第31話 祈り
要塞都市パントダールのようすが慌ただしくなってきた。見世物小屋のマスター、ノーマット・リーゲルから盗ん……、こほん、お借りしてきた望遠鏡で確認した感じだと、重装兵と魔道兵がたくさん、騎馬の兵が少数、山狩りに駆り出すようだ。
騎馬は関与しないと思っていたが、そうでもないみたいだ。
それよりもなによりも、山岳部などの足場の悪い場所で力を発揮するシーナの殺し屋、弓兵がいなかったのが朗報。ムグラの森でマキナを暴れさせたお蔭で、他の都市部からの援軍が抑えられており、結果、弓兵が到着しなかったと考えていいだろう。崩れた城壁を目の当たりにした彼らには、待つという選択肢もとれない。
重装と魔道の兵はそれなりにいるようだが、まだまだラクト=フォーゲルの護りを安全に突破するには辛い。もう少し暴れて、橋の防衛をしている兵を引き出さなければ。
とりあえずデジーさんが戻ってくるまで頑張って時間を稼いでみるか。
ひとりになった時の動きはデジーさんに伝えてる。敵に遭遇してしまった場合、僕の居場所がわからなくなった時の場合、負傷して捕虜になった時の動き。デジーさんはアホだが、ちゃんと理解はしていたはず……、たぶん。
トラップゾーンに敵を引き寄せるのは、デジーさんと合流した後の話になる。僕がいますべきことは敵の注目を浴びつつ、囲まれずに我が身を護り続けることのみ。心優しいデジーさんの負担を減らすためにも、頑張って働かなくては。
ふぅ、と小さな息を吐き、うっそうと茂った木々の間からのぞく青い空を見上げた。
思えば長い旅だった。
精霊の曝露事故から一夜にして街の英雄になり、そう時間をおかずに化け物として扱われるようになった。家族を失い、見世物小屋という家族の模造品に組み込まれ、国賊になった日に新しい家族を得た。
人の一生のなかでも起こらないようなハードでタフな事件が何個もこの身に降りかかってきた。
もうお腹いっぱいだと泣き言を吐いても、もうへとへとだよと弱音を吐いても、時計の針は僕らを置いてどんどん進んでいく。時間という巨大な怪物は、僕らのような小物に関わっていられるほど、暇ではないようだ。
「祈りを力に」
そうですよね、デジーさん。
きっとうまくいく。
僕は胸のまえで手を組み、地面に膝をついた。
小さなころには母の口から、妻を得てからはデジーさんの口から聞いていたウラム教徒の言葉を唱えながら、山の地形を思い浮かべていく。
細部まで正確に。
『精霊は知っている。痛みも、歓びも、苦しみも、孤独も。過去さえ、未来さえ』
いままでの僕は難解で複雑な結界を生成する時、いつも目をつむり、感覚を遮断してきた。自らの世界に没入することで現実の世界を感じ、触れることが出来るから。
しかしデジーさんと知り合ってからは考え方が変わった。
なにも考えず、自分より大きなものの一部になる。子供の頃の僕が、父や母の腕のなかで寝ていたように、なにをしても敵わないほど偉大で慎み深い大自然のなかで深呼吸をするように。
はい、結界。
「レナンの結界だ! 警戒しろ!」
結界を通して兵の声が聞こえてくる。
「なんて巨大な結界なんだ」
「化け物め!」
「隊列を組め! アデュバルの投石に備えよ!」
僕は目を開け、森の声に耳を傾けた。
さえずる小鳥、地を這う虫たち、子を育む獣。僕は、森を感じていた。
僕は祈り続ける。
『信じ、慈しむことであなたは救われる。精霊は知っている。あなたの信心を、あなたの慈悲深さを』
ジャバナ流結界術【破烈】
「結界が破れたぞ! 失敗したんだ!」
「行け行け行け!」
「生死は問わん! レナンとアデュバルを狩れ!」
僕を含め、人間と言うのは愚かな生物だ。自分という小さな世界でのみ生きていける。自分という小さな尺度で物事を測る。
こんな巨大な結界を張ったからミスをしたんだ。結界は失敗してしまったんだ。奴の魔力は底を尽きたに違いない。
