第32話 お護り
次の襲撃はいつになるだろうかと待っていたのだが、なかなかシーナは攻めてこず、睨み合いの状況が続いた。
山狩りの兵士は半壊させたし、おそらく死者も出ただろう。これ以上の痛手を負うわけにはいかないという判断なのだろうか。
深い山のなか、ひとりで生活していると、気分が深く落ち込んでいく。家もなければ満足に食べ物があるわけでもないし、敵の動きも常に警戒しておかなければならない。
僕の魂は疲弊していた。限界に近いほど、疲れ切っていた。
「ジャバさん!」
「もうあなたに会えないかと思った」
「大丈夫ですか!?」
デジーさんは僕の太陽だ。
最悪だった僕の人生に舞い降りた奇跡。彼女がいればどんな苦労だって屁でもない。
「交戦は一度だけでした。それでもかなり疲れました」
「そのようですね……」
「僕は戦士じゃない。誰かの人生を奪ったり、傷つけたりするのは心にくるものがあります。いつ殺されるかと不安で眠れない夜も、もうたくさんだ」
「一緒に乗り切れます。きっとふたりなら」
「はい、僕もあなたとならやれそうな気がする」
デジーさんがいれば、とても手が届きそうもない夢にだって、触れることが出来る。きっと、ふたりなら。
「マキナの様子はどうでした?」
「ムグラの森を渡るシーナ軍はかなり少ないみたいです。彼らはムグラの森に現れた死神が通行料として命を奪う、そう囁き怖れているようですね」
ん?
「誰が囁いているのです?」
「新聞に載ってました」
「どうやって新聞を?」
「マキナちゃんが通行人を襲うついでに新聞や手記なんかを盗んでいたみたいです。あなたが新鮮な情報を欲しがっているだろうって判断して」
有能すぎて鳥肌がたつレベル。
本当は僕が指示すべきはずだったのだろうが、自己判断でここまでのことをするのか。
「賢い子だとは思っていましたが、はっきり言って想像以上です」
「それだけじゃありません。こんなものまで盗んでくれたんですよ?」
と、デジーさんがとりだしたのは革袋。
「それは?」
「お酒です。私が好きだからって」
おっと、それは悪手。
「もしかして、飲んだのですか?」
「いいえ、まったく」
「よく我慢できましたね」
「昔の私なら欲望のまま口にしていたかもしれません。しかし、あなたに恋をしてから成長したのです。あなたが成長したように」
「いつかデジーさんは言いましたね、昔の僕より
「ジャバさん……」
「デジーさん……」
はい、結界。
ガンッ。
「いててて」
「そのスキンシップをコントロールしてくれたら、もっと好きになるかも」
「精進します」
デジーさんと会って勇気百倍、気持ちも上向く。
まったく柄にない発言だが、恋って素敵だ。
普段は絶対に発揮できない力だって出るし、勝算のなさそうな敵にだって勝てそうな気がする。
「デジーさん、第一の山場がやってきます」
「いよいよですね」
「最初の山狩りを追い返したことで、シーナは痛感したはずです。自分たちが誰を敵に回したのかを」
「はい!」
「ムグラの森経由で援軍を呼ぶのは難しい。動ける兵士はラクト=フォーゲルにいる。彼らは兵を集め、僕らがいる山岳部に集結するはず」
「本隊が登場するわけですね」
「苛烈な攻撃になるでしょう。彼らの相手をしつつ適切なタイミングで罠にはめ、ラクト=フォーゲルに裏周り、手薄になった橋を渡ります」
「きっと大変な戦いになるのでしょうね……」
あと何度、僕は大規模な結界を張れるだろうか。デジーさんとマキナを安全な場所まで送り届けるまで、僕の体は動くのだろうか。
「デジーさん、ひとつ約束して欲しいことがあるのですが」
「なんです?」
「もし僕の結晶化が進み、体が動かなくなったら、その時は迷わず僕を捨てて逃げなさい」
キッと僕を睨みつけるデジーさん。
「お断りします!」
「今回の攻防で僕の結晶化はさらに進みました。シーナ脱出まで体がもつ保証はありません」
