第13話 sein

  痛みが引いたらまた訓練に戻った。

  有田のようなリヒトかと思い、右近や青梅にも協力してもらったが発動の萌芽すらない。


 この日もリヒトが使えるようにはならなかった。


 大地を切り裂き、声だけで人の動きを止め、血がしたたり落ちる怪我を一瞬で治すクラスメイト。それを見ているだけで辛く、心に重しを乗せられたように気分が落ち込んでいく。


 でもそれより、もっと惨めに感じる出来事があった。


 右近と青梅の二人が、リヒトを使えるようになったのだ。


 右近は石ころを浮かせたりするリヒトで、青梅は土に関するリヒト。二人が手を振ると、茶色い地面の中から石が浮いたり、草の根を掘り返すように土が軽く隆起したりする。


 僕はあんなに痛い目を見たのに使えるようにならず、僕を攻撃するだけだった二人

はリヒトに目覚めた。

 努力の結果は不平等だ。文字通り血のにじむような訓練を繰り返したのに、成果が出ない。


 人間が平等なんて、嘘っぱちだ。


 そう心の中で毒づいているうちに今日の訓練が終わり、夕日にまた白い塔が染まる。訓練場を覆う石の壁も同じ色に染まっていた。

 

そして昨日よりわずかに欠けた月が、太陽と反対側の空から顔を覗かせていた。


「皆様には夕食前に、こちらをご案内します」


 仕事から戻ったという大統領は、僕らの先頭に立って宮殿の奥へと歩いていく。

 夜も蒸し暑い日本の夏と違い、こちらでは日が沈み始めると急激に気温が下がるらしい。汗ばむほどの陽気だった昼に比べ、今は肌寒いほどだ。

 

 なんだか凄そうな絵画やよくわからないけど高そうな壺が置いてある廊下を抜け、突き当りにある重厚な造りの扉を開けた。


 途端に、かび臭さとインクの匂いが鼻をつく。

ガラス戸から差し込む夕日が柔らかく室内を照らし、火事防止のためか室内には燭台が置かれていない。

 壁という壁には本棚がぎっしりと並べられ、室内は本棚によって通路が作られていた。


 部屋の中央に大きな机と書類が鎮座し、机越しに本を持ってきた人と軽く話している地味な風貌の中年男性がいた。

 大統領が革靴でコツコツと床を鳴らしながら入っていき、芝居がかった感じで振り向く。


「こちらがこの宮殿内の図書室になります。魔王も罪人とはいえ、書物に罪はないので魔王時代の書物も保管してあります」


 遠藤や飯崎はあまり興味がないらしく、ほとんど見向きもしていなかった。

一方有田やインテリ組は大統領や図書室の机に座っていた中年男性の司書に許可を取り、本を手に取っていた。


 僕も一冊手に取る。革表紙の少し埃臭い本は日本のハードカバーや文庫本とはまるで別の物体にさえ思えた。

 だが、ある意味でお約束が起きた。


「これ、アルファベットですがなんと読むのでしょうか……」


「英語に近い単語もあるけど、わかんない単語ばかりだぞ」


「……文法が、変、動詞っぽい単語はあるけど変化が複雑すぎる」


「seinとかsieってなんだよ。セインとかシエ?」


 異世界あるある、「話せても読めない」だ。

 せめて単語の意味を調べようとスマホを取り出すクラスメイトもいたが、


「やっぱり電波がつながらないか……」


「英単語帳ポケットに入ってたけど、それでもわからん」


「……無理、かな」


 有田ですら諦めて早々に本を閉じていた。

 でも僕はクラスメイトとは逆に、文字を目で追っていく。

 文章の意味するところを、頭に叩き込んでいく。


 クラスメイトの様子を見て、大統領は嘆息していた。


「暗号解読系のリヒトに目覚める方がいるかもと思ったのですが…… 無理なようですね。図書室に並べてあるのは、司書の許可を得ればこの室内でのみ閲覧が許可されます。ただし奥の本棚の本は決して閲覧しないようお願いします」


 クラスメイトはすでに興味を失ったらしく、大統領の言葉を最後まで聞かずにぞろぞろと食堂の方へ引き上げていった。大統領も仕事があるから、と場を去る。


 僕は空気に逆らって図書室内にとどまることにした。制服の内ポケットにある本をそっと撫でる。


 布越しに感じる本の感触。この世界にはない、紙の表紙。

 

 その本が、今はとても心強く感じた。

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