第八十一層目 神話


 地面に突き刺さり、動かなくなった黒き虎。その光景を唖然と見つめるのは二人の『天使』と、特級探索師の一人である夏蓮だ。


「無茶苦茶な......神気を魔力で逸らすなんて......」

「ほっほっ! わかったかのう、羽付き共よ。おぬしらは確かに強い。じゃが、それは絶対ではないのじゃよ。ワシも、こっちの夏蓮の嬢ちゃんも対応しきる。努々忘れぬことじゃのう」


 ヴェールは下唇を小さく噛み締める。信仰は、自分たちの力は、絶対だと思っていた。

 実際、特級探索師としていま世間を賑わしている弾虎は、その一撃のもとに沈んだ。だからこそ、ヴェールは自信があった。

 ただ、これはヴェールにとっても弾虎にとっても仕方のないことでもあった。

 ヴェールは『天使』として目覚めたのはつい最近の事であり、圧倒的な力からくる高揚感や絶対感がまだ残っている。厳しい修行の果て、数千という候補者の中から生き残った自負もある。なので、『天使』の力を盲目的に信仰していたのだ。

 そして、弾虎は弾虎で探索師とはいえ、ついこの間まで最下級の探索師見習いであったし、ただの17歳の子供だ。『天使』の存在すら知らなかった。なので、黄金の光の脅威も知るすべが無かったし、弾虎自身油断があったのも致し方ない。

 彼は身に余る力こそ得たが、いわばただの少年なのだ。人のかたち......さらに言えば、自分よりも幼く、妹と同じ年代ほどの少女に向ける拳など持ち合わしていない。


 だが、ジェイや瑞郭は違う。ついでに言えば、グルも違う。

 ジェイや瑞郭は知識として『天使』の事は知っていたし、グルとて自分たちの信仰が必ず正義の下に遂行されているなどという幻想を抱いてはいない。自らを『天使』としながらも、そこは大人としても分別があるのだ。

 時たま、グルの脇に抱えられている様な、大人になっても盲目なまでの信仰を持つ者もいて、それが故に今回の様な失態が発生してしまうのも否めないのだが。


「あまり彼女を虐めてあげないでください。ところで、これからどうしましょうか。虎さんは元に戻れるのですか? それに......」


 先ほどからグルは周囲に探索の術を行使していた。しかし、見つからないのだ。

 死んだはずの、悪魔の死体が。


「あれは本当に悪魔なのかのう? 映像で見たが、悪魔には物理的にも魔術的にも介入は出来んはず。それも神気とやらのお陰かの?」

「コメントは差し控えさせていただきますよ。これでも一応信徒なので」

「それ自体が答えじゃがのう。しかし、考えられるとすれば、まぁ十中八九死んでおらんかったのだろうな。目的は弾虎......一輝の心を破壊することか?」


 悪魔。その存在は協会に長く居る者であれば実在するモノだと知っている。

 だが、対処法やその生態などについては知られていない。唯一対抗手段を有すると言われる聖光教会も秘匿としており、いまなお謎の存在なのだ。


「とにかく、今は脱出を考えましょう。一輝くんの確保を......」


 ジェイは捕縛用の魔道俱を常備しているマジッグバッグから取り出す。ルーゼンブルの一教員として、いつでもダンジョンに潜れるよう、最低限の装備は構えている。

 そうして、縄を黒き虎に掛けようとしたその時。


「があぁあああぁぁぁああッ!!!」


 突如として虎が目を覚まし、ダンジョンの天井に向けて黄金の光を放った。


「なッ!? 回復が早過ぎるッ!!」

「取り押さえるぞい、ジェイッ!!」

「私も手伝うわッ!! 目覚めなさい、茨の巨人ッ!!」


 夏蓮が腕にあるチェーン型の魔道俱に魔力を込める。すると魔道俱は腕から離れて解れだし、金属製の茨の蔦の塊に変貌する。

 3m程に膨れ上がったヒト型のそれは黒き虎を取り押さえよと腕を振るう。しかし、虎はその腕を搔い潜って巨人の体を駆けのぼり、そのまま天井に空いた穴へと吸い込まれて行ってしまった。


