スライムの恩返し。
来栖もよもよ
おはなし。
遠く遠く離れた別世界でのお話です。
あるど田舎の森の中にある古びた一軒家に、マリアンナという20歳の女の子が1人で住んでいました。
元々は猟師の父と病弱な母親との3人暮らしだったのですが、18の時に母親が肺炎でポックリ亡くなってしまい、がっくりと気落ちした父親が徐々に弱っていき、半年もしない内に母親の後を追うように亡くなってしまったのです。
(まあ、母さんを溺愛してたから仕方ないのかも知れないけどさ。娘は心配じゃなかったのかっつーのよ)
たまにマリアンナはやさぐれた気持ちになったりしますが、本気で恨んではいませんでした。
何故なら父親も少しは気にしてくれていたのか、猟師の仕事を死ぬまでにめっちゃスパルタ式に教えてくれていったからです。
森の中にある人里離れた一軒家では、せいぜい山菜やキノコを採ったり、弓矢で撃ち落としたり、罠にかかった獣をさばいて町に降りて売る位しか収入源がないのですから、そらマリアンナも必死に覚えました。
父が亡くなって1年以上。
ようやく余り大きな失敗もする事もなく、細々とではありますがまぁ何とか普通に暮らしていけるようになりました。
「ここ数日ろくな獲物がなかったから、今日こそは鳥か野豚でもかかってくれてないかしらねぇ。肉が食べたいわ肉が」
昨日まで豪雨だったせいもあり、キノコや果物も取りに行けなかったので、そろそろ家の食糧庫もかなり厳しい状況です。
てくてくと自分の仕掛けた罠を見て回ります。
「お、兎だわ。ラッキー。今夜はシチューだ」
最初の罠にはそこそこの大きさの野兎がかかっていました。血抜きをして次の罠へと急ぎます。
昔は可愛い兎をさばいて食べるなど自分がやれるとは思えませんでしたが、何しろ食べなきゃ死ぬのはこちらなのです。
人間は慣れというものがありますので、今は淡々とこなせます。捕まった子は、運が悪かったと諦めてもらうしかありません。
「私も動じなくなったもんよねぇ。今では皮も楽勝で剥ぐもんなぁ」
独り言が増えたのも話し相手がいないので、喋らないと言葉を忘れてしまいそうだからです。
幸いにも余り知らない人と話をするのは昔から苦手だったので、独りで寂しいという感情はありません。
町で皮や肉を売る時も緊張して最低限の会話しかしないので、誰もいない森の中で気楽に呟いて、1人で呑気に暮らせる生活をマリアンナは割と気に入っていました。
他の2つの罠はスカ。
「今日は兎だけかなー……」
溜め息をつきながら最後の罠を見に行くと、何やらプニプニした青いのが動いていました。1メートル四方の罠を8割方埋めるほど大きく、背丈?もマリアンナの膝ぐらいはあります。
ここまで大きくなるのはかなり長生きしてると思われました。
「ありゃー。スライムかぁ」
森の中では食べられない生き物もいます。
液体がゼリー状に丸まったようなスライムやワームと呼ばれるでっかいムカデのような奴、クロロと言う毒のあるトゲトゲがついたモグラのような生き物です。
別に人を襲う訳でもなく、害虫も食べてくれたりするので、マリアンナはとりたてて罠にかかったからといって殺したりはしませんでした。
食べもしないのに殺すのは気分も良くないからです。
「悪かったね。ほら、出ていいよ」
ロープを引っ張りガラガラと柵を引き上げると、青いスライムはぷよん、と体を揺らしてマリアンナを見ると、ぽふんぽふんと跳ねて草むらに消えて行きました。
「やれやれ兎だけか。……ま、でも獲れただけよしとするか。明日に期待しよう」
改めてまた罠を仕掛けると、鼻歌を歌いながら家路につくのでした。
※ ※ ※ ※ ※
「……1週間ぶりのお肉の匂いはたまんないな~♪」
マリアンナは家に戻って早速大きな鍋に水を入れ火にかけると、細かく刻んだ野菜に兎肉を入れ、シチューを煮込み始めました。
「2日はこれで過ごせるわぁ。助かった助かった」
後は明日か明後日に大きな獲物がかかってくれたら、町にも売りに行けるし、米やパン用の小麦粉や大好きなパスタも買えるんだけどなー、とマリアンナは思いましたが、まあ猟師の生活なんて、思った通りに行かない事の方が多いのです。
今夜は改めて、シチューにありつけた事でよしとしようと気持ちを切り替えました。
