『本』の秘めた力は、素晴らしいものです。終
(※前話後半を、まるっと加筆しています。前話既読の読者さんは、先にそちらをごらんください)
じゃん、と生米の入ったボウルを持って、ニルが言った。
「では、帰宅そうそうですが、料理のお時間です」
「えっ」と声がそろう。ゲーム機を持ったままニルを見たクルックスと晴光である。
「働かざる者、食うべからず」
「そうよデネヴ。あなたって世界一気の利く触手生物ね……」
エリカは手を伸ばしてデネヴの頭を撫でた。
「今回は仕込みしてないんだよね。とりあえず晴光、お米炊ける? 日本人だもんね」
「日本人だけど、炊飯器がないと炊けねぇっす」
「じゃあこれを機会に覚えよう。洗ってきて」
晴光の目が、一往復だけゲーム機とボウルを見た。
「……うぃっす」
「エリカちゃんエリカちゃん!」
クルックスが、自慢の脚力を2%まで抑えて自分の存在を主張する。
「おいらは料理とか毛が入るからNGだと思うんですけど! あと美味しそうだとよだれも垂れるかも! 」
「じゃあ、野菜の皮むきしてきて」
「で、できるかわかんないし……」
「ナイフ、訓練で上手に使ってたわよね」
「うぶぶぶぶ……やりましゅ……」
「おりこうなワンちゃんね~」
エリカは、勝手口にある箱を示した。土に塗れた根菜がごろごろと入っている。
「キッチン狭いから、外でお願いね」
「キャウン……」
クルックスが洗って皮を剥いた根菜を、デネヴがリズミカルに
その隣で、エリカはまな板から溢れるほど巨大な鶏モモ肉に包丁を入れている。『ウラジ鶏』という、品種改良された巨大種である。
「今日はあんまり時間が無いから、切って炒めて煮込んで待つだけの『チキンカレー(タマネギ無し)』を作ります」
ニルが大鍋に火をかけて言った。
ニルは冷蔵庫から、麺棒のように長いバターを取り出すと、思い切って8㎝ほども大鍋へ切り落とした。
それを見て、隣で米の火の番をしている晴光がたずねる。
「まだ鍋温まって無いけど、いいのか? 」
「バターって、サラダ油より焦げやすいんだ。油を鍋の表面になじませるのが目的だからいいんだよ」
「じゃあサラダ油使わないのはなんで? 」
「風味がよくなる」
「なるほど」
「ニンニクも焦げやすいから、使う時は同時に入れるよ。今日はクルックスがいるから入れないけど」
バターが溶け切って、鍋の表面で
「じゃあ水入れます」
「もう!? 火、通ってなくね? 」
「バターを具材全体にまぶすして香りを移すのが目的だから、中まで火が通って無くてもいいんだよ。肉も野菜も煮込んでるうちに柔らかくなるんだ。水をお湯に変えたらすぐ沸騰するから時短になるよ。ここで僕は、半量だけルゥを溶かしておきます」
ニルはヘラをお玉に持ちかえて、鍋をぐるぐる掻き混ぜた。
「ルゥは小麦粉が入ってるから、入れるとトロミがついちゃって焦げやすくなっちゃうんだよね。だから半分だけ。こうすると、水で煮るより味が染みる気がするのと、最後に入れると鍋の温度が高すぎて、ぜんぶ溶け切らないルゥが残ることがあるから、それの予防ね。包丁で刻んだらいいんだけど面倒くさいでしょ。道具も汚れるし。これなら、ちょっと順番を入れ替えるだけで時短になる」
「なるほど~」
「沸騰したら、弱火寄りの中火にして15分煮て、残りのルゥを溶かしたらまた10分。それで完成です」
「おお~! って……ぜんぜん『切って炒めて煮込むだけ』じゃない気がする」
「工程さえ頭に入ってれば、『切って炒めて煮込むだけ』だよ」
「料理ができるやつの言い分じゃん……」
「まあまあ、あとでこれのルウ、分けてあげるから。ほら、味見」
と、ニルが小皿を差しだした。
鼻孔をくすぐる香りに、(あれ? )と晴光の脳裏に光がはしる。
予感は舌に感じた味で、確かなものとなった。
「! これイチから再現したのか!? 」
「人に頼まれて、エリカと市販のやつを改良したんだ。……よかった。それなりに完成度は高かったみたいだね。いずれ市場に回るから、楽しみにしててね」
晴光は、舌になじむ甘みと旨味の余韻を味わう。
この世界の『カレー』は、再現した人間の好みなのか、スパイスが主張する本格志向であった。
紙箱に入っていて、プラスチック容器ごとパキッと割れる、あのカレールウを再現したものはまだない。
その時、玄関のベルが鳴った。
