第26話 監視者殿は溜まっている
汐里とのやりとりを経て、晶は同世代の女子について多少なり理解を深めた。
だが、何かを知ればその分新たに知らないものも見えてくるもので、結局のところ晶は自身が何をすべきなのか、何をしたいのか分からないままだった。
いくつかヒントは浮かんでいる。しかし、組み合わせて形とする前に、水を差すように差し込まれた、浮島のような水曜祝日によって、ぼやけてしまう。
「くま、酷いわよ? ちゃんと寝ているんじゃないの?」
ある意味で一番理解できているのはこの監視者のことかもしれない、と晶は木曜日の朝にわざわざ家まで迎えにきた一姫を見て思う。
とはいえ、監視者という枠に当てはめても彼女は他の監視者と圧倒的に違う。
こうしてわざわざ朝に起こしに来るなど、他の監視者ならまずしないからだ。
もちろん彼ら以外に高校生同士という関係性の者達はいないので定かではないが。
「まったく、いくら休みとはいえ学業も大切にしなさいよ? 今日だって、わざわざ来てあげたのよ。もしかしたら今日と明日もお休みだって勘違いしてるんじゃないかって思って。高校生に有給は無いのだから」
相変わらずの一姫節に変な安心を覚える晶。
昨日、1人になりたいという理由から、邪魔だ来るなと過剰に念押ししたせいか、若干語気が強いのは否めないが。
と、ここで晶はある疑念を頭に浮かべる。
そして、寝不足ということもあったのだろう、悩むのを早々に放棄した彼は、取りあえずでそれを口にしてしまう。
「心配かけて悪かったな、一姫」
そう。先日、汐里をつい名前で読んでしまった際は随分と恥ずかしがられたが、一姫の場合どうかという疑念だ。
(もしも失礼な行為なら監視者殿は容赦なく正すだろう。失礼でなく、しお——友利さんの繊細な性格ゆえなら、強気なこいつは軽く流すだろうし)
と、頭の中で二択を浮かべつつ、彼女の顔色を窺う晶。
しかし——
「…………」
一姫はただ驚いたように目を見開き、固まっていた。
良いのか悪いのか、どちらとも捉えにくい反応だ。
「……どうしたの、急に」
幾ばくかの沈黙を経て、一姫は訝しげに口を開く。その声は僅かに震えていた。
(これは……ど、どっちだ?)
そんな彼女にすました顔を向けつつ、晶は内心焦っている。
予想の中間、なんとも言えない反応が来たからだ。
当然、「怒った?」などと答えを求められる胆力もない。
暫く沈黙が流れる。
奇妙な話ではあるが、こんな大した危険もなく、取り立てるほどのこともない日常の中で、晶は一姫に対し初めて緊張というものを覚えていた。
「と、とにかく行くわよ。のんびりしていたら遅刻するから……晶」
一姫はふいっと顔を背けると、学校へと向かう道を晶を待たず歩き出してしまう。
どことなく感情的に見えるその仕草から、怒っていると判断する晶だが、しかし、それはそれで腑に落ちない。
(そういえば、彼女は最初から名前呼びだったな)
晶自身は気にも留めていなかったが、退魔師間では名前で呼び合うことが多い。
退魔師の多くは親から遺伝的にその才能を引き継ぐ。
体質も古く、有力な退魔師を多く排出してきた名家があれば、同じ家系でも分家、宗家と身分格差がある場合もある。
つまり、同じ名字の人間が多いのだ。血の繋がりがなくとも現場で同じ名字の退魔師に遭遇することは取り立てて珍しいわけでもない。
名前呼びはそういった諸々の齟齬を防止するために根付いた慣習によるもので、基本1人で活動することが多くも、他の退魔師との関わりがゼロでもない晶にも染み着いている。
先日の汐里に対する名前呼びもその影響によるものだ。
これらはあくまで退魔師の話であり、彼らを管理する監視者や退魔省は関係がない。
しかし、退魔師と関わる立場だからこそ影響を受けていてもおかしくはないだろう。
ただ、一姫は新米監視者なので、名前呼びは彼女の気質によるものかもしれない。
「そういえば佐崎とも名前で呼び合ってたな」
脳内で、教室で耳にしたトーンそのままに佐崎の声が一姫の名前を呼ぶ。
そう思えば名前で呼ぶ方が普通で、汐里が変というだけかもしれない——と、晶の思考が傾いたその時、一姫が振り返り、ギロリっと音が聞こえそうなまでに鋭く目を光らせた。
「私は彼のことなんか名前で呼んでいないわよ」
「……なんか?」
「勘違いされたくないからはっきり言っておくわ。彼は確かに私を名前で呼んでる。けれどそれは最初から一方的に呼んできたの。御堂一姫って名乗ったら、よろしく一姫ってね。正直びっくりよ」
そういう意味でなら、一姫も晶のことは初対面で名前呼びしていたが、晶はきゅっと口を噤んでいた。
というより、とても口を挟める雰囲気ではなかった。
「もちろん、私の任務だから彼のことは見張ってる。本当は貴方だけで手一杯なのだけれどね」
「……別に俺は見張られなくてもちゃんと働くさ」
「口答えしないっ!」
「…………はい」
釈然とはしなかったが、晶は大人しく頷いた。
嵐に立ち向かっても良いことなど何一つ無い。一番はただ過ぎ去るのを待つことだけだ。
それからも一姫の愚痴は一向に止むことはなかった。
要約すれば、学園生活の多くを佐崎のグループで過ごすのは本意では無いというものだ。
ただ、その言葉の裏には佐崎のことが嫌いというより、他に一緒に過ごしたい人がいる、というものなのだが、当然晶に伝わる筈もない。
(結局、名前呼びは人それぞれということかな。友利さんにはちゃんと謝っておこう)
そう、当たらずも遠からずな結論を浮かべつつ、晶は思考を止める。
「——ちょっと晶っ、聞いてるっ!?」
「ああ、聞いてる聞いてる。大変なんだな、お前も」
「そうなのよっ! 第一上からの指示も曖昧だし……! というかセクハラじゃないっ!」
適当に相槌を打っても一姫は止まらない。
今日晶が学んだ一番のことは、検証にこの監視者を使うことは避けた方がいい、というものだった。
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