味見をして、肉のエキスがじんわりと体を巡る喜びににへら~、と頬が緩んだところで、扉の方でノックされたような音がしました。
この家に来るような客などはいません。
普段あまり使わない猟銃を掴み、そっと扉の方を窓から覗くと、マリアンナより頭一つ分は高そうな、背の高い30代くらいのガタイのいいオッサンが立っていました。見覚えはまったくありません。
「どちら様ですかー?」
扉を開ける事なく尋ねました。
「あの、今日助けていただいたスライムです」
「スライムには見えませーん。押し売りお断りですー」
「あ、すみません!人型にならないと話が出来ないので。一度戻りますね」
ぽふん、と音がしたと思ったら、確かに玄関に立っていたのはあのバカでかいスライムでした。
またぽふん、とオッサンの姿になったスライムは、
「助けてもらったお礼もしてなかったので、ご挨拶にと」
「…………スライムって変化出来るんだ。いやびっくりした。でも挨拶はいいよ、私の仕掛けた罠にかかっただけだからね。むしろこちらも悪かったということでお互いにチャラということでね。どうもどうも」
猟銃を置いてシチューが焦げないようかき回しに戻ったマリアンナは、またドンドンと叩く音にうんざりした顔で振り返りました。
「だから気にするなってば!」
「いえ!お礼一つ出来ないスライムはスライムではないのです!」
スライムじゃなきゃ何なんだよとツッコミたくなる気持ちを抑えて、
「そんじゃ言葉だけ有り難く受け取るわ。私今から夕食だから帰ってくれない?」
「美味しそうな匂いがしますもんね……いやそうでなくて、肉と魚をお持ちしたのですが、不要でしたか?」
秒で扉を開けたマリアンナは、満面の笑みで、
「魚?お肉?」
と問い返しました。
◇ ◇ ◇
うっかり食べ物に釣られて扉を開けてしまった手前、物だけ貰ってハイさよならは失礼だな、と思う気持ちはあったので、
「シチュー食べてく?スライムは食べられるのか分かんないけど」
と聞いてみました。
「人型の時は普通に食べられますので有り難く。あ、これ、川魚と猪肉です。お好きですか?」
「大好きよ!うわー、猪なんて超久し振り。
川魚も川までここから1時間以上かかるから、なかなか足が向かなくて。わざわざ獲って来てくれたの?」
どん、とテーブルに置かれた肉や魚はかなりの量でした。とりあえず焼き魚にした残りは保存用に干乾しにしてもかなり持ちそうです。肉も流石に食べきれないので干し肉にしようとマリアンナは久々のご馳走にウキウキしました。
兎肉のシチューと川魚の塩焼き、猪肉のステーキとちょっと欲張りすぎのメニューがテーブルに並びました。
「気を遣わせて悪かったわ。
今回は有り難く頂く事にするね。
でも、あの辺は私の罠が仕掛けてあるから、次回から気をつけて貰えると助かるわ」
肉汁たっぷりの猪肉のステーキを頬張ると、幸せな気分になり、普段より口は滑らかになりました。
森の中での生活では、楽しみと言えば食事ぐらいしかないのです。
「この兎のシチュー美味しいですね。はい分かりました、これからは気をつけますね」
器用な手つきでスプーンを扱うスライムのオッサンは、ニコニコと頷きました。
「ちなみにスライムってみんな変化出来るもんなの?知らなかったわ」
「まあ100年越えれば大概は。人以外にもなれますよ動物とか」
「100年以上生きてるんだ?通りで大きいなと思ったわ」
「私は150年ほど生きてますが、寿命が300年ぐらいはありますので、まあ暇つぶしみたいなものです」
マリアンナはびっくりしました。
「既に私の7倍以上も長生きしてんだ?ひいひいひいひいジーちゃん位になるのか。いやすごいなー」
「あの、年寄りみたいに言われるとちょっと。人間で言うところの若者と中年の間ですから。まだピチピチです」
「いやそれでもすごいって。そりゃ暇つぶしもしたくなるよねぇ。──で、家族は?」
ウンウンと頷くマリアンナは、人外という気安さから久しぶりにまともに会話が出来る相手と夜が更けるまで話を弾ませたのでした。
※ ※ ※ ※ ※
「…………だから、どうしてまた仕掛けにかかってんのよ。とろくさいにも程があるでしょうが」
マリアンナは呆れたように柵の中でプニプニ動く青いスライムを眺めました。
