第35話 もう一人の晶

「どうして、晶はここに……」


 そう晶に顔を向け、しかしそこから先は口にできなかった。

 口をキュッと結び、睨みつけるように強い眼光を前に飛ばしながらも、しかし、僅かばかり青ざめて見える彼を見てしまえば、何も言える筈がない。


 学生服の晶は地味な黒縁メガネの下に優し気な微笑みを浮かべていた。

 間違いなく、この幽世が生み出した妖魔だが、しかし晶達に襲い掛かる気配がない。


「監視者さん。でも、随分とはっきりした姿だね。他の妖魔と違って」

「中途半端な認知ではないということ……? けれど、晶は学校ではお世辞にも目立つタイプじゃないし……」


 晶は硬く唇を結んだまま、自分と同じ姿をした妖魔に近づく。


 学生服を着た晶は、ただじっと固まっていて、攻撃どころか反応も示さない。

 まるでマネキンのようだが、しかし、前髪に隠れたその目だけは、じっと晶の姿を追っていた。


「お前は、俺か」


 そう問いかける。しかし反応は無い。ただ微笑みを浮かべるだけだ。


「この幽世の主はどこにいる」

『…………』


 斬ってしまいたい。そんな衝動が晶の中に生まれる。

 しかし、実行することはできない。


 なぜなら、この妖魔こそ、この幽世の中で重要な鍵だからだ。


「監視者さんには僕から説明しようか」

「え?」

「今回みたいな幽世は非常に厄介でね。というのも、その核には誰か人間がいる可能性が高い」

「人間が……!?」

「妖魔は人間を喰らいたい。そのために影響力を、幽世を広げていくんだけれど……稀に、人と直接結びついて、肥大化するものが現れるんだ。だから、この幽世はその宿主の精神状態を深く反映している」


 以前、一姫が体験したレインコートの男が蔓延る幽世は、怖いものの象徴という、常識や共通認識をベースに創られたものだった。

 しかし、この幽世は違う。他人をどのように認知しているかというのはそれぞれだし、そもそも他人が襲ってくるという恐怖が共通認識として広く受け入れられている筈もない。


 この幽世と結びついた人間が、ひどく他人を怖がっているからこそ、この世界の妖魔の在り方が成立している。


「その人物はこの学校の生徒だ。核が屋上にあるっていうのがその証拠だね。まぁ、教師という可能性もあるけれど、妖魔は未成熟な子供と結びつくケースが多いから、生徒と思っていいだろう」

「それが誰か、生徒会長には分かっているんですか?」

「いや、候補くらいかな……でも、師匠はそうじゃないみたいだ」


 この世界に蔓延る妖魔でありながら、頭のてっぺんからつま先までハッキリとした認知を獲得し、かつ、襲ってこない生徒。

 それは幽世の宿主にとって、晶がそういう存在であるという証拠でもある。


「誰だって、他人に多少なりとも不安を感じるものさ。目の前で話している相手が、突然鞄からナイフを取り出さないとも限らない……保証なんかないからね。けれど、師匠は宿主から信頼を置かれている。この人になら心を許せる……そんな信頼を」

「信頼?」


 桜花の言葉に反応したのは晶だった。

 その声にはハッキリと怒りが滲んでいる。桜花に対してではない、どこにぶつけていいか分からない、そんな怒りが。


「信頼されているなら、こんなところでボーっと突っ立ってないだろうさ。こいつは優しいんじゃない。ただの傍観者だ」

「師匠は、一体誰がこの幽世を生み出したか分かっていたんですね。最初から」

「最初?」

「この世界に来た時……いいや、もしかしたら来る前から、かも。そうですよね」


 晶は答えない。

 再び自分の姿をした妖魔に向き合い、睨みつける。


「どうして動かない」

『…………』

「くそ……!」


 答えが無い理由を晶は知っている。

 彼は宿主の敵ではない。しかし、味方でもない。


 正確には、味方かどうか宿主が測りかねているのだ。

 味方になってくれると思っていた。しかし、彼はそれを拒絶した。

 友人ではなく、他人になることを選んだ。そう振る舞ってしまった。


 だから、彼は晶達を襲わず、そして動こうとしない。


「晶!?」


 一姫が咎めるように声を上げた。

 突然晶が、自分の姿をした妖魔の胸ぐらを掴み上げ、その首に刃を突き付けたからだ。


「道を開けろ……!」

『…………それでどうする』


 晶が脅したからか、触れたからか……初めて妖魔が口を開いた。


『俺は何もしない。何もできない。そうだろう』

「っ……!」

『俺は怖い。いや、どうだっていいんだ。他人なんて、どうなったって。だって、どうせ忘れてしまうんだから。どんな相手も、家族も、友人も……時間が経てば平等に忘れてしまう。だから、繋がりなど必要無い。力さえあれば』

「え……?」


 一姫は、自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。


(忘れる……? 全て、平等に……?)


 妖魔の発言が何か、彼女の求めていたものに繋がっている気がした。

 ただの戯言かもしれない。しかし、突然語り出したその口は、まるで晶自身が語っているような説得力があった。


「駄目だ、師匠! 妖魔に憑かれている! 貴方の力が奪われてしまうっ!」

「いいや、これでいい。この状態で、あいつの認知を曲げることはできない。だから、道を開かせるなら、無理やり干渉するしかない……!」


 妖魔の姿が変わる。

 眼鏡が消え、制服から退魔師の姿に――まるで鏡合わせのように、今の晶とそっくりに変化する。


『お前はヒーローじゃないんだろ』

「ああ、そうだな……!」

『そんなお前が、彼女を救うと?』

「さぁな……あいつが救われるかどうかまでは保証できねぇよ」


 胸ぐらを掴む腕が、だんだんと妖魔の身体に沈んでいく。

 妖魔の身体が少しずつ、薄っすらと透明になっていく。

 それでも、晶と妖魔は互いを強く睨みつけあっていた。


「餅は餅屋だ。俺はヒーローじゃない。でも、退魔師だからな……妖魔は殺す。誰一人奪わせはしない」

『…………』

「だから、それが結果そうなるなら……俺はあいつのヒーローにでもなんでもなるさ」


     そう晶が言い切った瞬間、ピシっと何かが裂ける音がした。


「監視者さん、僕から離れないで」

「え……?」

「世界が塗り替わるんだ。本来の、幽世の姿に」


 直後、景色が一変した。

 

 月明かりに照らされた夜の屋上が、グロテスクな、赤々とした肉の壁に包まれる。

 まるで何かの体内にいるかのような、肉の洞窟の先には――


「嘘……!?」

「あれが、この幽世の主……まさか、彼女だったとは……!」


 肉の壁の先、その行き止まりに身体の半分以上を埋め込まれていたのは、彼らがよく知る人物――


「…………」


 現役高校生アイドル、明星すみれ――田中菫だった。

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