第七十八層目 救えなかった未来


 ジェイ・アームストロング。過去に一級探索師まで上り詰め、特級探索師も夢では無いと言われていた男。

 父方の祖父母がアメリカ人の為、幼少期をダンジョン大国アメリカで過ごしたこともあり、彼の将来は自ずと探索師になることに決まっていた。ジェイ本人もそれを否定したことはなく、むしろ自分の中にある才能と自身の運命を考えれば、そうなることが自然だとすら思っていた。


 先天性筋肥大症候群。日常生活を送るだけで勝手に筋肉が活動を行い、何もしなくとも勝手に筋組織が大きくなってしまう病気。ジェイは生まれながらに、この病気に罹患していた。

 一見すると勝手に体が鍛えられる様に思えるかもしれないが、その様な事は一切無い。むしろ、彼の生活は地獄の日々だった。

 勝手に強張って動かなくなる手足。突然走る全身の痛み。そして、いつ破裂するのか判らない心臓。幼少期のジェイは、常に死の危険性と共にあった。


 そんな中、もたらされたダンジョンによる『覚醒』の報。ジェイが生まれる数年程前に、世界中に現れたダンジョンが、人々に力をもたらすというのだ。

 ジェイの両親は藁にもすがる思いでジェイをダンジョンへと連れていった。『覚醒』の中には、まったくと言っていい程に体を作り変えるという話を聞いたからだ。だが、それはもしかすればただの噂話かもしれない。それでも、両親は財のほとんどを擲ち、当時はプラチナチケットであったダンジョン入場の権利を得たのだ。


 そして、両親の賭けは成功した。ただし、帰りのお代はその命をもって。


 ダンジョンに足を踏み入れたジェイは、病気が変異して能力へと変化した。『身体超化』という、世界でも彼だけの能力へと。しかし、当時はまだ防衛策などが万全ではなかったダンジョンは、いまよりもずっと残酷だった。

 入り口にモンスターが溢れてきたのだ。ジェイの両親はあっという間に物言わぬ屍と化した。もしも両親も『覚醒』に恵まれていれば、結果は違ったかもしれない。だが、『覚醒』とは稀に発現する能力であり、むしろジェイが幸運だっただけだ。


 喰われる両親の亡骸の前に、ジェイは諦める事は無かった。両親が、パパとママがくれた命を、無駄にしてたまるものかッ!、と。

 迫りくる牙を、爪を、炎を。幼いジェイは加減することなくそれらを退けた。その結果、両親の仇はものの数分で全ていなくなった。

 こうして誕生した小さな英雄。彼の存在は、あらゆる人に希望を与えた。

 『ダンジョンの覚醒は、病気に対する対抗手段になり得る』。世界中がその報に沸き立ったのだ。だが、その報は直ぐに鳴りを潜めることになる。

 それ以降、誰一人としてジェイの様に改善することはなかったのだ。


 旧世界の希望とまで呼ばれたジェイ。しかし、その存在が難病に苦しむ人やその家族から逆に恨まれることとなり、一転して石を投げつけられるものへと変わった。

 それでもジェイは探索師を目指した。己の命を賭して未来を与えてくれた両親の為にも。

 そして彼が二十代も半ばになる頃。彼は日本にいた。島国でありながら、アメリカと肩を並べるダンジョン大国・日本に。

 この頃になると彼に後ろ指を指すものなど、それこそ熱心に他人の粗探しをするネットくらいのものだった。だが、環境を変えたいという想いもあって、母方の祖母の住む日本へとやって来たのだ。


「はじめまして。じん 彩夏さやかと申します」


 そして、一人の女性と......最愛の者と出会った。

 出会いと経緯など、平々凡々な三文ラブストーリーだった。知り合いの伝手で組んだパーティーで出会い、お互い恋に落ち、子供を儲けた。たったそれだけの、ありふれた人生物語。

 だが、そのたったそれだけの事がジェイにとっては堪らなくうれしかった。幼くして両親を失った彼は、家族という存在に飢えていたからだ。

 自分に家族が出来た。守る者が出来た。大切なモノが出来た。

 その反面、失うモノが出来てしまった。


 子供が出来た当時、既に一級探索師として活躍していたジェイは、恐れてしまった。もしも自分が死んでしまったら、残された妻は、子供はどうなるのか。

 最初はそんな臆病風をと笑っていたジェイだったが、日を追うごとにその恐怖は頭を支配していく。そんな中、一人息子・クリフの口から飛び出した言葉にひどく驚いた事を覚えている。