「じゃあもう結界は張らないでください。私とマキナちゃんで……」
「ふたりで勝てるほどシーナは甘くありません」
デジーさんの瞳に涙がたまり、体がふるふると震えている。
彼女は短絡的ではあるが、短気ではない。他人に優しく同情的で、その性格は怒りとは最も離れた場所にある。
僕は、そんな女性を怒らせたのだ。
「誓ったじゃないですか! 死が分かつ時まで一緒にいるって! 病んでも、貧乏でも一緒にいるって!」
「あなたの死は、僕の死でもある。あなたが僕のために死んだ瞬間、僕の人生や存在が死ぬのです」
「難しいことを言ってもわかりません!」
きっと彼女は怒ると思っていた。僕の提案を断固拒否するだろうと。
「腹部の結晶化が進み、呼吸が苦しくなってきました。一歩一歩、死が近づいてきているのを感じる」
「だから一緒にいるんです! 最後の一瞬まで!」
「マキナはどうするんですか?」
「あの子だって……、マキナちゃんだって私と同じ気持ちに違いありません! あなたを見捨てることなんて出来ない!」
僕は立ち上がり、服をまくり上げた。
「このまえと変わりませんよ! このまえ見た時だって、そんな感じだった!」
「本当に、そう見えますか?」
「……でも……。だって……」
わかってたことだ。いつか、この日が来るんだ。それが、精霊に呪われた僕らの宿命なんだ。
「マキナはまだ生まれて間もない。あなただってまだ自我を保っていられる。僕が先に暴走するのは火を見るより明らかだ」
「私は……」
「もし僕が暴走したら、それはそれは厄介で面倒な結界を張ってシーナを足止めしてみせます」
怒りのためか、あるいは悲しみのためか震えるデジーさんの肩に手を置き、僕は続けた。
「僕が愛したデジー・スカイラーは強い女性だ。弱い人や、不幸な人のためにこそ真の力を発揮する。僕がいなくなった後、マキナを護れるのはあなたしかいない」
「ジャバさん……」
「あなたならきっと出来る」
どうか僕のことは忘れて欲しい。
素直で優しいデジーさんを愛する男性が、きっと現れる。
かつて大地の精霊の加護を受けた女性を愛し続けた、ひとりの男がいた。
悪名高いアデュバルの加護を受けたデジーさんを心の底から愛した、僕という男がいた。
これからもきっと現れる。
彼女を愛して共に歩む人が。
「ジャバさん、私は……」
僕は未来について、それ以上なにも言わなかった。
忘れて欲しいなんて言うのは、卑怯だから。残された者の辛さとやるせなさを、僕はよく知っているから。
「さて、山頂でのろしを上げましょうか。マキナと合流して、シーナ軍を迎え撃ちましょう」
「……」
彼女の頬を伝う涙を拭いて、僕は続ける。
「デジーさん、死が分かつ時まで、僕らは愛し合い、戦うのです」
「……」
「投げ入れられる石は小さいかもしれない。僕らの戦いの影響なんて小さな小さな波紋なのかもしれない。でも、きっと意味がある」
「……」
「精霊は知っています。僕らの戦いの価値と、命の意味を」
懸命に息を整えたデジーさんは、力強い瞳で僕を見据え、言った。
「力の限り戦います……。あなたと共に」
「ありがとう、デジーさん」
シーナ迎撃の準備をはじめようとした時、デジーさんに呼び止められた。
「髪の毛を、頂けませんか?」
「お護りですか?」
「なぜわかったのですか?」
「母がウラム教徒だったので」
ウラム教徒は大切な人の体毛を、常に身に着けている。離れていてもその人と一緒にいられるように。
「一本でいいです。かまいませんか?」
「もちろん」
デジーさんは涙を拭き、僕の頭に手を伸ばし、そして……。
ぶちっ!
「えぇっと……」
「あの……」
「一本って言わなかった?」
「す、すみません……」
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