはない、リーシャ嬢はそんな女性ではないと思うが、それでも心のなかに巣食う不安が消えることはないのだ。


 俺のような人間が大切なものを失う恐怖と言うのは、改めて望めば幾らでも手に入れられる人の比ではないのだ。


 本当に自分でも情けないと思う。


 探り探り逃げ道を確保しながら進んでいるつもりだったが、言い訳したところで、もうどうにもならないほどリーシャ嬢の事が好きな自分を認めない訳にはいかなかった。


 

 恐らく、これが最初で最後の恋。


 リーシャ嬢のような女性は二度と現れまい。



 切実に、弱い自分に勇気が欲しい。





 ふと時計を見ると、少し早いが出掛ける時間になっていた。


 慌てて屋敷を出て馬車に乗り、待ち合わせ場所へ向かう。


 彼女は今日もちゃんと来てくれるだろうか。



ーーーーーーーーーーーーーーー



 相変わらず周りの空気が浄化されるような聖なる空気を纏ったリーシャ嬢は、やはり女神のようだった。


 リーシャ嬢は遅れてきた事を詫びると、聖女のような慈愛に満ちた微笑みを俺に向けてきた。

 約束より30分以上も早いのに詫びる必要なんてない。

 俺が勝手に1時間も前に着いて待っていただけだ。

 なんて優しいんだろうか。

 心臓が痛い。


 彼女は俺を殺す気だろうか。


 いや、彼女になら殺されても構わない。ウエルカムである。


 

 公園に向かって歩いてる時も心臓がバクバクしていて呼吸もうまく出来ないような感じだ。


 しかし沈黙のままは失礼になる。

 

 そうだ、ここでさらっとクッキーのお願いをしよう。そう思って声をかけようとしたら、お互いに話そうとした事が同時で声が被ってしまった。


 同じタイミングなのが無性に嬉しかった。


 俺に先に話をして欲しいと譲らないので、クッキーがまた欲しいと伝えたら、喜んで了承してくれたが、俺がお礼をしたいと言ったらとんでもないお願いをされた。


 よ、呼び捨て?

 手を繋ぐ?

 あーん、をする?

 膝、枕………?



 一瞬思考回路がショートした。



 ヒューイが、手を繋いだりしてみろよ、顔をしかめて嫌がるようなら脈はないと思えよと最初の時に言われてたので、いつかチャレンジするつもりだったが、まさか今日叶うのか。


 それも俺からでなく、リーシャ嬢からのお願い。


 更にはカップルでも上級者しか求めることが出来ない「あーん」と「膝枕」まで。


 俺がそんなことをしていいのか。

 俺がそんなことを言われていいのか。


 思わず目頭が熱くなる。


 生涯の記念に相応しい。墓場までこの喜びは持っていこう。


 感動にうち震えながら、リーシャ嬢に全て喜んでとお願いし、手を出すと、はにかんで俺より小さな手をそっと乗せてきた。

 握ったら壊してしまいそうだ。


 俺の唯一無二の人だ。そう思った。




 公園で薄手のラグマットを広げ、二人で並んで腰かける。


 周りの人からは、俺たちは恋人同士に見えてるのだろうか。


 いや、美女と野獣だ。年も離れてるし、下手したら親子とかに見えるかも知れない。


 ………自虐ネタは自傷行為だった。思ってた以上に自分にダメージが来たので控えよう。


 そんな反省も踏まえつつ、リーシャ、が作ってくれたランチをありがたく頂こうとすると、止められた。


 ニッコリ笑ったリーシャ、が(頭の中でも呼び捨てに慣れない自分が哀しい)、唐揚げを楊枝で刺してあーん、をしてくれた。


 ものすごく美味い。

 何度もあーん、をしてくれた。

 もういつでも死ねる。

 いやまだクッキー作って貰ってない。

 今はまだ死ねない。

 でも、リーシャのためならいつでも死のう。



 俺にこんな幸せが訪れる日が来るなんて思わなかった。



 でも、どうしても不安に思う事がある。


 俺から釣り場で色々教えたり、魚をあげたりした事で、親切にされた感謝を好きだと勘違いしてるだけじゃないか?


 どうして好きだと言えるのか。

 なんで好きなんだ?


 思わず出てしまったそんな不安に、リーシャは



「なんで?………。いつの間にか、ですかね。

 いつの間にか好きになってて、ダーク様に幸せになって欲しいと思って、出来る事なら私が幸せにしたいと思ってしまいました。

 好きになるのに理由は必要ですか?

 理由がないと受け入れては頂けませんか?

 ただ、好きなものは好きなのです。それだけ分かってれば充分ではないですか」


 と微笑んだ。




 リーシャは、何でこんなに俺の欲しい言葉をくれるのだろう。



 涙が出そうになり食いしばる。


 でも。それでも。


 こんな醜い男と街を歩いたり、キスをしたりは嫌だろうと憎まれ口を叩いてしまう。


 分かっている。これは甘えだ。


 否定してくれることを願いながら言ってるのだから。


 案の定、リーシャは全然問題ないと言ってくれた。


(出来るもんならしてみろよ………)


 心の中で呟いた筈の言葉は、洩れていたらしい。リーシャは満面の笑みで、


「え?キスですか?宜しいんですか?

 やだどんなご褒美ですか。

 何のご褒美か分かりませんがありがたく戴きます。

 もう今さら撤回出来ませんよ」


 と言ったかと思ったら、俺を引き寄せ、唇を合わせてきた。



 柔らかい、と思ったのだけは覚えてるが、その後恥ずかしい事に意識がブラックアウトしてしまい、気がつくとリーシャが膝枕をしながらニコニコと俺の髪を撫でていた。



 今まで存在しなかった幸せが一気に押し寄せてきて、脳が飽和状態になった。


 もう、いっぱいいっぱいである。


 本当に、これ以上何か起きたら本当に死にそうだ。



 慌てて飛び起きると、リーシャを家まで送ってから帰った。


 会話をするゆとりもなかったが、呆れてなかっただろうか。


 いや、男がキスされて気絶してるとかあり得ないだろ。ドン引きされたはずだ。

 唇というのはあんなに柔らかいものなのか。


 いや、でも優しくて天使のようなリーシャなら笑って許してくれるだろうか。


 俺の女神。俺の天使。俺の唯一無二の人。


 嫌いにならないで欲しい。


 リーシャに嫌われたら。


 こんな幸せがあると知ってしまったのに、そんなことになったらこれから生きていく自信がない。


 


 自分の部屋で部屋着に着替えベッドに転がり込みながら、俺はその後も夕飯も食わずに延々と今日の奇跡を何度も思い返すのだった。






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