第2話 こらあかん。

「母様、それじゃちょっと出かけてくるね」


 厨房で頼んでおいたサンドイッチと紅茶ポットを受け取りリビングを覗く。ママンがお茶を飲んで寛いでたため、ニッコリ笑いながら私は釣竿を揺らした。


「あら、行ってらっしゃい。今日も大漁だと良いわね」


「そうね。マスを狙ってるから上手くいったらムニエルお願いしまーす」


「はいはい。いつもの川ね。気をつけてねリーシャ」


 ママンに見送られ屋敷を出ると、うきうき鼻唄を歌いながら、歩いて十五分程の川を目指す。


 あーやっぱパンツ姿が楽チンだー。


 前世でもジーパンとTシャツとかパーカーとキュロットとかボーイッシュなのばかりで、スカートは余り履いてなかったので、実はドレスよりは乗馬パンツにニットのゆるいセーター、フードパーカーという町の少年ぽい格好はお気に入りである。

 だって胡座かけないじゃない、ドレスってさ。


 春陽気で暖かく数日降り続いた雨も上がり絶好の釣り日和である。



 (よし、今日は大物狙いで行こう)


 私は釣竿を握りしめ、穴場へ急いだ。




「あ、お兄さんこんちはー。今日はどんな感じですかー?」


 いつもの場所に到着して岩場を見ると、最近よく会うお兄さんが垂らしていた糸を引き上げ、軽く手を上げた。


「おー、ボウズ、また来たのか。んー、まあまあかな。………やっぱエサだけ取られてたか」



 お兄さんと言ってるが、実は幾つなのかも分からない。彼もフードのついた服ばかり着ていて、顔も口元しか見えないので、そこからの判断でパパンよりは下、ぐらいのライトな基準で「お兄さん」にしてるだけである。

 お忍びで顔を見られたくない偉い人とかもいるし、無理して顔がみたい訳でもない。

 向こうも私が小柄で少年ぽい格好だから「ボウズ」と呼んでいるのだと思う。

 こちらも都合がいいのでボクとか言ったりしてるけど。


 関係としては、『割りと顔を合わせる知人の釣り仲間』的なものだろうか。



 実はこのお兄さん、やたらと釣るのが上手い。


 姿を見れば声をかける位の関係になってから二月ほどになるが、1度も釣果で勝てた事がない。


 そばに座り込み、針にエサを付けて私も糸を垂らす。


 ついでにランチのサンドイッチと紅茶も取り出しお兄さんに勧める。

 会えるかなと思って多めに作ってもらっていたのだ。


「あー。すまん。丁度腹が減ってたんだ俺。魚捌くのも面倒だなーと思ってたから助かるわ」


 蒸し鶏とキュウリの薄切りが入ったマヨネーズを塗ったサンドイッチを遠慮なくつまみ、お兄さんは豪快に食べていく。


 ただ、がさつに見えるがパンくずをこぼしもせず本当に綺麗に食べるので、やっぱり良家の坊っちゃんとかなのかも知れないな、と思う。


 

「ところで今何匹釣ったの?………うわ、もう4匹も。結構大きいマスだね。ずるいなー」


「何がずるいだ。ボウズがのんびりしてたからだろ?俺は2時間も前から居たしな」


 ニヤリとする口元にちょっと悔しさが募る。


「じゃ、今からね。今から2時間以内に文句のつけようがない大物か数の多さで勝負しようよ!」


「ま、無理だと思うがな。いいぞ」


 肩をすくめた男に、見てろよー、と拳を握る。


 昨日は夢見が良かった。

 朝起きたらあんま覚えてなかったけど、マンガを描いてる夢だった。

 懐かしくて嬉しくて泣けた。



 この世界では残念ながらマンガはないのだが、実は同人誌(あ、小説ね)がある。


 趣味と実益も兼ねて2年ほど前から私も妄想小説を書いており、かなりの固定ファンもついていたりするのだ。


 自慢じゃないが出版元からは「先生」とか言われちゃうし。ふっふっふ。あ、自慢か。


 いやまあ伯爵令嬢がそんなことしてるのバレるのは大問題だから、メイドのルーシーが覆面作家として書いてる事になっている。秘密保持と謝礼は一番先に原稿が読めるという一点のみである。


