第四十七層目 崩壊の前兆


 旧墨田区サブ・ダンジョン、三十四層目。

 生存を掛けて挑むダンジョンアタック。その指揮官という重圧を両肩に受けながら、俊哉は前を向いて歩き続ける。


 三十四層目は前の階層と比べ、非常に静かであった。そう、静か過ぎるほどに。


「……なにか、おかしくないかい?」


 確かに、今の状況を考えればモンスターに出会わないことは良いことだ。しかし、その異変をそのまま受け止められるほどおめでたい者はいない。

 不審に思ったドン・勝本が足を止めて俊哉へと振り返る。


「リーダー……あまりにも静か過ぎるぜ、これ」

「はい……俺もいまそれを考えていました。なぜ……先の階層はあれだけのオルグに溢れ、ここにはなにも居ないのか」


 基本的にダンジョンの階層間をモンスターは移動できない。なので、オルグが三十三層目の何処かで溢れていることはまちがいないと考えていたのだが、俊哉はそこに何か引っ掛かるものを感じていた。


(そもそも、モンスターはどうやってダンジョンに生まれるんだ? それに……モンスターが溢れる……溢れる?)


 先ほどまでは自分達の事で一杯一杯だったが、いざ落ち着いてみれば違和感しかないことばかりであった。

 ひとつの階層で次々と同じモンスターが、それこそ『溢れる』様に出現する。

 そして、その全てがまるで自分達を追いかけて……と、そこで俊哉の中でピースが嵌まる感覚があった。


「オルグ達は……本当に俺たちを追いかけて来ていたのか?」


 撤退戦の事を思い返してみる。

 オルグを退けながら安全な方向へと進んでいった自分達は、結果三十四層目へと向かう階段へと……。


「導かれたんだッ!!」

「どうしたの、リーダー?」

「オルグは、オルグは俺たちを追いかけてきたか? 逃げる俺たちを」

「そういえば……撤退を始めて、進路をこっちに切り替えてからはあまり追いかけてこなかったわね。諦めたのかって安心したわよ」


 前衛のブロッカーであるマサルは、自慢のシールドを撫でながらそう答える。

 だが、隣で話を聞いていたドン・勝本は、俊哉が言わんとすることへと理解を達する。


「……オルグ達は上の階層を目指して? まさかッ!!」

「『獣達の大行進オーバー・ラン』……!」


 『獣達の大行進』。かつて関東を飲み込み、大阪の大討伐事件に比類するほどの推参なダンジョン事件であり、ダンジョンの外に生きる者にとっても忌まわしき記憶である。

 繰り返すが、基本的にモンスターが階層を移動することはない。

 ただし、基本的にということは、例外も存在する。それこそが、『獣達の大行進』なのだ。

 ダンジョンから溢れたモンスター達は、そのまま破壊の限りを尽くす。

 物も、人も、外に生きる全てを。

 まるでダンジョンの外にあるものは決して許さないと言わんばかりの『憎悪』。それが『獣達の大行進』なのだ。


「ということは、あのオルグ達は外へ向かって?」


 誰かがポツリと呟いたその一言に、全員の顔が真っ青になる。

 もしも、その全てが溢れれば。そこに待つのは、地獄だ。

 外で自分達の帰りを待つはずの者が、無惨にも蹂躙される未来。その光景を誰しもが幻視していた。


「急ごう、リーダー! いまならまだ間に合う! 直ぐにダンジョンを閉じに行こうッ!」

「あぁ! 皆、疲れているとは思うが、踏ん張ってくれッ!」

「リーダーッ! 大変だ!!」


 三十五階層目への階段を探すため先行していた『シルバーファング』の斥候、ジュンが息を切らせて戻ってきた。そのただならぬ様子に、俊哉はゴクリと唾を飲み込む。


「……何が、起こってる?」

「つ、ツイン、トゥースドラゴンが……ッ!」


 まるでこの世の終わりを見てきたかの様な、ジュンの叫び。

 その内容に、この場にいる全員が直ぐに理解ができなかった。いや、したくなかった。


「五体もいたんだッッ!!」


 絶望が口を開いて笑い声を上げる。



 ◇◇◇◇◇◇



「ちょ、ちょっと待ってくれ! うわああぁ!?」


 丸太ほどの太さを持つこん棒に吹き飛ばされるブロッカー。それによって生まれた穴に、次のブロッカーの探索師が直ぐに入り込む。


「なんだ、この数はッ!!」


 救助の為にダンジョンに潜った探索師&ダンジョン協会のメンバーは、ちょうど二十階層目で大量のオルグと開敵した。

 何故か道中にはモンスターがおらず、不思議と罠もなかった。その為、ここまでの道のりを三時間ほどで踏破してきたのだが、突如として溢れてきたオルグの群に救助隊は足止めを食らってしまった。


