第8話 忘れられた約束
見上げた空はあかね色に染まっていた。
これまでに飲んだフレッシュハーブウォーターは四杯。都合四時間近くマーモットと戦っていたことになる。
その四杯目の効果ももうすぐ切れそうだ。そろそろ潮時だろう。
実は途中からマーモット退治になれてきたのか、討伐効率がよくなってきていた。与ダメージにも、本当にたまにだが『2』が出るときがあったからな。
討伐したマーモットも20を超えた。目標の30には届かなかったが、まずまずの戦果だろう。経験値の方は、まあそれなりだ。レベルアップにはまだちょっと遠い。
対してドロップの方はというと、こちらの戦果はそれなりにあった。肉と毛皮が大半だが、おそらくレアドロップであろう“マーモットの脂”が二つ手に入った。
このうち、肉は食用とのことなので、宿代代わりにおっちゃんに渡すとして……。残った毛皮と脂はどうしようか。
クエストで納品できると一番いいんだけど、そういうわけにはいかないしなぁ。生産スキルを持ってないから自分で使うわけにも行かない。誰かに売るのもいい手だとは思うんだけど、今のところそんなつてはないし。
さて、ないないづくし。どうしたものか……。
思案しながら町に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あ、いたいた。おーーい」
その声に後ろを振り向くと、緑のローブを着た人が手を振っていた。フジノキだ。その後ろにキツネさんも見える。
「おーー」
俺も手を上げる。そこではたと気がついた。
そうか、二人がいたじゃないか。特にフジノキならこのゲームについて色々調べているだろうし、毛皮とかの件はこいつに相談すればいいや。
「ちょうどよかった。聞きたいことがあるんだよ。ちょっと相談に乗ってくれないか?」
思い立ったが吉日とばかりに、フジノキに話しかける。
だが彼は、そうじゃないとばかりに首を横に振った。一体どうしたんだ?
「いや、相談ならもちろんのるけどさ。それよりもコダマ、カネティスちゃんにまだ連絡してないでしょ」
……しまった。今の今まで忘れていた。どうやら心のToDoリストが機能していなかったようだ。
帰ったら必ずカネティスに連絡すると、改めてメモし直す。
「その顔は忘れてたって顔だよね、まったく……」
フジノキは肩をすくめる。
が、なぜかしきりに目配せをしてくる。一体どうしたんだ?
「とはいえ仕方ないよね。昨日から宿探しや取得クラスの問題で、コダマもいっぱいいっぱいだったもんね」
……ん? どうしたんだ、フジノキは……。そこら辺は昨晩説明しただろうに。
何を言ってるんだと、俺は改めてフジノキに説明する。
「いや、昨日も言ったじゃないか。色々あったけど結果的に結構良いところに泊まれたって。いや、何よりご飯がおいしいんだ。カネティスへの連絡も朝ご飯の後にする予定だったんだよね。だけど、あんまりの朝ご飯のおいしさに、すっかり忘れてしまってた」
他にもまあ、朝方はマーモット対策とかの準備でバタバタしてたって言うのもあるんだけど……。
そんな風に答えると、フジノキは目を閉じ首を左右に振った。
思うに、宿舎の食事はあんまりおいしくなかったのだろうか……。
「ふむ、何なら今から一緒に食べに行かないか? 案内するよ」
「それはいいですね。是非とも私も一緒に案内してくれませんか? 兄さん」
「なんだ、カネティスか。もちろんいいぞ。一緒に……」
――カネティスだと!?
ギリギリと後ろを振り向くと、そこにはにこやかに、だが絶対零度の視線でこちらを見据えるカネティスの姿があった。
「どうしたんですか、兄さん。そんな顔をして。さ、どうぞお話を続けてください。私が心配している間に見つけたご飯屋さんの、連絡を忘れるほどにおいしかったご飯の話を。さあどうぞ」
カネティスは鷹揚に頷く。が、当然目は笑っていない。
助けを求めようと周りを見るも、フジノキは完全に視線を落としこちらを見ない。くっ、逃げおった。助けにならない。
キツネさんはというと、ニヤニヤとこちらを見て笑っている。完全に性悪キツネの顔だ。同じく助けにならん。
「どうしたんですか兄さん。そんなにキョロキョロとして……。そんな不安にならなくても大丈夫ですよ。私、兄さんと違って薄情じゃないですから。積もる話もありますし、まずは座ってお話をしましょうか」
「え、いや……。あ、はい」
逡巡するも、その眼光に押され腰を落とす。
「せ、い、ざ」
「……はい」
こ、こわい。
この後、めちゃくちゃ怒られた。
二日続けて外で正座とか……。
「兄さん、自業自得です」
「あ、はい」
◆
場所は変わって妖精の宿り木亭。
宣言通り、カネティス、フジノキ、キツネさんの3人を夕飯に案内していた。
今回はカウンター席じゃなくテーブル席を使わせてもらっている。
