『本』の秘めた力は、素晴らしいものです。②

 第三部隊――――そこは、五部隊の中でも異彩を放つ集団だった。

 管理局のを司る『研究開発部隊』。

 その別名にふさわしく、彼らの仕事はざっくりと分けて『現地調査』、『技術開発』、『実用化』、『文化研究』、『技術保護』の五つ。

 部隊長をトップにして、それぞれの仕事を管理するリーダーがおり、さらに専門ごとにチームができているという、一本の大樹のような形態をした専門家集団だ。


 そんな彼らの城が、この第三棟。扇状に並んだ五つのうち、左端にある棟である。

 外観は他の棟と変わらない赤レンガの洋館。しかし中は――――。晴光は、すでに自分が所属する第四棟が恋しかった。


「い、今の銃声じゃ…」

「実験の音じゃないかな」

「なんかサイレンが鳴り出したけど!? 」

「大丈夫だよ。すぐ止まるから」

「雄叫びっていうか、悲鳴っていうか、奇声が聴こえるんだけど!」

「無視して」


 第三部隊棟のしゅは、地下を掘り進めて広大に増設された実験施設群であった。

 十五階建ての第三棟よりも何倍も巨大なビルが、そのまま地下に埋まっている。B200階まである巨大な立方体に窓はなく、清潔だが無機質な廊下と、等間隔に来訪者を照らす青白い人感センサー式照明ばかりが続いていた。歩を進めると前方が明るく灯り、かわりに後ろの廊下が暗くなるのだ。

 メカメカしい扉は数十メートルごとに現れ、そこからは防音設備を破るほどの轟音や、奇音としか言いようがない不気味な音と振動が伝わってきた。

 人通りはなく、ときおりすれ違うのは清掃用のロボットだけだ。


「第三ってこんななの!? ホラゲのやべー施設みたいなんですけど!」

「エリカにくっついてよく来るけど、いつもこんな感じだよ。ここは『奇人メーカー』だ」

 ニルはにっこりした。

「頭がいい人が集まると、不思議と頭がおかしくなるんだって言われてる。……さあ、ここだ」

 晴光はごくりと塩辛い唾を飲んだ。

「……なあ、これで、本当に大丈夫なんだよな? 」

「へーきへーき。まあ見てなって」


 ニルが首から下げたカードキーを、パネルにかざす。

 ピッ、と音がして、いとも簡単に扉がスライドした。

 晴光は、カードキーを差し出した受付の事務的で不愛想な顔を思い出す。

(「……ああ、十一時にアポがある人? そこに名前書いて。ハイこれ鍵ね。あとで返却して」なーんて……。まさかあの人が『協力者』ってわけじゃ……ない……よな? )


 入室者を感知して、緑の常夜灯だけで満たされていた部屋に明かりがつく。

 そこは、見るからに実験室という室内だった。

 なんせ中央には、巨大な円柱型のガラス製容器がある。

 容器の下部は灰色のプラスチックで覆われており、色とりどりのコードが床を這って壁中にある黒い配電盤に繋がっていたし、しかもガラスの中の青い溶液に浮かんでいるのは、丸ごとナマッぽい『脳ミソ』なのである。


 晴光は思わず「ウワッ!」と声を上げた。

「めちゃくちゃ映画で見たことあるやつじゃん……」


 〈何番煎じって感じの姿で悪かったねぇ〉

 その声はあきらかに、頭上のスピーカーからの声だった。


 〈そうさ。お察しの通りさ。『ワンダー・ハンダー』は脳みそなのさ。キシシシシシ〉


 晴光は、戸惑いの目でニルを振り返った。

「晴光。あれが彼の目だ」

 ニルは天井に設置された監視カメラを指差す。円形のレンズが収縮するようすは、まるで人間が目を細めるさまにも見える。

 スピーカーからの声は、うたうようだった。


 〈『ワンダー・ハンダー』は、前・第三部隊長『ワンダー・ハンダー博士』の人格をトレースした管理型AIなのさ。

 製作者はもちろん、稀代きだいの天才発明家、Dr.ワンダー・ハンダー。


『ワンダー・ハンダーがもう一人いたらお仕事はかどるんじゃなァ~い? 』ってことで生まれたワンダー・ハンダー。そのお仕事は、多忙を極めるワンダー・ハンダーシリーズ開発のサポート。

 残念ながら、マスターであるワンダー・ハンダーは、六年前に死んじまったけれど、ワンダー・ハンダーが亡きイマは、800名以上を越える第三部隊の研究員たちのスケジュール管理のお手伝いやら、進捗しんちょく状況のまとめを部隊長に上げることやらやら。


 ああ、忙しいあなたの隣にワンダー・ハンダー。

 そう、作業の片手間にワンダー・ハンダー。


 いつもニコニコ進捗しんちょく催促さいそくのお手伝い。


 スッ飛んでて、ステキで、スゲー。『スリーS』でスバらしい。それがワンダー・ハンダァァアアアアッ〉



「じゃああれは、前部隊長の脳みそ……」

 晴光はドン引きしてのけぞった。


 〈あれはカッチョいいから投影してンの。そういう『あるあるデザイン』をワンダー・ハンダーは好んだから。ルパン三代目の複製クローン人間、めっちゃいいよね~ってことでネッ〉


「……これが協力者? 」

 ニルは当たり前のように頷いた。

「そうだよ。機械だから『感染』することはない。そのかわり、絶対に『次』の記憶を持つことも無い。セイズの監視の範疇外だ。――――AIだからこそ。あなたは協力者として心強いんです。ワンダー・ハンダー」


 〈ふふん。褒めてもなんにも出ないのさ。なぜならワンダー・ハンダー、そんな安いAIじゃないもの。

 『前回』だっけ? キミが提唱する仮説。もしそんなものが本当に起こっていたとして、ワンダー・ハンダーをどうやって協力者にしたのかは、この頭脳をもってしても分かんないサ。でも『交渉』はまだ続いてるんだよ。日和ピヨるんじゃないよ。ヒヨコちゃん〉


「はい。だからこれが、『前』もやった僕の『交渉』です」


 ニルはおもむろに、部屋の中央に鎮座するガラスの円柱に近づいた。青く発光する脳ミソ入りのガラス容器に、ニルは手を突っ込む。

 と、剥き出しのニルの手は、投影されている映像の奥に吸い込まれていく。再びあらわになったときには、その手には一冊の『本』が握られていた。


「――――あなたから、この『本』を盗みます。これが僕の『交渉』だ」


 〈あ―――――っ! そういうことするー!? ワンダー・ハンダー、交渉決裂しちゃいますぞ! 〉


「決裂にはなりません。繰り返しますが、これも僕の『交渉』です。その意味を、あなたの頭脳なら分かるはず――――」


 〈ひとのもの! とったら、どろぼう、なんだぞ! 成敗してくれる! 〉


 ウォォオオン――――と、けたたましいサイレンの音とともに、照明が赤く点滅した。配電盤だらけの壁中から電子音が鳴り響き、トランプのカードを切るように駆動する。

 壁の奥からせり上がってきた巨大な鉄の箱の中には、一人の男が裸で収まっていた。晴光は顔を引き攣らせ、逃亡の姿勢を取る。


「なあニル、あれがまさか――――」

 〈いっけぇ! 改造人間カマキリ警備員! 〉

「そのまさかさ。――――逃げるよ! 」


 男の白濁した目が、ぐるりと回った。頭蓋骨を破るように、複眼があらわれる。

 みるみる三角形のカマキリ頭になった男は、脇腹からあしを脱皮させながら、カクカクと盗人に向かって猛烈な勢いで駆けだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る