第8話 暴れ神の転落

 完膚なきまでに叩きのめされた夜叉に、抵抗する術は残されていなかった。三成が体得している、あらゆる退魔術の練習台となり、起き上がることすらままならない。


「これが……抵抗する意思もない、かよわき女子おなごにする仕打ちか……この変態野郎」


 残された力を振り絞って出来ることは、せいぜい悪態をつくことくらいだ。その言葉すら、かすれるようなか細い声にしかならない。


「人聞きの悪い事言うなよ、物の怪風情が。人外に油断なぞ禁物。持てる全ての力で貴様を制圧しただけだ」

「ハッ 楽しげに銀の刀を振り回しておきながら、よく言うわ…… くそ、わらわにもヤキが回ったのう」


 夜叉は、ぼんやりと月を見上げながら言った。


「これでもわらわは、かつては東国でも一、二を争う暴れ神として名を馳せたものじゃ。それがこのような惨めな最期を迎えるとはのう」

「東国で一、二ときたか。まだそのような世迷い言をほざく余裕があったとはな」

「信じぬならそれでもいいが……坂東太郎に、赤城のムカデ、日光の大蛇、香取や鹿島の剣神ともしのぎを削ったものよ……」


 利根川の激流、赤城山、日光男体山、そして香取神宮と鹿島神宮。いずれも東国で信仰の対象となっている神々だ。これらと覇を競ったとは、夜叉ごときには大言壮語が過ぎる。


「本来のわらわであれば、貴様らなぞひと睨みで殺せたぞ?」

「仮にそれが真実だとして、それほどの霊力の持ち主が、なぜここまで弱くなった?」

「ハハハッ 全くじゃ!! ……都の陰陽師に捕まり、下僕にされたのが運のツキよ」

「ほう? 貴様、式神だったのか?」


 式神は陰陽師が使役する神や鬼の類だ。三成は使っていないが、軍配師の中にも式神を持つ者がいる。彼の師である竹中半兵衛は、鳥獣の形をした式神を何体も使役し、敵情偵察や戦場での連絡に活用した。羽柴秀吉の数々の武勲はこの式神の情報網に支えられたと言ってもいい。


「それももう600年ほど前の話じゃ。陰陽師がくたばって自由になったが、式神として酷使された数十年でわらわの霊力は、殆ど奪われてしまった。なんとか東国へ戻ってきたが、他の神々や物の怪、それに人間の武士共がのさばっていてな。わらわの居場所は消えておった」

「で、名もなき老木に宿って、ひっそりと暮らしていた。その木すら、村人に切り倒され、橋の材料となったわけか……」


 三成は川にかかる橋を見た。どこにでもある何の変哲もない橋。こんなものを作るのに、霊力あふれる神木を切ったわけでもあるまい。何の変哲もない老木に、この夜叉は宿り、誰に祀られることもなかった事になる。

 神が神たる力を発揮する条件のひとつが、人々の信仰だ。それを得られない神は死に等しい生を送るしかない。


「絵に描いたような転落ぶりだな。貴様が本当に、東国有数の暴れ神だったとしたなら、だが」

「まったくじゃ……」


 夜叉の目から一筋の涙がこぼれ落ちる。月の光がそこに反射し、白く輝く軌跡を描いた。


「あの頃に帰りたいのう……。人間も神も、東国の誰しもがわらわを畏れ、わらわに霊力を捧げたあの頃に。せめて、せめてやしろの一つでもあれば。わらわだけの神域を持っていれば、ここまで落ちぶれる事もなかったのにのう……」


 夜叉は声を震わせながら嘆きの言葉を吐き続けた。時折、子供のようにしゃくりあげて鼻をすする。先程まで、三成に太刀を振りかざしていた妖魔とは思えない姿だった。


「……じゃが、若造にいたぶられて、ようやく未練も絶てたわ。さあ、殺せ。夜叉ごときの首一つで何か変わるとも思えぬが、三流成り上がりの汚名をほんの少しでも返上するがいい」


 夜叉は三成の目を見た。三成はつまらなそうに首を振ってから、言った。


「言いたいことはそれだけか、この負け犬が!」

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