リビングで対戦ゲームをしていたクルックスが、音に気を取られて車をクラッシュさせたようだ。
うながされて、家主でも無いのに晴光が玄関の扉を開けに行くと、そこにはファンが立っていた。
「こ、こんばんは……」
「……こんばんは」
二日目の夜は、騒がしく始まり、穏やかに更けていった。
●
第三部隊長ミゲル・アモは、この専門家集団の長でありながら、何の知識も無い男である。そもそも彼は、科学者でも研究者でもなければ、学問というものに強い魅力を感じたことがない人間だった。
前部隊長、故ワンダー・ハンダー博士は、自身も生体工学の天才といわれた科学者であった。
世界から集められる技術や法則をスポンジのように脳細胞へ取り込み、次々と実用化される発明を打ちだし、実績によって部隊の秩序に君臨した。
『できる』人が上にいると、下は奮起するか、サボるかのどちらかだと、ミゲルは思っている。
実際、ワンダー・ハンダー時代の第三部隊の仕事ぶりは、その二つに
ワンダー・ハンダーは誰にも好かれるような人柄では無かったし、どれほど忙しくても『これが生き甲斐です』と言ってのける完璧主義の天才だった。
下にいくほど
未経験者のミゲルが採用されたのは、はっきり言って、面倒事を押し付けられたからだ。
アン・エイビー事件後、混乱する現場で、空いてしまった隊長職。
管理局上層部は、これを機に第三部隊という組織形態を見直すことを決めた。
第三部隊の隊員たちは、内情を知っているのでやりたがらない。
そこで別部隊から引っ張ってくることになり、最終的に、ハック・ダックかミゲルかという話になって、協議の結果、なぜかミゲルに決まった。
役職についていないが、キャリアはそれなりにあって素行が良く、コミュニュケーション能力に問題が無い人物、という要素が噛み合ったらしい。
ミゲルは自分を、リーダーになるような男ではないと評価している。人を使うより、人に使われる人間である。
そりゃあ、後輩を可愛がるタイプではあるが、たくさんの部下の人生を預けられるのは荷が重すぎるし、こんな男に部下はついて来ないだろう。そもそも、ミゲルは彼らの仕事内容すらよく分からないのだ。
なのでミゲルは、最初から部下たちに慕われる努力はやめることにした。
禿頭の、どうみても学者肌ではない小男がやってきたときの、研究者たちの『嘘でしょ? 』という目は傑作であった。
ミゲルは、職員たちの研究内容や、人間関係には踏み込まない。口を出すのは、人事と納期、予算、埃がかぶって久しい有給制度消化の徹底だと言ったとき、リトマス紙みたいに青くなっていく職員たちの顔色も、非常に見ごたえがあった。
「俺のことは、そうだな……。権力がある事務員だと思え」
そう言った通りの仕事を、なるべく貫いて六年間。
ミゲルの隊長室は、つねに本と書類で埋もれている。
初歩的な専門書や論文の束、勉強の名残りがあるルーズリーフ、プロジェクトごとの予算案の希望と草稿、各種メモと大量のペン、メモを貼り付けるためのセロファンテープ、もう何か月も立ち上がりっぱなしのPC。
アラームは、もちろん聞こえていた。
第三部隊舎では、小火や小規模な爆発は日常茶飯事だ。それに気づくまで、連日鳴りっぱなしの警報音に気が狂いそうになったので、各部屋にはセンサーを数種類取り付け、緊急度を数段に分けて設定して、よほどのことがない限り音は鳴らないようにした。
「……チッ、廊下のモン壊しやがったな」
通路の大型破損は、上から三段目の警戒度である。いまごろあちこちで、あのうるさいAIがネットワーク上に出没して騒ぎ立てていることだろう。
他業務に支障をきたしたら困る。
ミゲルは画面を操作して、AIに
「……場所は指定した山ン中だな? よしよし、廊下は不問にしてやろう」
監視カメラの映像を切る。
どこに『セイズ』の手下がいるとも限らないので、データはきちんと削除ソフトにかけた。ミゲルにもデータを漁ることができなくなるが、それでいい。
体質で、
禁煙キャンディーを噛み砕きながら、ミゲルは椅子にひっくり返る。埃を被ったシーリングファンが、ゆっくりと回っていた。ミゲルはデスクを蹴って、同じように椅子を回す。めまいに似た遠心力の負荷が、ミゲルの不安の表面を少し削ってくれた。
「さて……『
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