『本』の秘めた力は、素晴らしいものです。④

 崖上から見下ろす森は、そこだけが伐採されて、地面と『カマキリ』がよく見えた。

 デネヴが指揮者のように腕を振ると、頭の頂点で結ばれた紫の髪が、四方に束になって広がる。

 投網に似た動きで、重力に従い――――時に逆らって――――頭髪に擬態した『触手』が『カマキリ』に襲い掛かる。

 臼のような歯列を擦らせて、カマキリは鳴き声のような音を上げた。鎌と同じように棘の生えたはねがぎこちなく羽ばたいてもがいていた。


 それを見て、エリカが耳付けた通信機器インカムに告げた。

「動きを止めた。――――次! 」


 返事の代わりに、緑の影が弾丸のように『発射』される。クルックスである。

 彼は、カンガルーのように強靭な下肢を持った犬のような獣人だ。鋭い牙は覆面の下。

 ――――ならば、武器となるものは。


 木々の頭が大きく震えている。

 クルックスはジグザグの動きで木々から木々へ飛び移り、触手から逃れた『カマキリを翻弄させた。その軌道から生まれる多角形の檻が、確実にカマキリの動きを小さくする。

 デネヴも追撃に出る。触手はクルックスの動きを縫い、網といわず巨大な布のように『空間を編んだ』。

 クルックスが、腹に巻いたベルトの金具に手をかける。膝を曲げ、筋肉をねじりあげ、ロケットのように『空へ』。

 デネヴが見えない綱を大きく引いた。触手布が収縮。同時に、捕縛されたカマキリの頭上30mから鉄色の筒が投下。クルックスは、弧を描いて崖上に着地。


 中身の冷却スプレーの煙が、紫色のサナギ状になったカマキリを、もうもうと白く覆い尽くした。



 ●


「かちんこちん」

 毛先を丸く束ねた触手で、霜に覆われた氷像をつついて、デネヴがボソボソと呟いた。


「ぶっちゃけオーバーキルじゃない? 」

 首をかしげるクルックスに、エリカが腕組をして言う。「万全を期したのよ」


「……大が小を兼ねた」

「デネヴ、これはちょっと違うかな」

「結果良ければすべてよし」

「それはそう」

「なあ、これどうすんの? 」

 言った晴光のほうを、デネヴ以外の三人ぶんの目が振り返った。

「だっておれ、物とかもけっこう壊して逃げて来たけど……」


「それはおいらもきたいなぁ。あとで怖い人に怒られたりしない? 」

「ああ、それはたぶん大丈夫」

「たぶん? 」

「たぶん」

「不安だなぁ。やだよおいら。お金ないもの」

「おれはそれより逮捕とかが困るんだけど」

「そっちも大丈夫」

「ニルはこう言ってるけど、エリカはどうなのさ。本当なの? 」

 エリカは肩をすくめてみせた。


「さぁね。わたしもよく知らないもの。ま、ニルって大丈夫じゃないときはそういうから『たぶん大丈夫』はたぶん大丈夫って意味よ」

「もしくは、おおむね心配なしって意味だよ」

「なんだか、二人の仲良し度を見せつけられてる気がする」

 クルックスは、すねたように腕を組んだ。






 『本』であるニルを除いた、エリカ、晴光、クルックス、デネヴは、第2006期の実働員志望研修生として、三年以上も組んで学んできたチームだった。

 二人の家に行くのも、初めてではない。

 クルックスは、上機嫌でデネヴの手を引いて、めちゃくちゃな音階の鼻歌を歌いながら、昼下がりの住宅街をずんずん歩いていく。

 その後ろ姿を眺めながら、晴光がエリカに切り出した。


「なあ、いつ思い出したんだ? 」

「思い出しちゃないわよ。『前』とやらを知ってんのは、あなたとニルだけ」

 晴光は、目をぱちくりさせた。


「……そうなの? 」

「そうよ。ニルって秘密主義なところがあるんだけど、まあ、こんな話なら、おいそれと言えやしないわよね」

 そう言って、エリカは小さく笑う。


「よく信じたなぁ」

「十年もあれば、信頼できる相棒の出来上がりよ。言ってしまえば、もしニルとの付き合いがもっと短くて、少しでも軽薄なところがある人なら、絶対に信じなかった」

「信頼してるんだな」

「誰より信頼してるわ」

 エリカはキッパリと言い切って、おもむろに、くるりと後ろ向きになった。

「ねえニル。それがあなたの十年間の功績よ」

 そこには、うつむいて手のひらで顔を覆った当人がいる。

 晴光は毒気を抜かれた顔で、ニルとエリカを交互に見た。エリカは呆れた顔をしている。


「なにをカッコつけてンのか知らないけど、っていうか、だいたい想像はつくんだけど、いい? ニル。あんたはわたしにしたように、コイツにこう言えばよかったのよ。『助けてくれ』って。誠実ささえあれば駆け引きなんて必要ないのが、晴光かれのいいところよ。そうでしょう」

「……もしかして僕、叱られてる? 」

「そうよ叱ってるの。さすがにファンちゃんがいるところで叱るのは面目立たないと思ってのことよ。晴光こいつは『いいやつ』よ、ニル。いいやつすぎるバカなの。そしてあんたは、賢いのに考えすぎてバカを見るタイプのバカ。晴光こいつがこんな萎縮するなんてどんな態度取ったの? あんたって本当にバカね。わたし以外の『友達』との付き合い方がなってないのよ」

「そこまで言う……? 」

 顔を上げたニルは、晴光が見たことの無い拗ねたような目つきでエリカを見た。

「……ぷっ! 」

 吹き出した晴光へ、ニルの視線がスライドした。

「……ちょっと、何笑ってんの」

「うくくくく……! いや、いや別に、うひひひひひ」


 晴光は笑いながら、立ち尽くすニルに歩み寄って、その肩をパンッと叩いた。「いって! 」とニルが身をすくめる。

「早く行こうぜ。クルックスに置いていかれちまったよ」

「……お腹減った? 」

「おー、はらぺこ! 」


(ほらね)と、エリカがニルを見る。

 ニルは短く深呼吸をした。まるで息継ぎのような深呼吸だった。

 エリカが晴光とは逆の肩を撫でるように叩く。


「行くわよ。あいつらに家中の食料食べ尽くされちゃう」

「うん。先、行ってて」

「わかった。すぐよ。わかってるわね」

「うん」


 黒髪とリボンを揺らして、背中が坂を上っていく。

「ちょっとー! 鍵は誰が持ってると思ってるの! 」

 声が遠ざかっていく。


(きみたちは知らないんだ。僕がどれだけ、『前回』を後悔したか……)


 誰にも出会わない世界。

 エリカ・クロックフォードの相棒ではない『ニル』。

 『次』に繋げるために耐えた十年間と、何度目かに『出会いなおして』からの十年間。


「……ここまで長かったなぁ」


 ゆっくりと石畳を踏みしめながら、ニルは顔を乾かせるために上を向いた。


「きみたちがいなくって、すごーく寂しかったよ」


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