貳、 ユエ 3

 帰宅し、俺はほとんど存在を忘れかけていた件の蔵に赴いた。大きな扉には、これまた大きな錆びた南京錠が掛かっており、家から鍵を探し当てるのに少し苦労した。

 中に踏み入ると、その惨状に思わず口から「うわ……」と漏れる。想像通りのひどい散らかりようだ。こんな状態の中から目的の物一つを発掘するなど、とんでもない重労働。早々に諦めたくなって一歩引いたが、意外にも隣で立っていたアオが、蔵の中を見つめて言うのだった。

「あるわ。確かにここには何かある」

 夜、少ない光を集めて輝く彼女の蒼い瞳には妙な説得力があった。じじいが「すぐにわかるはず」と言ったのはこういうことなのだろうか。

 しかし、俺の目はアオのように鋭くはない。整理しながら何かを探すにしても、こう暗くては到底無理だ。俺はアオの了承を待たずに即刻「明日にしよう」と言って家に引き返した。

 そして翌日の日曜日。気温が上がる前に事を済ませようと、午前中から作業に取り掛かった。

 片っ端から物を蔵の外に運び出し、それを都度、アオに確認してもらう。どうやら注意深く神経を尖らせなければ拾えないような気配らしく、本当かよと疑いながらも、完全に彼女にセンサー役を任せている。夏も近いこの炎天下に、相も変わらずきっちりとした着物姿。汗一つ流していないこいつの身体は、一体全体どうなっているのか。

 蔵から出てくるのは古びた書物に雑誌、気味の悪い人形、埃の積もった皿や壺、囲碁盤にかけた碁石……と、とりとめもない物ばかりだった。アオはそれら一つ一つに「これは何? こっちは何?」と面白そうにピョコピョコと耳を立てて食い付いていく。そんなに暇なら手伝ってほしいものだが……しかしそれを言うと

「えー、汚れるし。ねいる崩れるから嫌」

 と、あっけらかんとした笑顔を返された。

 抜け抜けと傍若無人だが機嫌はいい。その爪には確かに空色のネイルが丁寧にあしらわれている。もしアオが自分でやったのだとしたら、それは俺の想像より何倍も様になっていた。彼女の機嫌を買うという意味では、先日の買わせ文句はあながち嘘でもなかったのかもしれない。

 そしてそのアオによれば、目当てのものは依然、蔵の中に眠っているらしかった。

「なあアオ、運ぶのが嫌なら、せめて新しい新聞紙広げてくれないか」

 蔵から出てきた物品たちは、順番に広げた新聞紙の上に並べている。積み上がった新聞紙の束を家から持ってきて、作業初めにある程度広げたのだが、想定以上の物の多さにスペース拡大を余儀なくされた。既に何列広げただろうか。ちょっとした骨董市みたいになっている。

「ま、それくらいなら」

 そう言ってアオは土の上に新聞紙を広げ始める。しかしちょっと目を離すと、その新聞紙の上に乗っかって四つん這いになり

「なんだか物騒ねぇ。道端に銃が落ちてたらしいわよ」とニュース記事を見て。

「ちょっと。新しいこすめ、だって。今度これ買ってよ」と広告記事を見て。

「あ、月が載ってる。何これ、きたる七月十七日、日本でかいき……? げっ、しょくが……」と教養記事を見て。

「おい働け!」と俺が声を張る。いやもうほんとに働いて!