あれから3回、このアホタレは同じように罠に引っ掛かり、同じように助けられた日の夕方にはまた食糧を抱えてマリアンナの家にやって来ていました。
マリアンナは柵を上げながら、
「……もしかして、単に話し相手が欲しくてわざと引っ掛かってるなら、たまには遊びに来てもいいからもう止めなよ。何時間も待つだろうし、柵の落ち場所によっては怪我するかも知れないからさ」
マリアンナもスライムのオッサンとご飯を食べながら話をするのは、結構楽しいと思えるようになってきていたのです。
スライムは、喜びをあらわにするようにぽんっ、と跳ねると、触手のような手をふりふりしてポムポムと飛び去って行きました。
マリアンナは気づいていませんでした。
スライムは最初に柵にかかる前から森を歩くマリアンナに一目惚れしており、ロックオン状態だったことに。
罠にかかったのも勿論わざとです。
この後、たまに遊びに来るが1日置きになり、毎日になり、雑用を手伝うという名目でいつの間にか一緒に住み出してしまうまでさほどの時間はかかりませんでした。
そして、スライムが人型でいる時間が多くなり、始終まとわりついてくるようになって、マリアンナも流石に気づくのです。
これはもしかして好かれてるんじゃないか?と。
「人間の癖に人の機微に疎すぎる!」
とスライムに説教される理不尽さを味わいながらも、
「……ま、いいか」
とお気楽にファミリーとなって数十年が過ぎました。
年を取りお迎えが来たマリアンナが、スライ(と名前をつけてあげた)の手を取り、
「今までありがとよ。楽しかったよ。後は好きに暮らしなね。私には勿体ない人(・)だった」
と言い旅立ちました。
スライは暫く泣きました。
そして、マリアンナの埋葬を済ませると、スライムに戻り、マリアンナの仕掛けた罠を、わざとずれた状態で自分に落としました。
今度は人に生まれ変わってマリアンナと会いたい……薄れる意識の中でスライが思っていたのはただそれだけでした。
「そんでそんで?スライムはマリアンナと人で会えたのかなぁ母さん?」
「うーん、会えたんじゃないかしらね」
「そっかー、良かったねえ!」
喜ぶ娘を眺めながら、それあんたのパパだけどな、と心の内で呟きました。
「ミラ!マリアン!ただいま!!」
「パパ!おかえりなさーい」
飛びついた娘を軽々と受け止めたのは、ミラの旦那様であり、元スライムの前世を持つジェイドでした。
ミラの2歳下ですが、れっきとした人間です。
彼は、マリアンナが2回とも人で生まれ変わったのに対して、何せ元がスライムなので、ミミズだったりハエだったり猫だったり鳥だったりと32回も転生を繰り返し、33回目でようやく人間として生を受けた時には『よく頑張った自分』と思ったそうです。
その熱意が自分に会いたいがため、というのでなければ褒めてやりたいところですが、魂のストーカーみたいなもんなので、聞いた時にはちょっとドン引きしました。
「ミミズとかハエの時にはもう諦めてね、マリアンナに殺されるように近くでうろちょろしてた」
「猫の時は暫く側にいられるかと思ったんだけど、その時のマリアンナは犬好きでね。仕方ないから野犬に襲われてさっさと死んだの。ほら、自殺するとなかなかステップアップ出来ないから」
などと人に罪悪感を背負わせながら壮大な転生ストーリーを語られた時には、スライム愛の重たさと執着心に目眩がしましたが、今の彼は小さな時から「僕のお嫁さん」とまとわりつかれていた幼なじみでもあったので、余り怒る気にはなりませんでした。
まあ考えてみたら、浮気はしないし、マメだし、スライムの時から優しくていい旦那様でした。
人間になったら、それ以上にかゆいところに手が届く旦那様です。
他の男性と話をするのも嫌がる独占欲と束縛の強ささえ気にしなければ文句なしなのです。
「…………ま、いいか」
この先延々と生まれ変わる度に、自分以外との結婚やお付き合いを排除され続ける羽目になるとは全く考えもしていないミラは、無駄にイケメンに生まれた旦那様を眺めながら、呑気に呟くのでした。
スライムの恩返し。 来栖もよもよ @moyozou777
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