「お嬢様天才………天は二物を与えたもうた………」


 とか不気味な事いってるけど、伯爵家の先々の収入源を得るための活動資金として散財せず地道に貯蓄している。


 領地収入だけでは天候にも左右されるので頭打ちなのである。ここ数年天候不順も多くて結構マズいと悩んでの行動である。

 何か前世の知識を活かして商売でも、と目論んでいたりね。数年先ぐらいには実現させたいなあ。


 ま、マンガで描いてたのを文章に直すだけの簡単なお仕事です。妄想力があれば貴女も明日から人気作家。


 いやー、『萌え』は万国共通よね。


 勿論、両親には内緒である。


 最悪、保険として機能する普通の恋愛小説の執筆の方ならバレてもいいが、きっと卒倒するレベルのエロいBL小説もあったりするのでとても表沙汰には出来ない。

 この秘密は墓場まで持っていく所存である。


 実はそっちの方が人気があったりしますなんて口が裂けても言えない。


 ただ、こちらの世界のイケメン基準で書いているので、まろは~とか言いそうなあっさりすぎる地味メン(こちらの超イケメン)とイケメン(こちらのブサメン)との下剋上ラブとかの設定だったりするんだけどさ。


 個人的には萌えが不足するのは否めないが、需要が高いので仕方がないのだ。


 だが、この世界はゲイもごく普通にいて市民権を得ており、特にそれで差別されるとか迫害されるとかも一切ないらしいので、ベッドシーンさえ濃厚でなければ、普通の恋愛小説………と………いっていい………のではないか?と、自分に言い訳をしてみたりもする。



 うん。転生しても腐女子は腐女子だった。


 もうそこは仕方ない。


 むしろ前世の記憶が全く影響しない訳なかろう。




 ………バカンスで訪れた別荘で貴族(あっさり顔)に釣りの仕方を教える筋骨逞しい管理人の男(ブサメン)。釣りから芽生える恋の赤い糸。ボートでバランスを崩し湖に落ちそうになる貴族をきつく抱き締め、耳元で「釣りなんかより本当はもっと大事なことを教えたいんです………」そして別荘で震えながらもシャツのボタンをはずしてゆく男。

 うんうん、なかなか良いんじゃないか。



 ………などと次の作品の下世話な妄想もとい執筆のプロットなどを練っていたため、


「おい、引いてるぞ」


 というお兄さんの声にハッと竿を握り直す。



 (………引きが強い!ちょっとマジで大物よこれ!!)


 グイグイ引き込まれる竿を必死で引き戻す。


「結構良さそうな引きだな。ボウズじゃ力負けしそうだな」


 隣で様子を眺めていたお兄さんが、後ろに立って一緒に竿を握ってくれる。


「………ちょ。ちょっと、助けてくれるの嬉しいけど、これボクの釣果でいいんだよね?」


 気を抜くと川に引きずり込まれそうな竿のしなりに私は必死に足を踏んばる。


「おー、いいぞ。釣るのがお前の竿だからな。ガキが筋力少ないのはしょうがないし、まあ手助けもハンデだろ」


 お兄さんの返事に安心して手助けを了承する。


「………マジで大物かも知れないな。ちょっとワリイ邪魔するぞ」


 そう言うとお兄さんが私の後ろに腰掛けて、本格的に竿を操りだす。



 ちょっと待て。



 いや、座んないと踏ん張れないのは分かる。


 しかしいくら腐乙女とは言え抱え込む形で座るのは如何なものか。

 あ、少年と思ってたか。

 それならしゃあないな。

 いやいいのか?


 身内以外のここまで近い接触は初めてなのでなんだか恥ずかしくてしょうがないが、大物は逃がしたくない。



「お願いします頑張って頑張って頑張って!!」


「任せろ!………っとうわっ!!」


 竿が余りの負荷に耐えきれなくなったのか、真ん中位からバキッと折れた。



 当然ながら、私も目一杯力入れてたからね。

 そらバランスも崩すさ。


「きゃっ!!」


 そのままお兄さんのいる後ろに思いっきり体重かけてひっくり返ったのは不可抗力である。


 そして、当然後ろにひっくり返るという事は被ってたフードもめくれる訳で。



「ごめんねお兄さん!重かった?痛かったよね本当にごめんねっ!!」


 と慌てて振り返ると、そこには同じくフードがめくれあがった、眼が神々しさに潰れるかと思う位のそら恐ろしいほどの美青年がアホみたいに口をぽかーんと開けて私を見つめていた。






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