「町外れにこんなところがあったとはね。よく見つけたわねー」
キツネさんがへえと感心する。ただその手は給仕に来たユエちゃんの頭をかいぐりしている。
「もー、キツネお姉ちゃんやめてー」
そうは言いつつもユエちゃんはまんざらでもなさそうだ。
手を振り払おうとはせず、ニコニコと笑っている。
「それにおにーちゃんがここを見つけたんじゃないよ。私がおにーちゃんを確保したの!」
ユエちゃんは小さく胸を張る。
かわいい。
そしてその気持ちはキツネさんも同様だったのだろう。
「何この子かわいい! 持って帰ってもいい?」
そんなことを言い出した。
「ダメに決まってるでしょ、姉さん」
あきれ声を上げるフジノキ。ユエちゃんもきょとんとしている。
だがキツネさんは諦めきれないらしい。
「ええー、だってかわいいんだもん。カネティスちゃんだってそう思うよねー」
「いえ、私は……」
カネティスは言いよどんだ。それを見て何かを思いついたのか、キツネさんはユエちゃんに耳打ちをする。
「えと、カネティスおねーちゃん。今日は来てくれてありがとうございます。またお兄ちゃんと一緒にご飯を食べに来てください」
ユエちゃんがカネティスに向かってぺこりとお辞儀をする。
カネティスははっと目を見開き、キョロキョロと辺りを見回した。
「…………この子はうちの子、持って帰る。私は妹が欲しかった」
ダメに決まってるだろう。カネティス、お前はいったい何を突然言ってるんだ……。
カネティスをたしなめようとしたところに、妖精のとまり木亭の女将さん、ソレイユさんが現れた。
「うちの娘を持って帰るのは勘弁してくださいな」
ソレイユさんはくすりと笑う。
対してカネティスは、顔を真っ赤に染めた。
「ユエも、向こうでお父さんが呼んでるから、いってあげなさい」
「はーい」
ソレイユさんの柔らかな言葉に、ユエちゃんは元気よく返事をした。
そうしてユエちゃんが厨房に向かったところで、ソレイユさんが持ってきた料理を並べはじめる。
テーブルに置かれたのは温野菜だ。横にはペーストが付け合わせてある。これをつけて食べるんだろうか。
「これってタプナードですよね。私好きなんです」
どうやらキツネさんは知っているらしい。どんな物かと聞いてみる。
するとこれは、オリーブ、ニンニク、アンチョビ、ケッパーなどを刻んでオリーブオイルで混ぜた、黒のタプナードとのことだ。
色は黒というよりは茶色に近い感じなんだが、何か理由があるのだろうか……。
いや、そんなことはいいか。まずは食べてみればいい。きっとおいしいに違いないんだ。だっておっちゃんが作ったんだからな。
「いただきます」
皆で手を合わせ、食事をはじめる。
まずはブロッコリーを手に取り、ペーストをつけ口に運ぶ。
む。アンチョビやオリーブオイルを混ぜてるという話だから、少し重めの味かと思ってたけど、意外にあっさりしている。
ほどよい塩気が食欲そそる、そんな味だ。
黙々と食べていると次が来た。ソレイユさん曰く“ラグー・アッラ・ボロネーゼ”だそうだ
幅広のパスタにゴロゴロと塊に焼かれた挽肉が絡んでいる。なんともがっつりとした見た目だ。
フォークで巻き取り口に含む。予想に違わぬ肉の味がガツンと口に広がる。幅広の麺にも肉のソースがたっぷりと絡んでいる。さっきの温野菜とはまさに真逆のうまさ。
ダメだ。食べる手が止まらない。止まらないのに次が来る。
次は“タタールステーキ”というらしい。
ステーキと言ってるのにテーブルの上に来たのはミンチ状の生肉だ。まるっきり成形したてのハンバーグ。さてはおっちゃん焼き忘れたか?
ただ、生肉の上には卵の黄身が乗っていて、周りにも薬味が添えてある。まさかこのまま食べろとでもいうのだろうか。
さすがに逡巡していると、キツネさんが教えてくれた。こういった料理が現実にもあるらしい。
黄身や薬味をしっかり混ぜて生肉のまま食べるものみたいだ。なんかマグロのユッケみたいだな……。
とはいえ魚と違い生肉を食べるのは初めてだ。俺が産まれる前は普通に食べられてたこともあったみたいだけど、今は田舎のじじいの昔語りに聞くだけだ。
生レバーがどうとか言ってたけど、そんなものを食べるなんてと正直空恐ろしい。
いや、そんなことはいいか。今はこの“タタールステーキ”だ。おっちゃんを信じ肉をしっかり混ぜる
――南無三。
目をつむり、恐る恐る口へと運ぶ。
……お、や?
覚悟していた生臭さがない。どころか口の中で肉が柔らかくとろけ、ほのかな甘みさえ感じる。
これがじじいの言ってた肉の甘みとか言うやつか。正直眉唾だったけど、確かにわかる。
そしてそのうまみを、薬味が何杯にも増幅してくる。
この料理にはワインがあうか? ……いや、やっぱりビールだな。おっちゃん、ビール!