 とっととアオが新聞紙を広げてくれないと、俺が両手に持った物を下ろす場所がない。

 そんなこんなで作業時間は延びに延びて正午を過ぎ、汗と同じくらい文句も垂れ流しながらせっせと蔵の内外を往復する。たった今運んでいるのは土瓶、金桶、それから細長い木箱だ。そいつをようやく拡大された新聞紙スペースに下ろすと、また蔵の中に引き返す。

 ――つもりだったが、木箱を置いた瞬間、アオがピョンッと飛んできて俺の手を取った。

「紫苑、これよ」

「え?」

「探してる物よ。あたしたち、別に蔵の整理してるわけじゃないでしょ?」

 そうだった。いや、ここまでやったんだからせっかくなら整理の方も……と思ったが、アオは目の前で早くも木箱を開け始めてしまった。

 その箱は紐で縛られているわけでもなく、かといってそれらしい封もされていなかった。蔵で埃を被っていたにしては、いやに綺麗な桐箱だ。密封性の高い蓋をアオが両手で持ち上げると、中に入っていたのは、目を引くほどに美しい、白い和傘。一見しただけで、その精巧かつシンプルな造りに驚く。全長で一・五メートルにもなろうかというほどのやや大きなものだ。

 アオはその柄を右手で掴んで軽々と持ち上げる。全身を精査するように真剣な眼差しで一通り眺めると、今度はなんと、反対の手で胴を掴んで、柄の部分を横に引いた。

 露わになったのは細く長い白刃。つまりこれは……仕込み刀だ。

「これを、もう一度見ることになるなんて……」

 アオがポツリとそんな言葉を零す。

 少しして俺は、それきり何も言わない彼女の背に声をかけた。

「……探し物は、それで間違いなさそうか? お前の母親から預かった物だって聞いたけど」

「そうね。母さんがこれを使っているところを、あたしも月で見たことがあるわ」

 アオはゆっくりと最後まで刀身を抜ききる。次いで、左手で持った傘を開いてみせた。

「これは、昨日話に上がった与奪の宝具――枝から作り出された宝刀。名を『月影(げつえい)』というわ。あんたの先祖が口にしたっていう不死の薬は、枝の果実から作られたって話だけど……対してこの仕込み刀は、枝の全ての部位を使って作られている。したがって与奪の宝具としての性質をそのまま受け継いでいて――」

 言いながら、アオは足を半歩開いた体勢で、刀の切っ先を天に向ける。続いて目の前の開けた空間へ向かって振り下ろした。身に纏う空気はピンと張りつめ、それは、ともすれば神聖な舞の所作のようにも見えたが、しかし如何せん何が起こるわけでもなく、数秒の沈黙が続く。

 やがてアオは緊張を解き「ふぅん」と呟くと、傘を畳み、刀をそこにしまった。

「なんて能書きは、ま、今はいっか。悪いけど紫苑。これ、しばらくあたしに貸してくれない?」

 刀を収めてしまえば、それはどこからどう見てもただの和傘だ。差し出すアオの腕にも負けないほどの白さ、すらりとした細く長い形状には、物体そのものとしての美しさが宿っている。俺は直感的に、これを携えてアオより映える者はいないと感じた。

「貸すも何も、じじいはそいつをお前に渡せって言ったんだ。お前にやるよ」

「え、いいの?」

「別にいいさ。元はお前の母親のものなんだろ? 蔵で眠ってても意味ないし、その傘ならお前が持ってても、そうは怪しまれないだろうしな」

 着物に和傘。まったく違和感はない。雨天ならば言わずもがな、晴天でも日傘として見えるだろう。仕込みでも抜身でも凶器は凶器だから違法には何ら変わりないが、あからさまな短刀よりは法を騙くらかせそうでもある。

「あ、でも人前では抜くなよ」

 駄目元でついでのように念押しすると、アオは嬉しそうに、にこりと笑った。

「ありがと。あんたはいつも口うるさいけど、でも、とても優しいわね」

 ちらりと八重歯を覗かせ、しかし幾分か穏やかに目を伏した今の彼女の笑みは、これまで何度か見てきた華やかな笑い方とは少しだけ違う、穏やかなものだった。

 俺はそれから、並べた物品たちを簡単に手入れして、再び蔵に戻していった。結局アオは最後まで作業を手伝わなかったが、合間合間に家から水や食べ物を持ってきてくれた。俺は時折それを口にし、彼女となんでもない話をしながら、日が落ちるまでに片付けを終わらせた。

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