「いかん、源之助ッ!!」

『様子はモニターで見ていた。構わん、そのまま外へ出せ』

「何を言っておるのじゃッ!!」

『瑞郭達も外へ向かってくれ。緊急事態だ』

「緊急事態......? それは一体......」

「『ゲート』の準備は整いました。外に出られますが、どうします?」


 いつの間にかグルの前に現れていた、ダンジョンの入り口に備わっている『門』の様な穴。それは、この旧墨田区へ跳ばされた時にアモディグストが見せたものに似ていた。


「......教会は、転移をこうも簡単に使うのか」

「いえ、それだけは否定させていただきます。これは紛れもなく、アモディグスト様の御力で御座いますよ。ただ、方法は秘匿ですがね。私たちが先に入りますので、ついて来てください」


 そう言って穴へと入っていくグル達。

 瑞郭達もお互い視線で確認を取り合って、その後に続く。

 そうして穴を潜り抜けた先は、旧墨田区サブ・ダンジョンの『門』の近くであった。



 ◇◇◇◇◇◇



 東京タワー。

 かつては日本で一番高い電波塔として、東京を象徴する存在で人々に愛されてきた。しかし、電波の関係や老朽化などから、その業務と日本一の高さをスカイツリーへと譲ることとなる。

 だが、グランド・シザースによってスカイツリーが破壊されてしまったため、現在ではその業務を再び老体に鞭打って務めている。


 そんな東京タワーの頂に掴まり、遥か遠くを見つめる黒き虎。

 その視線の先は西......既に始まった戦いの灯りが、夜空を照らしてしる方向。


「グルルルル......」


 ソレを認識したのは、いったい何故なのかは虎自身にもわからない。

 己の中で声を上げる『食欲』の為なのか、それとも強き者との邂逅を求める『強欲』からなのか。

 はたまた、耳には聞こえてはこないが、確かに誰かが上げている救いを求める声の為なのか。

 それは、虎自身判らない。判らないが、それでも解るのだ。


 倒すべき敵は、この先に居ると。


 そんな虎と同時に、蛇も気がつく。

 己の討つべき者が姿を現したのだと。


 蛇は足を踏み出す。本来は無かったはずの、巨大な前足を。

 目覚めてからずっと体に流れ込んでくる不思議な力は、蛇の体のつくりを大きく変化させていた。

 八つあった首は倍以上に増え、蛇特有の愛嬌のある顔は既にその面影を消してしまった。

 口から漏れ出す吐息には火炎が混じり、元から大きかった体はさらに肥大して、まるで小さな山の様な体高を持っている。


 ヒュドラ。


 見る者が見れば、そう呼ぶのかも知れない。

 そもそも、この蛇のもともとの姿であったヤマタオロチとヒュドラには、共通点が多い。

 水を司る蛇であるという事。多くの首を持ち、その中の一つが弱点......ヤマタオロチでいう所の『尾』にあたるモノなど。その関連性の多さから、同一視をする研究もあるほどだ。

 そして、ヒュドラというモンスターは、ダンジョンにおいて確認されている。ギリシャにあるパルテノン大神殿ダンジョンの下層に生息するのだ。だが、それらは結局のところ、ダンジョン現界によって生まれてきた新参者に過ぎない。


 いま、獲物を求めて闊歩するこの存在は、まさしく神代で猛威を振るった神話の生物なのである。格が違う。


 東京へと歩みを進める蛇......いや、竜は見えてきた赤いシンボルに向け、挨拶代わりに吐息を吐き出す。

 竜にとっての戯れの吐息。しかし、その火炎放射は凄まじい熱を発し、射線上の物質を尽く溶かし尽くしていく。

 建物も、そこに暮らしていた人も。


「ガアァアアアァァアァアッ!!」


 その光景に虎は咆哮を上げる。

 『よくも、やってくれたな』、と。


 虎も同じく黄金の光を放つ。

 二つのエネルギーはお互いの持つ強大な力を打ち消しあい、霧散していった。

 夜空を昼間に変えた赤と金の閃光。


 竜虎相搏りゅうこそうはく。二つの強者が、ここに相まみえる。

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