「ほらよ」
ドンと置かれたジョッキを手に取る。
よし、これでまた肉ビアパスタのエンドレスコースの完成だ。
ふっ、勝ったな。
「――――ごちそうさまでした」
きれいに中身のなくなった皿。そこから視線をあげると、みんながこちらを見ているのが目に入った。
「いや、おいしそうに食べたねぇ」
キツネさんがふんふんと頷きながら言う。
「なーんか圧倒されちゃったよ。私たちの世代って生肉に抵抗があるもんだけど、それも最初だけで、後はペロリとたいらげてたしね」
いやでもと、テーブルを見渡す。みんなの皿もきれいにカラになっている。なんだかんだで食べたって事じゃないのだろうか。
不思議に思っているとカネティスが教えてくれた。
「ガンツさんが来て、よければ火を通すって言ってくれたんです。ですから私とフジノキさんはお言葉に甘えました」
なるほど、多分ビールが届いたときだろうか。確かおっちゃんが届けてくれたような気がする。その時に聞いて回ってたんだな。料理に夢中で全く気づかなかった……。
生が苦手な人へのフォローも忘れないとは、さすがだなおっちゃん。
「いやぁでも、こんなにおいしいのに私ら以外のお客さんがいないなんて……。もったいないねぇ」
キツネさんがぽつりとつぶやいた。
確かにそうだ。昨日は開店前だったからわかるけど、今日は開店初日。もっと人がいても良さそうなのに……。
ぐるりと見回す。
埋まっているのは、自分たちがいるテーブルだけだ。
そこにおっちゃんが、奥から歩いてきた。
「そりゃあ特に宣伝してないからな」
え? 宣伝してないのか。
「おっちゃん、せっかくうまい料理があるのに何で宣伝してないんだよ」
そう聞く俺に対し、おっちゃんはふうむと頷く。
「少なくとも今のところは無駄だからな。この町最大の顧客のエインヘリヤルは宿舎で飯が出るんだぞ。まだまだ金欠だろうに、わざわざ金出してまで飯を食いに来ねぇよ。それに、どうせ金を出すならエインヘリヤルの料理人の作った、バフ付きの飯を食うだろうさ」
「……なるほど、ならなぜ食堂を、しかもこんな場所で経営しているんです?」
当然の疑問をフジノキがぶつけた。
「ああ、まあそうりゃあな……」
おっちゃんは上を向き髭をしごいた。
「エインヘリヤル以外がこの大陸に来るには、何か職を持ってなきゃいけなかったからだ。たとえ元エインヘリヤルでもそこに例外はねぇんだ。俺は昔から料理が好きだったし、それにエインヘリヤルをやめるときに戦乙女から“妖精樹の苗木”をいただいたからなぁ。そういうのもあって食堂を経営してるって訳だ」
「“妖精樹の苗木”?」
何なのだろうと思い聞くと、おっちゃんは店に絡みついている大樹を指さした。
「あれだよあれ。生産系の技能に補正がかかる《妖精使い》ってクラスがあるんだが、あの木にゃそれと似たような効果があるんだよ。ま、うちじゃ主に食品管理系だな」
……《妖精使い》か、ここに来てそのクラス名を聞くことになろうとは。おっちゃんめ、俺のトラウマをえぐってきおる。
「おい、どうした坊主。なにうなだれてんだ」
「あ、その子のことは気にしなくていいよー。ちょーーっと精神にダメ食らっただけだから」
俺を気遣うおっちゃんに対して、軽い口調で答えるキツネさん。いや、確かにそうなんだけどさ……。
「そ、そうか。それならいいが……」
戸惑いながらもおっちゃんは続ける。
「俺もな。知り合いに無理言ってコネでここに来てる身分だ。無理矢理ねじ込んできたようなもんだからな。場所に関しても文句は言えねぇよ。こんなへんぴなところでやってるのも、そういうわけさ」
そこまで話すと、「そろそろ店、閉めるからな」と言って、空いた皿を片付けていく。
それを見てキツネさんも、パンと手をたたいた。
「よし。それじゃあ私たちもこの辺で解散しましょ。もう結構な時間になるしね。カネちゃんも、コダマっちの所在がつかめて安心したでしょ」
「わ、私は別に心配なんか……」
「なーに言ってるの。あんなに説教しといて心配してないわけないじゃない」
キツネさんは、うりうりとカネティスをからかいながら席を立つ。カネティスもされるがままだ。ホント仲良くなったなぁ。
「それじゃ、また食べにきますねー」
手を振って宿舎へと帰る三人を、外まで見送る。
さて、俺はどうしようか。
何か手伝えることでもあるかな。そんなことを考えながら妖精のとまり木亭の扉を開いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
エルのひとりごと
さて、今回はインベントリに関してだ。
このゲームのインベントリはアイテムの種類とか数で管理されてるわけじゃないんだ。
実は、5メートル×5メートル×5メートルの立体で管理されてるのさ。
これを大きくしたり、時間管理関連の能力を付加したりするには、クラスの能力やとあるエインヘリヤルの冥助の助けが必要だよ。
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