第34話 屋上へ

 桜花から向けられた強い視線に、一姫は思わず目をそらしてしまう。

 両親が退魔師であったという事実は、彼らが一般人となる際に他言無用として厳しく言われたことだ。

 納得しているかどうかは別にして、一姫もそれを順守しており、実際に自分の家がそうであったと伝えた相手は、それこそ監視者としての可能性を与えてくれた、彼女の教育係に対してだけだった。


 それでも、御堂家という退魔師の一族が、一人娘である一姫の存在によって退魔師の世界を追い出されたという事実を知っている者は少なくないだろう。

 目の前にいる二鶴桜花もそうであると察するのは容易かった。


「……分かりません」


 それでも、自分の口からは言うことはできない。

 そして、“自分に何か、特別なものが備わっている”などとは余計に考えられない。


 一姫がここにいるのは、自分が恵まれなかったからだ。


 退魔師としての才能を持たず、婚約者からは他人のように扱われる。

 たとえ彼が本気で一姫を忘れていたとしても、覚えた上で他人のような態度をとっているにしても、一姫の胸はそれを考えるたびに強く痛む。

 呼吸が苦しくなり、涙が零れ落ちそうになる。


 それは幽世にいても変わらなかった。


「私に才能なんかありません。だから、努力しています。それに、彼を縛るなんて……彼は私のことなんて、なんとも思っていないでしょう」


 その言葉はすっきり口から出てはくれず、ところどころ詰まってしまう。

 当然、目の前の桜花に分からない筈もない。


「……ごめんよ、監視者さん。確かに僕は退魔師で、君は監視者という立場だけれど、年下を虐める趣味はないんだ」


 探り、そして少しばかり威嚇するつもりだった桜花の熱を冷ますくらいに、今の一姫は痛々しかった。


 そもそも今の一姫の立場は複雑だ。

 来るはずの無かった幽世に本人も知らない内に迷い込み、ただ晶と桜花に守られるだけの足手纏いだ。

 監視するどころか、邪魔にしかなっていない。


 今だけでなく、この町に来てからずっと、そんな思いが一姫にはあった。

 晶を支えるために、彼と一緒に生きるために監視者を目指した。

 しかし、現実は甘くはない。実際に監視者となって感じるのは酸っぱさだけだ。


「特別な何かが私にあるのなら、私が一番知りたいです」


 一姫が晶の監視者になれたのは偶然ではなく、何かしら意図があるものだろう。

 彼女もそれを理解しているからこそ、知りたい。

 

 知れば晶にとって有意義な動きができるかもしれない。

 そして、もしもそれが晶にとってウィークポイントになるのなら……その時は晶から離れなければならない。


 そう、自分の想いとは反する思考を重ねながら歩く一姫だったが――突然、額を指で突かれ、反射的に顔を上げた。


「おい」

「晶……?」

「ボーっとしすぎ。一応危険な場所なんだぞ」


 妖魔を斬り、彼女達を先導していた筈の彼が、わざわざ振り向いて戻ってきている。

 そんな手間を取らせてしまったことに、また自己嫌悪する一姫だが、そんな彼女の内情など気が付かないように、晶は至近距離から顔を覗き込む。


「っ……!?」

「顔色、悪いな。体調不良か?」


 顎に手を当て、無理やり顔を上げさせる。

 それはまるで、少女漫画のヒーローがヒロインにキスしようとしているような構図で、一姫はつい顔を赤くしてしまった。


「……熱あるのか?」

「な、ない、ないわよ……!?」

「とてもそうは見えない。幽世にいるのは精神体だからな、体調が悪ければハッキリ表れるもんだ」


 顔が赤くなっているのは、貴方のことが好きだからです。

 などとはとても言えず、一姫はただ焦ったように目を逸らすことしかできない。


 当然、晶にその本心が伝わるハズも無く、追及を逃れるにも不十分な抵抗だったが――


「まぁまぁ、師匠。それくらいにしてあげてよ」


 助け舟を出したのは、正に先ほど、同じように一姫に詰め寄る気配を見せていた桜花だった。


「監視者さんは幽世に慣れているわけじゃないんだから」

「……まぁ、そうか」


 納得、というより反論するのが面倒といった感じで、晶はあっさり引き下がる。


「でも晶。妖魔を警戒しなくていいの……?」

「ああ」

「ここは妖魔の気配がないからね」


 そう2人に言われて初めて、先ほどまで襲い掛かってきていた学生服の妖魔がいないことに、一姫も気が付いた。

 そして、自分が今いる場所を見て、思わず周囲を見渡した。


「ここ、屋上前の……?」

「……ああ」


 3人がいるのは、屋上に繋がる扉がある階段上のスペースだ。

 一姫が考え事をしている間にここまで来ていたらしい。


「この屋上前の階段辺りから、妖魔が出なくなったんだ。もしかしたら、核に関係しているのかも」

「核に……?」

「この幽世が大きくなった原因にとって、屋上が特別な場所だったのかもしれないな」


 晶の、普段の何倍も硬い言葉に一姫だけでなく桜花も目を丸くする。

 そんな2人の様子にも気付かず、晶はドアノブに手を掛けたまま、何かを躊躇うように固まっていた。


「晶?」

「師匠……」


 2人の心配するような声にハッと顔を上げる。

 そして、意を決するための準備とばかりに2,3回深呼吸をし、重たいドアを押し開けた。


「っ……!」

「え?」

「な……!」


 晶が息を呑み、一姫が呆然とし、桜花が警戒を強める。


 広い屋上にぽつんと立っていた、1人の人物。


 それは、学生服を着た五条晶だった。

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