『本』の秘めた力は、素晴らしいものです。①
ニルと晴光は、そろって無人の廊下を歩いていた。
窓のない、閉塞感のある灰色の地下。薄く青い照明ばかりがまぶしい。
そこは第三部隊舎。またの名を、『実験棟』と、人は呼ぶ。
「……ほんとうに大丈夫なのか? 」
不安そうに晴光がたずねた。
「大丈夫大丈夫。なんとかなるし、なんとかする」
対するニルは、朗らかに笑う。
「こんなところでは終わらないさ」
●
「さっそく作戦会議だ」
十八時間前のことである。
ニルが卓の上にノートを広げた。前々回、『コジマリン』のときのことが、時系列順に書かれている。
ニルは『二日目』を指でなぞって言った。
「前々回と同じように、
「わかった」
「でも、買い物は無し。当日、きみはファンちゃんとのデートのかわりに、僕と一緒に『カマキリ退治』をする」
「カマキリ退治? 」
「きみたちが買い物に行った日。僕とエリカが戦ったカマキリ男、見たでしょ? 彼はとある場所を守る門番で、僕らは明日の昼までにそこに忍び込んで、とあるものを取り返さなくちゃあいけない」
晴光は分かりやすく嫌な顔をした。
「泥棒をする…ってことか? 」
「取られたものを取り返すだけだよ」
ニルは首を少しかしげて、困ったように笑う。『よくないことだってことは分かってるよ? 』に、『でもね、仕方ない時もあるんだよ』がくっついた笑顔だ。
「僕だってこの十年、黙って見てたわけじゃない。過去の反省を生かして、現在進行形で協力者を得ようとしてるんだよね。その人は、以前の周回でも助けてくれたことがあった。今回も、記憶はないけど、『状況証拠さえあれば力を貸してくれる』ってことになってる」
「そんな人から盗むのか? 助けてくれるかもしれないんだろ? 」
「その交渉で担保にされたんだ。取り返さなかったら……。前回見た、爆発があったでしょう? あれに巻きこまれることになる。実際に爆発が起これば、それが『状況証拠』になるんじゃないかな? って打算もある」
晴光は腕を組んで唸った。
「なるほど。考えてのことか……でも、そううまくいくのか? 」
「うん。うまくいかないかもしれない。でも交渉を駄目にしてでも、あれだけは取り返さなきゃいけない。前々回はエリカが手伝ってくれたけど、もうエリカは『忘れて』しまったからね。代打を晴光に頼みたいんだよ」
「なあ、そこまでして取り返さなきゃいけないものってなんだ? 」
「僕の『
●
そもそも、『本』の一族というものは。
『生物』であることは間違いないが、純粋な『人類』というよりは、『妖精』だとか『妖怪』だとか『精霊』だとかに近い存在だという。
管理局は『本の一族』を書類の上では『人種』と
管理局が出来る前。異世界間の航行を可能にした異邦人たちは、穏やかで非力な『本』の人たちの持つ、ある特殊な能力に目を付け、故郷の世界から根こそぎ連れ去った……とされる。
そうした奴隷時代に、生来の文化や言語を失った彼らは、どうやら自分たちの姿すらも失ってしまったようなのだ。
異なる世界に『適合』するさい、姿が変わってしまうことがある。
大きく変わってしまった場合、管理局はその現象を『擬態』と称する。
『本』たちは自らを
彼らの特徴は、赤や黄色はもちろん、青や紫、緑といったバリエーション豊かな髪や瞳の色。小柄で幼い見た目。そして『本』。
『本』とは文字通り、冊子の形をした彼らの『もう一つの体』だ。血のように赤い皮張りの表紙で、大きさは個人差がある。晴光の知っているニルのそれは、だたいB5ノートくらいの大きさで、辞書ほどの厚み。
もちろん『本』なので、表紙を開くと1000
一説には彼らにとっての本来の姿はこの『本』の形状で、人間のように見えるほうが『擬態』した結果に生まれた『オマケ』なのだとも言われるが、そのあたりは『
『本』は子供が生まれてすぐに近親者によって作成され、特殊な儀式をもって『体の
それらは一枚ずつが肉体のほうの部位に対応しており、ニルが腰の下まであった長い髪を切ったときは、実際に五ページほど減ってしまったことも、晴光は知っている。
つまり『本』を奪われるということは、生殺与奪の権を奪われたに等しい。今このときにでも、『本』のほうへカッターの刃をいれるだけで、ニルの体のどこかが血を噴き出すのだ。
「おっまえッ! 大事な『
これには自他ともに認める温厚さを持つ晴光も、声を荒げた。
「僕らの『本』のことスタンドって呼ばないでよ……たしかに僕らの生態とあの漫画のアレ、似てるけどさァ」
「馬ッ鹿じゃねーの!? 」
「エリカみたいなこと言わないでよー……前々回めちゃくちゃなじられたんだから」
「……はー、それでわかった。前々回の児島凛の任務。エリカがニル連れてきてないの、珍しいと思ってたんだよ。『本』が無かったんだったら行けないもんなぁ……ってことは、その状況のニルを置いてエリカはあの任務を……そりゃ宴会どころじゃねえよな……。はあ……エリカはよく冷静に仕事こなしたっていうか……」
ニルはうんざりした顔で両手を上げた。
「あー、はいはい。馬鹿なことは承知です。僕だって、僕を
ニルはふと、真剣な顔になった。上目遣いに晴光を見つめ、こんどは言葉を変えて。
「共犯者になってくれるね? 」
晴光は、眉の上をぽりぽり掻いた。
「……しっかたねぇなー」
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