自分の物差しでしか考えることが出来ないから、簡単な事実を忘れて舞い上がってしまう。自分の都合のいいように考えてしまう。
彼らは忘れているのだ。僕が精霊の曝露事故で人間の領域を脱してしまったということに。
注意深く観察していれば気が付くはずなのだ。魔力不足で壊れた結界と、【破烈】によって強制的に、かつ急速に解除した結界の相違に。
でも彼らは気がつかない。思考停止で目のまえの現れた千載一遇のチャンスの偽物に飛びつき、勝手に自滅していく。好機はいつも人の目を曇らせる。
人はみな信じているから。
ハッピーエンドの
シーナの兵士の耳には届いているだろうか、大地を揺らす、自然の兵器の行進を。
『精霊はあなたと共にある。この世界に生まれたばかりのあなたは、精霊の慈悲深さに声を上げ、精霊の偉大さに涙を流す。ひとり残さず、みな』
シーナの兵士が攻めてくると知りながら、なんの準備もせずに漫然と時間を過ごすほど、僕は愚かではない。
例えばデジーさんが傷ついて動けなくなってしまったケース、あるいは僕が力尽きてしまったケース、考え得るさまざまなケースを想定して準備をしてきたのだ。
少し力を加えるだけでバランスを崩して落下、斜面を転がり落ちる大岩なんてのも、もちろんある。
【破烈】は、不自然に魔力を込め、かつ薄く生成した結界を、完成する直前で中断する技術である。かなり複雑で魔力の消費も多いが、レナン・棘の精霊を利用した結界術の唯一の攻撃手段だったりするのだが、今回はアンバランスな岩を刺激するのに使わせてもらった。
大地を揺らす、岩の振動。
『しかし精霊の領域には踏み入れてはいけない。それは人智を遥かに超えた場所であるからである。それは死と破壊を齎す、禁断の儀式なのだから』
はい、結界。
大きな岩が、僕の結界に衝突し、ふたつに割れた。
ジャバナ流結界術【ブリンク】
一瞬だけ巨大な結界を張り、結界を通して周囲の状況を確認する。
地形や兵の配置、木々の生え方を感じとると、いくつもの大岩の落下する地点を計算。どこにどう結界があれば敵に効率的にダメージを与えられるかを導き出した。
『あなたの慢心は精霊を激高させ、あなたの奢りが精霊を乱心させる。あなたは祈り、護り、信じ続けなくてはならない。悪しき人にならず、善良なあなたとして精霊を受け入れねばならない。死と破滅を、呼びこんではならない』
結界は護る術。レナンの棘は護りの剣。
ジャバナ流結界術【大地創造】
結界にはいくつかのルールがある。そのうちのひとつが、術者は結界のなかにいなくてはならないということ。
【大地創造】自分を中心に地面すれすれに結界を張る技術。誰かを高いところろに運ぶために足場をつくったり、相手の足を滑らせたり挫かせたりするのに使うものである。
もちろん使い方によっては、落下する大岩を敵のいる場所に誘導するためにも利用できる。
とはいえ、これも乱発可能な便利能力ではない。ドーム型結界よりもずっと精密な魔力コントロールが必要になるし、体にかかる負担も並大抵のものではない。
【大地創造】【ブリンク】【破烈】、それも大規模かつ特殊な結界。
体にかかる負担は……。
服をめくってみると、目に見えて結晶化が進んでいた。
なんとなくダラダラと過ごし、時間を浪費している人々には多くの猶予があるのに、なぜ幸福を求めて足掻く僕らに残された時はこんなにも少ないのだろうか。
「不公平だ。まったく」
単純なドーム状、広い結界を張って情報収集。
「アデュバルがここまでだとは……」
「撤退! 撤退!」
「負傷者を運べ! 追撃に備えろ!」
「また結界だ! 退け! 退け!」
誰かが言った。
加護持ちは化け物だと。
また誰かが言った。
奴らは兵器だと。
そんな彼らに、僕はこう答える。
「その通りだ、君たちは正しい」
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