「キリが無いぞ……魔術隊、総員魔力込めッ!!」


 救助隊の責任者である隈谷の号令で、後方に控えていた魔術を得意とする者達が一斉に集中を始める。

 隈谷も俊哉と同様に指揮に関する能力を有しており、号令を受けた面々は普段よりも身体に流れる魔力の通りが良いことに気づく。

 そうして、全員が魔術の発射準備が整ったのを確認した隈谷は、大声で前衛に号令を飛ばす。


「ブロッカーどもは直ぐに下がれ!! 動けないものはガードを固め、出来るだけ姿勢を下げろッ! 撃てぇぇぇぇええッッ!!!」


 隈谷の振り下ろす腕と共に放たれる数々の魔術。

 あらゆる属性が入り交じり、まるで花火の様な煌めきに一瞬視界が白む。


「総員、撃ち方止めッ! ……やったか?」


 破壊の光が交差し、オルグが散り散りに爆破四散する。たった数秒の間ではあったが、その威力はもはや艦砲射撃にも匹敵するもので、オルグと共に砕けた床や壁が濛々と白煙をあげる。


 しかし、煙が晴れるとそこには、同胞の死体を踏みつけながらも前進を続けるオルグの姿があった。


「ひ、ひいぃ! 化け物ッ!」


 仲間の血や臓物を浴びても怯むことなく歩みを進めるオルグ。

 その姿に恐怖を抱くのは致し方のないことだろう。逃げ出した探索師を責められる者は誰もいない。

 だが、恐怖というものは伝播していくものである。一人が逃げ出せば、それに釣られて逃げ出すもまた然り。


「お、おいッ! 逃げるなッ!! 戦、ぐぇえッ」


 なんとか前線を食い止めようとするブロッカー達。しかし、小さな穴が開いた防波堤が波を受け止めきれることなど不可能であり、一瞬にして守りは決壊を始めた。


「いかんな……総員、撤退!! に逃げるぞッ!」


 なまじ戦えるというものは、時に残酷な結果を招く。

 もしもこれが俊哉達の様にじり貧であれば、なんとか無事な方向へと逃げられたかもしれない。

 だが、救助隊は依然として戦力が残っており、そのまま交戦をしつつ上への撤退を始めてしまったのだ。

 もしもこの時、階段を登ってくるオルグを目撃した斥候が生き残っていれば、その報告で可能性を見つけられたかもしれない。しかし、不運にも斥候は接敵した時にオルグに殺されてしまい、救助隊の本体とオルグが出会ったのが階層の途中だった。

 なので、オルグが階層を跨いで移動してきていること知らなかったのだ。


「も、もうおしまいだ……母さん……」


 次々と壊滅していく前線。その波は中衛にいた浅川にも迫っていた。

 なんとか力を振り絞り、矢をつがえては放っていくが、集中力の切れた状態では録な効果などない。

 何故、どうして。浅川は目の前で振り上げられたこん棒から逃れる為に、必死に地面を這いずって逃げようとした。

 突然だったオルグの強襲に切り忘れたカメラと共に。


 まるで力士の様な筋肉の鎧を纏うオルグ。その膂力から放たれるこん棒の一撃が、轟ッという音と共に浅川の後頭部めがけて振り下ろされる。


 だが、そのこん棒が浅川の頭を潰すことは無かった。


「…………へ?」


 間抜けな声をあげる浅川。それも無理のないことだった。

 いつまでも来ない結末にそっと振り返って見れば、何故か先ほど自分を殺そうとしたはずのオルグが、首から上を失って突っ立ていたのだから。


 周囲を見回すと、同様の現象はそこかしこで起こっていた。

 いったい、今度は何が起こっているのか?

 その答えを持つものは、この場には居なかった。


 しかし、浅川のカメラを介して現場を見ていた世界中は目撃していた。

 何度もスロー再生にした映像の中に見えた、『黒』の存在を。

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