文系エッセンス:文学
睦井総史
ホームドア
なんとなく大学に入って、なんとなく卒業して、なんとなく就職して。そして「なんとなく」な覚悟じゃ到底耐えられないような激務になんとか二年耐えたある日、ふと「死にたい」と思った。
電車が会社の最寄り駅に着いても座った身体が一歩も動かない。不思議と焦りはなく、ドアが閉まっても心は冷静だった。いかにも奴隷運搬車というネーミングの通勤快速はこれから三十分は停車しないので、折り返していたら遅刻は免れない。すべてを諦めて、はるか遠く、隣県の終着駅で来た電車に飛び込んで死のうと、そう決めた。
電車はオフィス街を抜け、外の景色の段々と様変わりしていく。と同時に、先ほどまであんなにごった返していた中の乗客もごっそりと減ってしまっていた。これから働きに行くサラリーマンに一種の優越感を感じながら、まるで旅行にでも行くかのように気分は高揚している。やがて駅を飛ばしまくっていた通勤快速も各駅で停まりだす区間に突入し、ついに終点へと到着した。ここが自分の死に場所となるのだ。
そう思って意気揚々と下車したが、そこには大きな誤算があった。近年、首都圏の駅を中心に配備されてきたホームドア。この駅も例外ではなくそれが檻のようにホームを取り囲んでいたのだ。下調べをせずに来てしまった自分も悪いが、世間は死ぬことすら自由にさせてくれないのかと落胆せざるを得なかった。
ここで死ぬのは諦めて、乗り換えてさらに遠くの駅を目指そうか考えあぐねていると、ふと駄々をこねる子どもとそれをなだめる親の声が聞こえてきた。
「でんしゃみえないのやだ! つまんなーい!」
「ほら抱っこしてあげるから。見える?」
ホームドアと言う檻に囚われているのは自分のようなくたびれた自殺志願のサラリーマンだけではないようだ。その事実に安心すると同時に、こんな小さい子どもも不自由に囚われているのだと思うとこの世界に希望が持てなくなったというのも事実だ。
思えば自分にもあんな風に電車を追いかけたり、運転士に憧れたりした時代があったような気もする。いつからそんな思いを失って、「なんとなく」で進路を決めてきたのかわからないけれど、それでも確かにあの時の自分にとって、それは「夢」だったのだろう。
あの子が憧れる電車が自分の血で汚れたらどう思うか……そう考えて私は元来た方向へ引き返すことにした。決して死ぬことを諦めたわけではない。ただ少し延期するだけだ。自由を失った子どもたちがせめて夢だけは失わないような死に場所を見つけるまで。
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