「父さん。僕、探索師になりたいッ!」


 ジェイは悩んだ。父としての贔屓目を抜きにしても、息子はよく出来た子だった。なので、もしかすれば自分を超える程の探索師となるかもしれない。しかし、探索師とは憧れだけで出来るものではない事は、ジェイも妻も良く知っている。

 それでも、息子の夢を応援してあげたいという気持ちに加え、探索師としての父の姿を誇りに思って欲しいという『欲』が出てしまった。


「一度だけ......一度だけダンジョンに行ってみようか」


 それは『覚醒』の有無を見極めるだけの、観光の様なもの。

 この頃にはダンジョンも整備が進み、入り口付近は安全だった。なので、比較的多くの人々は『覚醒』の有無を確認することが出来ていた。

 それでも万が一という事もある。両親を同じシチュエーションで失ったジェイは、元二級探索師だった妻、さらには当時の仲間であった正宗達も連れ、万全の体制で息子をダンジョンに迎い入れた。

 現役の一級探索師とそのパーティー。万全も万全な体制に、一緒に赴いた仲間は苦笑していた。

 だが、その苦笑は、直ぐに失う事になってしまった。


「モンスターだぁッ!! 溢れてくるぞッッ!!」


 後に、『獣達の大行進オーバー・ラン』と言われるダンジョン及びモンスター災害。偶然にも、不運にも重なってしまった。

 ジェイたちがダンジョンに足を踏み入れようとしたその時に。

 必死になって戦った。最愛の妻と、息子を守るために。しかし、ダンジョンから溢れてくるモンスターの数は千や二千では追いつかない。災害後の被害状況などから算出された試算では、恐らく二万を超えていたのではないかとの説まである。


「クリフッ! 彩夏ッ!!」

「貴方ッ......!」

「パ......パッ!!」


 逃げ惑う人々と襲い来るモンスターの混ざりあった濁流。

 腕を伸ばしたジェイの指先は、妻の指先を僅かに掠る事しかできなかった。


「うおおおぉおおおぉぉぉぉッッ!!」


 ジェイは自身の持つすべての力を振り絞り、モンスターを文字通り千切っては吹き飛ばした。

 その姿はまさに鬼神と呼べるものであり、彼の活躍によって多くの人の命が救われた。

 ただ、その中に最愛の者達の名は無かった。


 人生とは、三文で買いたたける程に、つまらないくらいで丁度いい。

 ただ平凡に大切な人と愛を囁きあい、我が子と風呂で休みの予定を話合う。ただ、それだけで十分だ。


 ダンジョンによって二度も家族を失ったジェイは、小さくなった二つの骨壺宝物の前でひたすらに座る日々を過ごしていた。胸に残る喪失感と、無力さと共に。

 大災害によって見つかったのは、妻と息子らしき腕だけ。持ち主を失ってもなお、二つの手は固く、本当に固く結ばれていた。

 それでも見つかるだけジェイは幸運であっただろう。獣達の大行進の被害者のほとんどが、行方不明となっているのだから。


 もはや廃人と化そうとしていたジェイを、正宗達は心配していた。何度も足を運び、彼の悲しみを少しでも和らげようと尽力した。しかし、大事であればあるほど、喪失した時の衝撃は大きいものだ。正宗たちの努力も虚しく、ジェイは日に日にやつれていった。


 そんな時、一人の男がジェイの元を訪れた。


「ジェイ・アームストロングだな? 君に、教鞭をとって貰いたい」


 当時はまだ日本ダンジョン協会の理事でしかなかった藤原源之助である。


「私達はね、ジェイ君。失われていく未来の為に動く時が来たのだよ」

「......失われていく、未来?」

「君の息子さん、クリフ君の事は聞いている。ダンジョンによって、モンスターという脅威によってクリフ君の未来が失われた事は、非常に残念だ。だからこそ、君には私の協力をしてもらいたい。これ以上、子供たちを犠牲にしない為にも」


 その後、熱心な源之助の説得の甲斐もあって、ジェイは創設メンバーの一人として名を連ねる事となる。

 日本における探索師育成校の最高峰、私立ルーゼンブル学園の理事として。



 ◇◇◇◇◇◇



「これ以上、この手から未来を取りこぼすわけにもいかんのだ。さぁ、一輝君。君にはまだ教えられていなかった、対人戦の極意を教えてやろうッ!!」


 半身に構えるジェイへ、黒き虎が肉迫する。

 ヒトならざるステータスから繰り出される力任せの一撃。当たればコンクリートの建物であっても無事では済まないその爪は、ジェイの肉体に届くことは無かった。

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